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2005年10月 8日 (土)

「智子」

051008左の写真。花が置かれている場所は,9月24日から10月4日までの間に何度か,その写真と共に近況をお知らせしてきた毒の花・コルチカムが置かれていた場所です。4日前に「満開を過ぎ,一部は萎れ始めている。まもなく,消え去る運命だろう。」と書いたが,やはりその通りになった。「毒の花退く(ドクノハナドク)」なんて詰まらないオヤジギャグを言ったら,ちょっと年上のオヤジが「どこに行ってもドク運命」と返してくれた。

代わって登場したのが,写真の花。職員の誰かがどこかから摘んできた草花らしい。名前は僕ももう1人のオヤジも知らなかった。しかし,ここのカウンターに花があるのとないのとでは全然雰囲気が違う。摘んできた職員は,そんな人の気持ちを(無意識かもしれないが)知っているのだろう。

それにしても,この名もない小さな黄色い花はせつない。それは,毒を隠しもって美しく咲き,結局その毒を自分の成長の糧として使い果たし,最後は醜く散っていたコルチカムのせつなさとは全然質の違うせつなさだ。全く対極にあるせつなさを感じた。

それはこの黄色のせいかもしれない。この花を見ていたら,「智子」を思い出した。「智子」は黄色い花柄のワンピースを着ていた。「智子」とは,天童荒太の短編『うつろな恋人』の主人公だ。複雑な家庭環境で育った彼女は,10代半ばで心に変調をきたす。変調と書いたが,言い換えれば,「無意識に心の防衛作用が働いて」(作品中,ストレス・ケア・センターで働く美由紀の台詞),そのような症状が出たともいえる。彼女は現実世界にも生きていて,そことの接点も持っているが,同時に,彼女だけに感じられる世界も持っていて,常にそこを拠り所にして生きている。しかし,彼女にとっては,どちらも実感を伴っている現実なのだ。いや,寧ろ,現実世界に居場所がないまま育った彼女にとっては,(彼女を理解しない者たちが「妄想」と呼ぶ)彼女だけが感じることのできるもう一つの世界の方が現実なのだ。現実と呼べないのなら真実なのだ。

天童荒太は,傷ついた心をたくさん見てきたに違いない。短編『やすらぎの香り』の中で,精神科医にこう語らせている。

「みんなそれぞれ一生懸命でも,ちょっとした行き違いが生じることはあるだろう。自分や相手を責めたり,迷惑をかけることを怖がったりするより,まず認めることが大事だと思うんだ。当人に悪意はなくても,傷つけること,また自分も,考えてる以上に傷ついてしまうことが確かにあるとね……。きみも,きみの家族も,特別なわけじゃない。いま言った意味で,普遍的な存在だろうとも思うんだ。きみは病気というより,むしろ心が疲れて参っちまった状態のようだ。でもそれは,きみだけの責任かな。きみひとりで,しょいこみ、解決しなきゃいけないものなのかね。人には,酒に強い人,弱い人がいるよね。ストレスに強い人,弱い人というのも,同じようにいるんじゃないかと思うんだ。酒に弱い人に,それは根性がないからだと,無理やり飲ませたら,どうなる……倒れたら,その人が悪いかい? 酒に弱い人が,酒の席を遠慮したり,理解してくれる人と少しだけたしなむ暮らしを送っちゃ,おかしいかな。強いストレスを避け,気の合う人と,少しずつストレスを分け合うようにして,生きてみる道があってもいいんじゃないかな」051008_2

天童荒太は,今年の夏,研修のために3泊4日長崎を回った時,一緒に行った僕より少し若い同僚(物理科)が勧めてくれたんだと思う。今日のブログで引用した2作品はどちらも,集英社文庫『あふれた愛』に収められている。

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