« 神の臨在 | トップページ | 貧しさは神の敵だ »

2005年10月31日 (月)

歩く大会のお地蔵様

051031 早弁している生徒を見つけても,時と場合によっては,「早く口の中につめこんでしまえ」と指示を出す先生がいるのが○○(私の勤務する学校。以下同)学園です。MDが無くなったと生徒に相談をうけた時に,MDを持ってきたことを責めるのではなく,一緒に探してくれる先生がいるのが○○学園です。地雷廃絶運動のチュン・チャンナレットさんが講演に来るなら,期末試験中だろうと全校生徒に講演を聞かせる事を校長が即決するのが○○学園です。(中略)規則は規則だからという理由で守られているわけではありません。○○の先生は,規則の先にある大事なものを知ってっています。授業前に瞑黙(めいもく:先生が教室に入ってくる時に眼をつぶっている事)をするのはなぜでしょうか。(中略)年に1回全校生徒が秦野あたりを30km歩くのはなぜでしょうか。○○生は在学中あるいは卒業してからその意義に気づくはずです。(後略。引用文中の下線はこのブログ解説者が付しました。)

これは,『中学への算数』(東京出版)2005年1月号の「OB登場・学校紹介」に掲載されているJ君の文章だ。随分,生徒にとって都合の良い面ばかり書かれているが,こんな記述があと3倍くらい続く。

さて,僕はこの文章を書いたJ君を教えていないし,実際はどうなのかわからない。しかし,本校ならあり得ることだなあと思った。もちろん,いつでも,どの教員でも,そのような対応をしているのではない。

引用文中にもある全校生徒が秦野あたりを30km歩く行事である『歩く大会』が今日,行われた。途中から雨に見舞われ,悪コンディションだったが,生徒は実によくがんばった。この行事は速さを競うわけではないので僕は好きだ。約30kmの道を6時間以内に歩き通せば良いのだ。もちろん,病気怪我の生徒は最初から,「裏方」に回る。

僕はちょうど中程の,車の通行があり横断に危険を伴う十字路で,交通安全のための「立ち番」(通称)を,10歳以上先輩の同僚としていたのだが,とても面白い光景を目にした。

30kmの道のりを歩くのだから,途中どこかで弁当を食べても良いことになっている。たいてい川原にすわって食べる。また,飲み物も途中の販売機で買って飲んでいいことになっている。こういったことは,私がかつて勤務していた女子校ではありえなかった。学校行事中に飲食物を購入し,まして口に入れるなど,「お里が知れます」(=死語)とばかりに目くじらを立てて禁止していた。

また,お菓子(おやつ)に関しては,特に何も注意していなかった。僕などは古い価値観を持った人間となりつつあるので,やはり,くちゃくちゃ食べながら歩くのは格好悪いと思う。しかし,ときどき何か食べながら,「立ち番」をしている僕たち教員二人の前を通り過ぎようとする生徒もいる。

そこで,一般的な注意なら,「学校行事は授業と同じです。食べ歩きはやめなさい」となるでしょう。しかし,先輩同僚教員は,「おっ,何か食べてるな?それなら私にも下さい」と手を出しているではないか!すると,生徒は,喜んでその先生にお菓子をあげていた。お菓子を食べ歩く生徒はおそらく1割にも満たない(小さな飴やガムは除く)と思うが,その先輩教員は食べ歩きの生徒を見つけると全員に同じように懲りずに,「おっ,何か食べてるの?それなら私にもください」と繰り返した。するとほぼ全員生徒はその同僚にお裾分けをするので,その先生は途中から僕に向かって「ああ,お腹いっぱいになってしまった」と苦笑いしていた。彼はもらうと食べてしまうのだ。

ところで,僕の方だが,同じように「僕にもください」では芸がないので,お菓子を持ち歩く生徒が通ると,同僚の方を指さし,「交通安全祈願のお地蔵様なので,お菓子を食べ歩いている人は,お供え物をしていって下さい。あと,渡るときは車に気をつけて」と諭すようにした。実際,その同僚と僕は生徒の交通安全のためにその信号のない十字路に立っていたのだから。

僕の「お地蔵様にお供えをして」の声かけを無視した者は一人もいなかった。したがって同僚は大量のおやつを手にすることとなった。051031_2

こんな学校に勤務している。専任としては3校目の奉職であり,講師を含めれば,その倍くらいの学校現場を体験してきた。その中で,最も決まり事(いわゆる校則)が少ないのが現勤務校である。しかし,最もきちんと礼儀や作法が身に付いている学校も現勤務校である。

古い学校には,結構わけのわからない校則や内規が存在する。男女交際を禁止したり,部活の試合も女子校とのみ許可している伝統的ミッション(女子)校もある。規則が守られることと,その規則の先にある大事なもの獲得させることとは違う。しかし,規則を守らせさえすれば,その規則が意図していることも実現したと短絡してしまう教師がいることは否定できない。そして,規則や伝統・前例によって生徒を抑圧することの負の側面を軽く見てはいけない。教師が自分の学校の伝統に誇りを持つことと引き替えに,生徒が自分の学校の現在に誇りを持つという当然の権利を奪ってはならない

あまり一般論を言ってもしかたない・・・。歩く大会のあと,同僚と僕は,生徒のボランティアを統括する委員会の委員長と一緒に,ある短大に立ち寄った。普段から,ボランティア活動の協力をしているからだ。そこで大変有意義な話し合いがなされた。その話はまた今度にする。

|

« 神の臨在 | トップページ | 貧しさは神の敵だ »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/136539/6798047

この記事へのトラックバック一覧です: 歩く大会のお地蔵様:

« 神の臨在 | トップページ | 貧しさは神の敵だ »