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2005年10月30日 (日)

神の臨在

今日は,事情でミサに与れませんでした。
恒例のミサ中の聖書朗読に関する記事もお休みとします。
代わりに,オリエンス研究所の『聖書と典礼』今週号の解説ページへのリンク
福音朗読『マタイによる福音書』23.1~12の全文のみ掲載します。

それから,イエスは群衆と弟子たちにお話しになった。「律法学者たちやファリサイ派の人々は,モーセの座に着いている。 だから,彼らが言うことは,すべて行い,また守りなさい。しかし,彼らの行いは,見倣ってはならない。言うだけで,実行しないからである。 彼らは背負いきれない重荷をまとめ,人の肩に載せるが,自分ではそれを動かすために,指一本貸そうともしない。そのすることは,すべて人に見せるためである。聖句の入った小箱を大きくしたり,衣服の房を長くしたりする。宴会では上座,会堂では上席に座ることを好み,また,広場で挨拶されたり,『先生』と呼ばれたりすることを好む。だが,あなたがたは『先生』と呼ばれてはならない。あなたがたの師は一人だけで,あとは皆兄弟なのだ。また,地上の者を『父』と呼んではならない。あなたがたの父は天の父おひとりだけだ。 『教師』と呼ばれてもいけない。あなたがたの教師はキリスト一人だけである。 あなたがたのうちでいちばん偉い人は,仕える者になりなさい。だれでも高ぶる者は低くされ,へりくだる者は高められる。

僕は教師であるから先生と呼ばれることに慣れてしまっていますし,すぐに高ぶる悪い癖もあるので,またまた,耳が痛い箇所です。

ところで,この6月に転居によって教会を移ってから,初めてミサに与れなかった今日,夜に初めて,その教会の助任司祭の神父様から,ある用件でお電話をいただいた。教会に行くことの出来なかった主日に,神父様と話せたことをとても不思議に思い,また,神の臨在を意識できた。僕は普段十字架を首にかける習慣はないのだが,今日は朝から一日中,身につけていた。

そういった意味ではやはり恵みの一日であった。

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