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2005年10月31日 (月)

歩く大会のお地蔵様

051031 早弁している生徒を見つけても,時と場合によっては,「早く口の中につめこんでしまえ」と指示を出す先生がいるのが○○(私の勤務する学校。以下同)学園です。MDが無くなったと生徒に相談をうけた時に,MDを持ってきたことを責めるのではなく,一緒に探してくれる先生がいるのが○○学園です。地雷廃絶運動のチュン・チャンナレットさんが講演に来るなら,期末試験中だろうと全校生徒に講演を聞かせる事を校長が即決するのが○○学園です。(中略)規則は規則だからという理由で守られているわけではありません。○○の先生は,規則の先にある大事なものを知ってっています。授業前に瞑黙(めいもく:先生が教室に入ってくる時に眼をつぶっている事)をするのはなぜでしょうか。(中略)年に1回全校生徒が秦野あたりを30km歩くのはなぜでしょうか。○○生は在学中あるいは卒業してからその意義に気づくはずです。(後略。引用文中の下線はこのブログ解説者が付しました。)

これは,『中学への算数』(東京出版)2005年1月号の「OB登場・学校紹介」に掲載されているJ君の文章だ。随分,生徒にとって都合の良い面ばかり書かれているが,こんな記述があと3倍くらい続く。

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2005年10月30日 (日)

神の臨在

今日は,事情でミサに与れませんでした。
恒例のミサ中の聖書朗読に関する記事もお休みとします。
代わりに,オリエンス研究所の『聖書と典礼』今週号の解説ページへのリンク
福音朗読『マタイによる福音書』23.1~12の全文のみ掲載します。

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2005年10月29日 (土)

雨よ,やめ!

051029_2 高校野球の場合,夏の甲子園にたくさん高3生が出場するが,日本全国の多くの高校の多くの部活動では,高2で部活動を「引退」する生徒が多い。僕の勤務校ではどうなんだろう?他の部活の事情はあまり良く知らないが,僕が顧問(中学副部長・会計係)をしている軟式野球部の場合,高3は夏の全国大会出場までがんばる。だから,南関東大会を制して全国大会に出場した一昨年の場合,8月末まで野球をやっていた。

昨年秋と今年の春,関東大会を連覇した本校野球部だが,夏の大会は県予選の初戦で敗れてしまった。だから,今年の高3は実質7月で引退していた。

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2005年10月27日 (木)

よく遊び,よく学ぶ

051027 左の写真は勤務校の中庭で,通称「中学校庭」と呼ばれている場所である。都会の学校ではない(とはいっても少し歩けば横浜市だが)ため,本校は広大な敷地を持っている。生徒一人あたり100平米を超えるほどの広さなのである。これは,たとえば慶応湘南や桐蔭学園のような大学と同じ敷地内にある学校を除けば,国内でも最大級の広さといわれている。そのため,生徒は休み時間の遊び場には事欠かない。そしてまた,生徒は本当によく遊ぶ。中1では休み時間に教室にいる生徒の方が少ないことの方が多い。中2では,やや遊ぶ生徒が減ってくるが,逆に休み時間に部活の自主練習に励む者が増えてくる。そして,高2あたりでは,休み時間,外に出ている者は部活の自主練習をする者が多い。だから,どの休み時間も「中学校庭」や「高校校庭」,それにグランドの校舎寄りは体を動かす生徒がいっぱいいる。

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2005年10月26日 (水)

孤独を生きぬく

今日は孤独について書きます。
以前にも紹介したイシドロ・リバス著『孤独を生きぬく』(講談社新書 1985年)に,孤独についての大変深い考察が載っているので,少し長いけれど引用します。

 日本語では「孤独」と一言で表わしていますが,英語には同じ「孤独」という言葉を少なくとも二つの言葉で表わします。ロンリネス(Loneliness)とソリチュード(Solitude)です。
 ロンリネスは(中略)自分に友達がいない,共鳴してくれる者がいない,交われる人がいない時の寂しい感じです。(中略)
 ソリチュードという言葉の意味はまったく違います。これは一人になるということを指します。たとえばグループの人間関係の中に流されて自分を意識していなかった自己不在の自分が,自分を意識して,自己に立ち戻って充実した自分を生きている時をさします。ソリチュードは,雑念・雑音の世界から離れて静かになって,本当の自分を感じ取り直すことを意味します。ですからソリチュードは,自己実現とつながっていますし,無限の広がりとも関係があります。私は単に団体の中の一個ではなくて,直接に無限と大自然と絶対永遠な世界とつながっていて,自分自身が主体的なもの,深いものであることを感じさせてくれる時間と状態を表わしています。一人でクラシック音楽を聞きながら,その美しい世界に浸る自分,一日の自分にあったことを思い浮かべながら自分の中の豊かさを意識していく自分,あるいは深い本を読んでいる自分,ただ瞑想にふけって黙想していく時の自分のことです。
 ロンリネスは寂しい感じにとどまりますが,ソリチュードは一人でありながら,かえって多くの深い喜びや静かな安らぎと安定感を与えてくれるものです。
 現代人の多くの不安と寂しさは,ソリチュードの時間がほとんどないところからくるのではないでしょうか。学生たちを見ていると,つくづくそう思います。いつもグループでしか動けず,一日中クラスの仲間とかクラブの仲間(中略)とぶらぶら過ごし,自分がちっとも深まらなくて,いつの間にかむなしさに陥ってしまいます。ロンリネスに悩むから仲間を求めますが,しかし本当のロンリネスになるのは仲間がいないからではなく,心の底からの本当のコミュニケーションが足りないからです。いつも他人と共にいてソリチュードがないから,本当の自分を失って,本当の自分を分かち合うことができなくなってしまいます。一言で言えば,ロンリネスになるのはソリチュードが無いからです。
 このように,ロンリネスとソリチエードとは,同じ孤独でもその意味するところはたいへん違いますが,両者は無関係なのでほなく,むしろ深い関係があるとも言えます。ロンリネスに陥って寂しくなる時に,もしそれをごまかさないで正面から見つめれば,多くの場合ソリチュードへのきっかけとなります。すなわち寂しい時に一人になって考えたり,本を読んだり,黙想したりして,深いソリチュードを味わうことができるようになります。
 ソリチュードのおかげで,自分のロンリネス,自分の寂しさの理由がわかり,自分のロンリネスを越えることができる場合がよくあります。(中略)本当は,ソリチュードが人間にとってたいへん必要なもの(引用終わり)

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2005年10月25日 (火)

「変わりうる」ことにかけて生きる

051025中島義道さんという,最近やたらと著作の多い哲学者(哲学研究者ではない。数少ない哲学者だ,と私は思うが・・・?)がいる。3年くらい前に『孤独について』(文春新書 1998年)という本を,ひとに薦められて読んだ。実は僕はひとから本を薦められることが大嫌いであるが,この本は面白かった。この本についてはまた今度書くとするが,この本を読んだのを契機に中島義道さんの本は何冊か読んだ。最も面白かったのは『ウィーン愛憎』(角川文庫 1999年)だった。『カイン』(講談社 2002年)も傑作。

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2005年10月24日 (月)

FOOTPRINTS

051024このブログをはじめたのは先月のことであるが,これとは別に6年ほど前から『カトリック学校教師のホームページ』というサイトを開設している。更新ペースは遅いのであるが,カトリックの性に関する考え方や,カトリック学校としての構成的グループエンカウンターなどについての拙論をアップしているせいか,開設以来20万件超のアクセスをいただいている。そちらのページの方にはメールアドレスも公開しているため,結構質問も多い。その質問の中で,次のようなものがあった。
(前略)私は、○○○大学という関西にある大学の学生なのですが、先日、ある教授の講演会で聖書の一節と思われる話をなさっていたのですが、私はとても感動して、その一節が何であったのかどうしても知りたくなったのですが英語でのスピーチであったこともありわかりません。このような内容でした。私はどんなにつらくてもどこまでもいっしょに歩いていく。もし、足跡がひとつになったら、それは私がおまえを背負って歩いているからだ。もっと長かったのですが、よく思い出せません。もしよろしければ教えていただきたいです。唐突なメールをすみません。(後略)

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2005年10月23日 (日)

自分を愛するように・・・

051023 カトリック教会は,今日「年間第30主日」。

聖書朗読は,第一朗読が『出エジプト記』22章20~36節で,要旨は,「あなたが寡婦や孤児を苦しめる場合は,私(主)の怒りは燃え上がる」。

第二朗読は『使徒パウロのテサロニケの教会への手紙一』1章5~10節。要旨は,「あなたがたは偶像から離れて神に立ち帰り,御子が来られるのを待ち望むようになった」。

福音朗読は『マタイによる福音』22章34~40節。全文引用する。

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2005年10月22日 (土)

あの人にもお母さんがいますよ

051022 神の愛は,ときに父のように厳しく,ときに母のように優しい。
長年,上智大学の神学部で教鞭を執られた司祭で神学者であるペテロ・ネメシェギ先生の古い著書『矢車草』(1977年。南窓社)に,「もうやめなさい,あの人にもお母さんがいますよ」というイタリアがよく口にするという慣用句が紹介されている。これは,けんかの仲裁などに使われるという。ネメシェギ神父は次のように解説する。

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2005年10月21日 (金)

女性政治家事情

まさかの衆議院選挙から40日あまり経つが,10月23日は参議院神奈川選挙区の補欠選挙が行われる。インターネットで選挙のことを書く場合,慎重に書かないと公職選挙法に抵触するので,ちょっと慎重に書く。尤も,公職選挙法は今日のようなインターネットの普及を前提としていないので,早く改正されることが待たれる。でないと,どこまで書いて良いのかわからない。また,匿名の掲示板などは,選挙活動,妨害活動に関して完全な無法地帯になっている。

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2005年10月20日 (木)

景色自慢

051020前に僕の勤務校の「生徒自慢」と「校長自慢」を書いたので,今回は「景色自慢」。2005年10月20日。関東地方は朝から久々に秋晴れになりました。10月はこの日まで,なんと19日間中15日も雨が降った。だから,この日の富士山は格別きれいだった。この写真は,聖書研究会の何人かの生徒たちと映画『マザー・テレサ』を観に行き,その後学校に戻り,午後5時50分頃撮影した。

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2005年10月19日 (水)

フジキャビンスクーター

051019_3 今年の東京モーターショーの報道関係者向け事前公開が,今日,幕張メッセで行われたとNHKの7時のニュースが伝えていた。今回,各社が競い合うのは,環境にやさしく最新技術を駆使したユニークな次世代の車なのだそうだ。また,近未来型の車も多く展示されているらしい。このニュースを見て,私は即座に「フジキャビンスクーター」という車を思い出した。というのも,この車の開発者のご長男から,何度かこの車についての話をうかがっていたからだ。
このご長男とは,私がしばしばここでもご紹介しているブログ”Good News Collection”の開設者である。

さて,写真に写っている水色の可愛い車こそ,フジキャビンスクーターである!これ,1956年頃に生産された車?(スクーター?)です。詳しくは,”Good News Collection”の2005年6月2日の記事に載っているが,ちょっと引用させてもらう。

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2005年10月17日 (月)

善いサマリア人

昨日最後にちょこっと触れた「善きサマリア人」の譬えについて,今日は考えてみたい。まず,ルカ10章25~37節を引用しておく。

すると,ある律法の専門家が立ち上がり,イエスを試そうとして言った。「先生,何をしたら,永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが,「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると,彼は答えた。「『心を尽くし,精神を尽くし,力を尽くし,思いを尽くして,あなたの神である主を愛しなさい,また,隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし,彼は自分を正当化しようとして,「では,わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中,追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り,殴りつけ,半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが,その人を見ると,道の向こう側を通って行った。同じように,レビ人もその場所にやって来たが,その人を見ると,道の向こう側を通って行った。ところが,旅をしていたあるサマリア人は,そばに来ると,その人を見て憐れに思い,近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ,包帯をして,自分のろばに乗せ,宿屋に連れて行って介抱した。 そして,翌日になると,デナリオン銀貨二枚を取り出し,宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら,帰りがけに払います。』さて,あなたはこの三人の中で,だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで,イエスは言われた。「行って,あなたも同じようにしなさい。」

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2005年10月16日 (日)

皇帝のものは皇帝に

051016カトリック教会は「年間第29主日」。第一朗読は,『イザヤの預言』(45:1,4-6)。全文引用する。

主が油を注がれた人キュロスについて
主はこう言われる。わたしは彼の右の手を固く取り
国々を彼に従わせ,王たちの武装を解かせる。
扉(とびら)は彼の前に開かれ
どの城門も閉ざされることはない。
わたしの僕(しもべ)ヤコブのために
わたしの選んだイスラエルのために
わたしはあなたの名を呼び,称号を与えたが
あなたは知らなかった。
わたしが主,ほかにはいない。わたしをおいて神はない。
わたしはあなたに力を与えたが
あなたは知らなかった。
日の昇るところから日の沈むところまで
人々は知るようになる
わたしのほかは,むなしいものだ,と。
わたしが主,ほかにはいない。

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2005年10月15日 (土)

Men for Others

このページからもリンクを貼らせていただいていますが,jyakuzuregawaさんのブログ『たのしいことば?』では,毎日「きょうのことば」として聖書のみことばが紹介されています。jyakuzuregawaさんは,ブログ開設初日のみことばとして,コリントの信徒への第一の手紙12章24節より神は,見劣りのする部分をいっそう引き立たせて,体を組み立てられました。といういう聖句を紹介しておられます。この前後の12節から31節はしばしばキリスト教的社会観と呼ばれています。新共同訳から引用ますと,

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2005年10月14日 (金)

十戒

今日,金曜日は聖書研究会(以下,聖研と書く)の日であった。しかし,2学期中間試験直前期であるため,部活動も休止期間となっており,こんなときは,聖研の参加者は少ないかいない。それを見越して中3以上の学年は今日ははじめから設定していなかった。中1はまだ「無邪気」なので,ちゃんと来ていた。そして,私の担当している中2であるが,「聖研あり」と連絡しておいたが,参加者はいなかった。もう一人の担当教員が,参加者のためにおいしいパンと飲み物(いつもは飲み物だけだが今日は奮発した)を用意して待っていたのに残念である。

さて,今日は『モーセの十戒』の話をする予定だった。手塚治虫のアニメ『旧約聖書物語』で該当箇所(出エジプト記20章)をみんなで読み,意見を出し合う予定であった。十戒は普通,次の10の事柄を指す。

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2005年10月12日 (水)

Good News Collection

051012僕がブログを始めたきっかけは,友人に触発されてのことである。その友人は,私の勤務校の近隣のカトリック学校に勤めており,同じCLC(クリスチャン・ライフ・コミュニティ)のメンバーである。さて,その彼(一応名前は伏せる。画像を見ればわかるが)が,今日から,彼の一家の「ファミリー展」を横浜で始めた。左の写真は彼のブログ"Good News Collection" http://blogs.dion.ne.jp/mrgoodnews/ から拝借した。近隣の方は足を運んでみてほしい。

画像は,http://blogs.dion.ne.jp/mrgoodnews/archives/1865517.html にある。

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2005年10月11日 (火)

丸形郵便ポスト・その2

051011関東地方は今日も雨降りだった。すでに1週間くらい降り続いている。「秋霖」というらしい。明日明後日は少し良いらしいが,また週末は雨だという。

さて,そんな雨の中,車を走らせていたら,また,丸形郵便ポストを見つけたので,ちょっと車を止めてシャッターを切ってみた。場所は9月26日のブログで紹介した浄智寺入口から車で2分くらいのところ。鎌倉街道を北鎌倉駅方面へ走り,駅を通り超し,数百メートルのすると,進行方向右側にある。ここは,「鎌倉小坂郵便局」の前である。写真に写っているのが鎌倉小坂郵便局。外観はこじんまりしたレストランのような作りでなかなか洒落ている。中には入ったことがない。

9月26日のブログでは,鎌倉のポストの近代化(箱形化)が進まない理由の1つとして,ポストの設置場所を提供している地域住民の意向を含まれると書いた。

さて,このポスト。郵便局の敷地内のように思われる。

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2005年10月10日 (月)

FOOD FORCE

『FOOD FORCE』というゲームソフトを知っていますか?私は今日,テレビニュースで見て初めて知りました。WFP(国連世界食糧計画)が作ったパソコン用ゲームでhttp://www.food-force.com/から誰でも入手できる。このゲームは,WFPの一員として飛行機を操縦し,自然災害に遭ったある地域(インド洋に浮かぶ架空の島)の食糧難に苦しむ人たちに如何にして首尾良く食糧を届けるかということを競うものらしい。英語版はかなりダウンロードされたそう。食糧支援の様子が疑似体験できるので,日本人にも使って欲しいということで,WFPは,ゲーム・メーカーのコナミとパートナー・シップ契約を結び,『FOOD FORCE』の日本語版の開発を進めてきたらしい。このたび(10月中旬)日本語版のダウンロードが始まるという。ニュースはそのことを伝えていた。(と思う) WFPの活動を多くの人が知るようになるのは良いことだと思う。

しかし,それを伝える際,ニュースキャスターは,「銃を撃ったり,人を殺したりといった残酷なゲームが多い中」というような主旨の発言をした。それと今回公開される『FOOD FORCE』日本語版を対極に置いた。さらに,このゲームをしたことによるプラスの副次的効果として,飢餓救済や人道援助に対する理解を深めて欲しいという意味のコメントも添えた。

ここには,「銃を撃ったり,人を殺したりといった残酷な」ゲームは,それをするものに悪い影響を与える。こういう,いわば定説のような考えが横たわっている。だから,『FOOD FORCE』のような良いゲームが広まれば,それに呼応する,人間にとって望ましい影響が出ると考えられる。

しかし・・・,と私は思ってしまう。

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2005年10月 9日 (日)

婚宴の礼服

051009日曜日恒例の,ミサで読まれた聖書箇所について。

今日は「年間代28主日」。第一朗読は『イザヤの預言』25章6節~10節前半。要旨は,「主は祝宴を開き,すべての顔から涙をぬぐって下さる」というもので,「聖書と典礼」(写真)によれば,「バビロン補囚からの解放を待ち望む中で」「祝宴のイメージとともに,神が最終的に完成してくださる救いを語る」。今日の福音朗読中の婚宴は,ここでの祝宴と同一イメージ。

第二朗読は『使徒パウロのフィリピの教会への手紙』4章12~14節と19節~20節。13節「わたしを強めてくださる方のお陰で,わたしにはすべてが可能です」がここではパウロの中心メッセージ。

福音朗読は,『マタイによる福音』22章1~14節。全文引用する。

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2005年10月 8日 (土)

「智子」

051008左の写真。花が置かれている場所は,9月24日から10月4日までの間に何度か,その写真と共に近況をお知らせしてきた毒の花・コルチカムが置かれていた場所です。4日前に「満開を過ぎ,一部は萎れ始めている。まもなく,消え去る運命だろう。」と書いたが,やはりその通りになった。「毒の花退く(ドクノハナドク)」なんて詰まらないオヤジギャグを言ったら,ちょっと年上のオヤジが「どこに行ってもドク運命」と返してくれた。

代わって登場したのが,写真の花。職員の誰かがどこかから摘んできた草花らしい。名前は僕ももう1人のオヤジも知らなかった。しかし,ここのカウンターに花があるのとないのとでは全然雰囲気が違う。摘んできた職員は,そんな人の気持ちを(無意識かもしれないが)知っているのだろう。

それにしても,この名もない小さな黄色い花はせつない。それは,毒を隠しもって美しく咲き,結局その毒を自分の成長の糧として使い果たし,最後は醜く散っていたコルチカムのせつなさとは全然質の違うせつなさだ。全く対極にあるせつなさを感じた。

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2005年10月 7日 (金)

呼びかける神

毎週金曜日は,放課後に聖書研究会がある。僕は中2を担当している。
今は手塚治虫のアニメ『聖書物語』(旧約)のDVDを1話ずつ観て,生徒と教員が,感じたことを話すというやり方で進めている。今日は『出エジプト記』の前半で,次回が「モーセの十戒」の予定である。

さて,『出エジプト記』の前半で,どの場面が印象に残ったかと生徒に問いかけたら,やはり,「紅海渡渉」が多かった。14章21節~31節を引用する。

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2005年10月 6日 (木)

数学オリンピックこぼれ話

今年の数学オリンピック。日本選手団の総合成績は,参加91ヶ国中8位といういう輝かしいものだった。数学オリンピックは毎年開催されていて,日本は1990年に北京で開催された第31回IMO(International Mathematical Olympiad。国際数学オリンピック)から16年間参加してきて,8位が最高位で,1992年と2004年と今年の3度ある。2003年には日本で開催されたが,このときは9位であった。今年の開催国はメキシコであったが,1位から7位までの国は,順に中国,アメリカ,ロシア,イラン,韓国,ルーマニア,台湾であった。中国は昨年に引き続きV2を達成したが,日本が参加するようになったこの16年間で,この実に11回も総合成績で1位に輝いている。また,アジアのもう一つの大国であり,数学史の上でも欠かせない国であるインドは,意外と振るわず,2001年の7位以降順位を下げ,今年はとうとう20位にも入らなかった。一方,アジアの中では特筆すべきはベトナムで,1998年以降,9位,3位,5位,10位,5位,4位,4位と上げてきたが,今回は15位まで下がってしまった。

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2005年10月 4日 (火)

毒の花咲き乱れる

10040002 4日前,2つに鉢を分けられていた毒の花・コルチカム。昨日から再び1つの鉢に集められていた。一気に花弁の紫が濃くなり,満開を過ぎ,一部は萎れ始めている。まもなく,消え去る運命だろう。

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2005年10月 3日 (月)

ホリスティックな生命思考

今日は僕の右足の話です。
実は僕の右足は,親指の運動神経が麻痺してしまっていて関節が動かない。これは,おそらく,小学校の時にサッカーをしているとき,誤ってボールではなく地面を思いっきり蹴飛ばしたことによって,このようになってしまったのだと思う。とにかくそのとき物凄い痛みが走ったことを覚えている。それからしばらく(よくは覚えていないが多分何週間か)痛かった。しかし,あのころは,そんなことでは病院に行かなかった。

僕がそのけがをした右足の親指の異変に気がついたのは数年経った後だったと思う。自分の部屋で靴下を脱ぎ,何気なく両足の指を動かしてみたら,右足親指の関節が動かないではないか!

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2005年10月 2日 (日)

私にとって信じるとは

051002 今日のカトリック教会「年間第27主日」の聖書朗読箇所は,第一朗読が『イザヤの預言』5章1節~7節。要旨は「イスラエルの家は万軍の主のぶどう畑」。

第二朗読は『使徒パウロのフィリピの教会への手紙』4章6節~9節。この朗読箇所の直前である4章5節の後半で,パウロは「主はすぐ近くにおられます」と力強く語り,今回の朗読箇所でも,「平和の神はあなたがたと共におられます。」と締め括る。

福音朗読は『マタイによる福音』21章33節~43節。3週連続してぶどう園の譬え話だが,今日は,「最後に,主人(父なる神)は自分の息子(イエス)を送った」という話。全文引用すると,

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2005年10月 1日 (土)

終わりに見た街

朝起きると,家の外に何もなかった。隣の家も,向かいの家もなかった。道路さえなかった。
「私」の家は田園都市線沿いの多摩川を見下ろす高台にあった。対岸に高島屋が見えていたはずだった。しかし,その日起きると,何もなかった。一面林だった。
ただごとではない出来事が起こったのである。「私」は恐る恐る森の藪をかき分け,二子玉川の方へ歩いていった。高島屋デパートはなかった。それどころか,二子玉川を路面電車が走っていた。「玉電」である。戦争中だった。第二次世界大戦中である。「私」は戦争中にタイムスリップしてしまったらしい。馬鹿馬鹿しいけれど事実である。「私」と,「私」の家族である妻,長女,長男の4人は第二次世界大戦中に突然置かれてしまったのである。

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