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2005年9月21日 (水)

「二面性」ということ

rippoutai 一学期末に,クラスの生徒に対して次のような二つの質問し,回答を書いてもらった。

(1) 一学期に,このクラスで出来ていた「良いこと」の中で,二学期も是非続けたいことを一つ書いて下さい。
(2) 一学期に,このクラスでしてしまった「悪いこと」の中で,二学期は是非やめたいことを一つ書いてください。

(1)の回答中,一番多かったのは,「授業中静かで授業に集中できること」だった。
(2)の回答中,一番多かったのは,「授業中にもっと活気を持たせたい」(質問しづらい等の理由で)
だった。

もちろん,(1)で「授業中静かで授業に集中できること」を良かったと思っている生徒は,
(2)で,「授業中にもっと活気を持たせたい」とは答えていない。
たとえば,悪い点として,「先生(僕)の話が長いこと」などと答えている。

逆に(2)で,「授業中にもっと活気を持たせたい」答えている生徒は,
(1)で良い点として,「授業中静かで授業に集中できること」とは答えない。

さて,この結果を見て,私は,感じ方はいろいろだなあと思った。
しかし,生徒の授業観に関しては,見事に二極化しているなと思った。

さらに,とっさに冒頭の立方体の図を思い出した。
この図は,以下の説明と共に,村上陽一郎著『新しい科学論』(講談社ブルーバックス)に載っているのだが,
この立方体の見取り図は,手前に見える面が,「見方によって」,
面abcdであったり,面ABCDであったりするというのだ。

確かにそうだ。

しかも,面白いことに,面abcdが手前に見えているときは,けっして面ABCDが手前には見えず,
面ABCDが手前に見えているときは,面abcdが手前にはけっして見えない。
両方が同時に手前に見えることはない。その瞬間さえない。
ある瞬間に「手前」は,面abcdから面ABCDに,あるいは,面ABCDから面abcdへと入れ替わる!
つまり,「手前」という観点で見た場合,両方が同時に「手前」に見えることはない。

これは,先に述べた,「静かな授業」の感じ方と通底する。
静かな授業が良いと思う者には,そこに潜む,質問しづらい等の問題点は見えていない。
そんなことより授業は聴くものだと思っているのかもしれない。
静かな授業がイヤだと思う者には,その「良さ」が見えない。
とにかく何でも言える授業が楽しい授業なのだ。
静かに集中して聴くことによって得られるものもあることに考えが及ばない。
もちろん,どちらの姿勢が授業に良い構えなのか結論づけることはできない。
教科によっても,教師によっても,題材によっても,要求される(生徒が採るべき)姿勢は違うのだから。

しかし,冒頭のようなアンケートを取ると,
「静かな授業」を,「続けたい良いこと」と「やめたい悪いこと」の真っ二つに意見は別れる。

先の立方体の絵と同じような絵を下にもう1つ挙げておく。sakazuki
有名な絵だが,さて何「が」見えるだろうか?
二通りに見ることができるが,その二つを同時に見ることは可能か?

また,意識的にそれは交換可能か?
われわれの意識の,力と限界を知ることができそうな絵だ。

二面性とは,単に二面があるということではなく,
一つの面にとらわれてしまうと,他のもう一面が「見えなくなる」ということを危険性を孕んでいる。

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