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2005年9月28日 (水)

世界難民移住移動者の日

この前の日曜日。カトリック教会では「年間第26主日」だという話は、25日に書いた。
ところで、その日は全世界のカトリック教会で、「世界難民移住移動者の日」として、ミサが捧げられた日でもあった。

前教皇ヨハネ・パウロⅡ世は、2005年(今年)の「世界難民移住者の日」のテーマを「文化間の統合」と定め、生前(昨年11月24日)、バチカンから次のようなメッセージを発している。

世界難民移住移動者の日にあたり、移住者の受け入れ国においての統合について考えてみたいと思います。(中略)統合というのは、移住者が自らの文化的アイデンティティを抑圧され、忘れ去ってしまうような同化を意味しているのではありません。むしろ、他の人とのかかわりは、彼らがもつ素晴らしい面を快く受け入れるように心を開き、他者の中にある「隠されているもの」を見つけ出すように導きます。

さて、私は1970年代に中学・高校時代を過ごしたので、ベトナム戦争と終結後のインドシナ難民をリアルタイムで体験してきた。最初、彼らはテレビ・ニュースの中にいた。

僕が初めて実際の難民と会ったのは大学時代であった。同級生(入学年が同じという意味)の難民は、同じ学科にはいなかったが、同じ学部にはいた。僕は理工学部だが、二人いた。他学部にもいるという話は聞いたことがなかったが、理工学部には他学年(先輩)にもいた。全員ベトナム難民でカトリック信者だった。他にもベトナム難民はいた。神学部に何人かと、他は働いていた。

僕はカトリックの大学に入ったが、大学に入った後もカトリックには無縁だと思っていたし少なくとも入学した直後は全然カトリックにも神にも興味はなかった。むしろ、そういう非科学的なものは遠ざけていたと思う。

しかし、神は意表をついた。

カトリック信者でもないのに、僕はイグナチオ教会で行われていた『Hop Ban』(=ベトナム語で「友よ集まれ」という意味)という、日本に暮らす世界中の若者の交流会のスタッフとして1~2年を過ごした。そんな中で出会ったのがK君である。K君は同じ学部の同級生でもあったが、彼はベトナム難民でもあった。そして、カトリックであった。彼は信仰を守るため、祖国から脱出してきたのだ。

ある日、彼と学食で話していたら、家族の話になった。当時の僕は父・母・妹と僕が家族であった。偶然にもK君の家族構成も同じだった。しかし、彼はその家族と一緒の船で祖国を出てきたらしい。そして、東シナ海を漂流中にその船は難破したという。彼は日本の船に助けられたが、他の三人の家族はその日本船にはいなかったという。つまり、それから彼は一人きりだ。そんな話を聞いたのは、まだ、難民船の難破から何年もたっていない時期だった。だからとても生々しかった。しかし、その話を僕にしてくれたとき、K君は話をしている最中こそ、眉間に皺を寄せ厳しい表情を浮かべていたものの、最後にはこういった。

「僕は日本の船に救われたけれど、
父母妹はアメリカの船に救われたと思う。なぜならアメリカ船もそばに見えたから。しかし、
もしもアメリカ船に救われていなくても、神様に救われていると思う

当時カトリックと無縁で、神といったら、罰(バチ)をあてる神しか知らなかった僕にとって、これほど意表を突かれたことはない。この日以来、僕は神の存在を、即座に否定する言動を採れなくなった。

それから2年後、僕が洗礼を受けたとき、ベトナム難民の友人が祝ってくれた。
カー君、グェンちゃん、ブゥ君、ホヮンさん、カオさん、・・・。

前教皇ヨハネ・パウロⅡ世は、(移住者・難民は)『他者の中にある「隠されているもの」を見つけ出すように導きます。』とメッセージなさった。

ベトナム難民の友たちは、僕の中に隠されていた「いのち」、つまり、「主に向かう心」を見つけ出すよう導いてくれた。

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