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2005年9月15日 (木)

自己絶対化

  1. 愛と素直さを失い、
  2. 自分の思いのみ正しいとし、
  3. 他人の意見を聞かず、
  4. 他者を弾圧します。
  5. 他人を愛の対象としてでなく、自分の野望の道具としてしまう。

イシドロ・リバス著『日本人とのおつきあい』の中で,「自己を絶対化した人間の醜さ」として上記5点が列記されています。(日本の首相のことではありません。)

人類最初の女性エバは、「神のように善悪を知るものとなる」(『創世記』3.5)という誘惑に負け、禁断の木の実を食べてしまいました。その木の実は「いかにもおいしそうで、目を引き付け、賢くなるように唆していた」(『創世記』3.6)からです。そのとき,男(アダム)も一緒にその木の実を食べました。

これは、旧約聖書の語る(イメージする)「原罪」の概念です。ここで、禁断の木の実とは、神の指示のたとえと考えられています。つまり、神は人に神のようになってはいけないと警告したのでした。しかし、人は「神のように」善悪を知るものとなりたくて、禁断の木の実を食べてしまいました。つまり、聖書では、人類最初の人間から、神と同等になりたくて、罪を犯しました。人間でありながら絶対者になりたがったのです。したがって、「自己絶対化」は罪の一つではなく、罪そのものであると知ることができます。

しかし、人間が無限なる神と同等になろうと思ってもやがては限界がきます。

自己絶対化してもけっきょく自分は絶対者ではないから、やがて自分もくずれてきて、挫折と自己否定に陥るときが心ず来る」とリバス師は結んでいます。otukiai

私たちは、私たちの傾向、神の警告を無視して自己を絶対化する傾向があることを知り、できるるだけ言動や怠りとしての罪を犯さないように心がけたいものです。

そのために、最初に列記した5つの傾向がないか、絶えず検証できれば良いなと思います。

なお、イシドロ・リバス著『日本人とのおつきあい』は1966年に出版された古~い本です。私はこの本は日本人がキリスト教を理解するのに非常に良い本だと思っていました。ところが残念なことにこの本の出版社が1980年代(?)に倒産してしまい長い間絶版になっていました。しかし、(私も含め)多くの人の要望に応える形で、1997年、フリープレス社から復刊されました。嬉しいのは、一字一句改定されずに復刊されたことです。日本の国の時代背景が、1966年当時(高度成長期)と復刊された1997年(バブル崩壊後)では全然違います。にも係わらず著者のメッセージは変わることなく伝わってきます。普遍的だからであると私は思います。

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