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2005年10月17日 (月)

善いサマリア人

昨日最後にちょこっと触れた「善きサマリア人」の譬えについて,今日は考えてみたい。まず,ルカ10章25~37節を引用しておく。(新共同訳より引用 大矢正則)

すると,ある律法の専門家が立ち上がり,イエスを試そうとして言った。「先生,何をしたら,永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが,「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると,彼は答えた。「『心を尽くし,精神を尽くし,力を尽くし,思いを尽くして,あなたの神である主を愛しなさい,また,隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」しかし,彼は自分を正当化しようとして,「では,わたしの隣人とはだれですか」と言った。イエスはお答えになった。「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中,追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り,殴りつけ,半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが,その人を見ると,道の向こう側を通って行った。同じように,レビ人もその場所にやって来たが,その人を見ると,道の向こう側を通って行った。ところが,旅をしていたあるサマリア人は,そばに来ると,その人を見て憐れに思い,近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ,包帯をして,自分のろばに乗せ,宿屋に連れて行って介抱した。 そして,翌日になると,デナリオン銀貨二枚を取り出し,宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら,帰りがけに払います。』さて,あなたはこの三人の中で,だれが追いはぎに襲われた人の隣人になったと思うか。」律法の専門家は言った。「その人を助けた人です。」そこで,イエスは言われた。「行って,あなたも同じようにしなさい。」

イエスが「隣人愛」について,例のカウンセリング的手法で質問者に気づかせる。

律法学者は「わたしの隣人とはだれですか」とイエスに聞いた。この問いは当時の律法学者にしてみれば当然の問いだといえよう。なぜなら,律法学者達は,律法を厳しく守ることによって,人は神に対して従順でいられると考えていたのであるから。だから,「隣人を自分のように愛しなさい」という律法を厳格に守るためには,私にとって誰が隣人かを問うことはごく自然なことだった。

しかし,ここを読むと,イエスがこの問いに答えていない,あるいはまったく別発想・別次元の返答をしていることがわかる。

見ず知らずの倒れた旅人に出っくわした三人,すなわち,祭司,レビ人,サマリア人のしたことを話し,誰が彼の隣人となったかを逆に問うている。

もちろん,サマリア人なのだが。

イエスは,相手によって隣人かどうかが決まるのではなく,自分のありようによって隣人となれるかなれないかが決まるということを気づかせた。換言すると,隣人愛というのは,自分のありようによって実現する,主体的な行為だということを教えている。

ところで,サマリア人とは,パレスチナのサマリア地方に住んでいた人たちのことで,歴史的な背景から彼らは「混血児」と呼ばれ,当時,売春婦,徴税人,皮膚病者と同様に人々から蔑まれ,差別されていた人たちだった。このたとえ話の中で,隣人となった人として,サマリア人を選んで使ったことで,イエスは「隣人愛」の本質を示している。

倒れた旅人とサマリア人は,歴史的な背景から敵対関係にあったわけである。しかし,祭司やレビ人と旅人の間に隣人愛が成立したのでなく,敵同士であったサマリア人と旅人の間に隣人愛が成立した。だから,イエスのいう隣人愛は仲良し,家族,近所,思想が同じ人間同士の関係ではないのだ。対立する集団の見ず知らずの人間同士の愛。世間的・社会的にいう「隣人」から最も遠い人間同士の愛。自分の何の利益にもならない愛。エゴイズムをはるか越えた決意なのだともいえる。
 
サマリア人のとった行動こそが隣人愛であることを気づかせたわけだが,イエスはそこで,「行って,あなたも同じようにしなさい」と律法学者に言っているが,この「行って,あなたも同じようにしなさい」は私たちにも向けられている。

サマリア人は律法に従ったから愛の行為をしたのではない。憐れに思い助けただけだった。それは人格の内から発した声に従っただけの自由な行動だった。神に対する従順とは,このような主体的な自由な行為を指す。律法を守ることは,そのための必要条件でも十分条件でもない。

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コメント

数日前から、ブログを拝見しています。私は、新米のキリスト者です。
共感する内容が多く、注目しています。
尊敬できる師に恵まれ、交わりを深め、広げて行こうと、身を乗り出したところです。
現在、シモーヌ・ヴェイユの『重力と恩寵』を熟読中。他に、エックハルト、ヴィクトール・ワルナッハを主に読んでいます。

投稿: マルガリタ | 2009年9月19日 (土) 22時41分

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