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2005年10月26日 (水)

孤独を生きぬく

(大矢正則)
今日は孤独について書きます。

以前にも紹介したイシドロ・リバス著『孤独を生きぬく』(講談社新書 1985年)に,孤独についての大変深い考察が載っているので,少し長いけれど引用します。

 日本語では「孤独」と一言で表わしていますが,英語には同じ「孤独」という言葉を少なくとも二つの言葉で表わします。ロンリネス(Loneliness)とソリチュード(Solitude)です。
 ロンリネスは(中略)自分に友達がいない,共鳴してくれる者がいない,交われる人がいない時の寂しい感じです。(中略)
 ソリチュードという言葉の意味はまったく違います。これは一人になるということを指します。たとえばグループの人間関係の中に流されて自分を意識していなかった自己不在の自分が,自分を意識して,自己に立ち戻って充実した自分を生きている時をさします。ソリチュードは,雑念・雑音の世界から離れて静かになって,本当の自分を感じ取り直すことを意味します。ですからソリチュードは,自己実現とつながっていますし,無限の広がりとも関係があります。私は単に団体の中の一個ではなくて,直接に無限と大自然と絶対永遠な世界とつながっていて,自分自身が主体的なもの,深いものであることを感じさせてくれる時間と状態を表わしています。一人でクラシック音楽を聞きながら,その美しい世界に浸る自分,一日の自分にあったことを思い浮かべながら自分の中の豊かさを意識していく自分,あるいは深い本を読んでいる自分,ただ瞑想にふけって黙想していく時の自分のことです。
 ロンリネスは寂しい感じにとどまりますが,ソリチュードは一人でありながら,かえって多くの深い喜びや静かな安らぎと安定感を与えてくれるものです。
 現代人の多くの不安と寂しさは,ソリチュードの時間がほとんどないところからくるのではないでしょうか。学生たちを見ていると,つくづくそう思います。いつもグループでしか動けず,一日中クラスの仲間とかクラブの仲間(中略)とぶらぶら過ごし,自分がちっとも深まらなくて,いつの間にかむなしさに陥ってしまいます。ロンリネスに悩むから仲間を求めますが,しかし本当のロンリネスになるのは仲間がいないからではなく,心の底からの本当のコミュニケーションが足りないからです。いつも他人と共にいてソリチュードがないから,本当の自分を失って,本当の自分を分かち合うことができなくなってしまいます。一言で言えば,ロンリネスになるのはソリチュードが無いからです。
 このように,ロンリネスとソリチエードとは,同じ孤独でもその意味するところはたいへん違いますが,両者は無関係なのでほなく,むしろ深い関係があるとも言えます。ロンリネスに陥って寂しくなる時に,もしそれをごまかさないで正面から見つめれば,多くの場合ソリチュードへのきっかけとなります。すなわち寂しい時に一人になって考えたり,本を読んだり,黙想したりして,深いソリチュードを味わうことができるようになります。
 ソリチュードのおかげで,自分のロンリネス,自分の寂しさの理由がわかり,自分のロンリネスを越えることができる場合がよくあります。(中略)本当は,ソリチュードが人間にとってたいへん必要なもの(引用終わり)

若いとき,孤独であることに気づくと,とても辛いです。気づくきっかけは,多くの場合,自分は他人(たいてい同じ世代の人たち)と同じように生きられない。感じられない。できない,そして,それを打ち明ける友人もいない,家族も理解してくれないということから孤独であることに気づかされます。しかしこれは上の2種類の孤独のうちのロンリネスの方に気づいたに過ぎません。大切なのはここからです。多くのひとの場合,ロンリネスに気づいても,それとはあまり向き合わずに,普通に日常生活を送ります。そういう人たちは一見友だちが多いようにも見えます。しょっちゅう携帯でメールとかしている人たちは大抵そのような人たちです。

しかし,ロンリネスに気づいてしまった後,ロンリネスと徹底的に向き合ってしまう人たちもいます。感受性が強く,まじめな人たちは,そのようにまともにロンリネスを味わってしまいます。そして,それは大変に辛いことです。

私の場合,18歳から22歳までで4年間。今で言うニートをしていました。いまでこそニートは,その人口も増え,社会的にも,ある意味でその存在が認知されていますが,私が(今で言う)ニートだったのは約30年も前のことですから,ニートのニの字もなかった頃です。同級生が22歳のとき。彼らは就職して4年が過ぎたか,大学を卒業した頃でした。そのころ僕は「どこにも所属していなかった」。世間は僕に「落ちこぼれ」・「怠け者」のレッテルを貼りました。いや,本当はそんなレッテルも貼られていなかったのだと思います。僕は世間には存在していなかったのですから。ただ,自分では自分に,「落ちこぼれ」・「怠け者」のレッテルをベッタリと貼っていました。それはまさしくロンリネス地獄でした。

僕の孤独感がソリチュードに変わったのは,突然の出来事でした。どうしてそうなったのかは未だに説明がつきません。ただ,はっきりと覚えていることは,徐々にロンリネスがソリチュードに変化したのではなかったということ。ロンリネスの底まで落ちたときに,その底さえも突き抜けて落ちたらソリチュードの世界が待っていたと言ったらいいのかもしれません。

ソリチュードを知って,孤独に意義を感じるようになってからも,もちろん,ロンリネスの寂しさに苛まれることはしばしばです。しかし,今はソリチュードに立ち帰ることが出来ます。このことを今の私は恵みであると思っています。なぜなら,ソリチュードを意識できてこそ,自分を見つめることが出来るからです。そして自分を見つめれば自分の弱さも知ることが出来,その一歩先にはそれを受け容れる恵みが待っていました。自分の弱さを受け容れるということは,ほとんど同時にそんな弱い自分を支え,生かして下さっている,人間を越えた存在,超越者を受け容れるということでもありました。僕の場合は,その超越者が神であるということを後に実感でき,洗礼を受けました。ソリチュード,つまり一人であることを積極的に受け容れてから4~5年後のことでした。

さて,昨日も引用した哲学者・中島義道さん。彼もまた孤独については,『孤独について』(文春新書 1998年)というそのものズバリのタイトルの本で,孤独とのつきあい方を述べています。051026

私は断じて「孤独を活用して趣味を見つけなさい」とか「自分を充電するいいときです」とかの安易な処世術を教え込もうというのではない。じつは,孤独になり不幸になることは,たいそう辛いからこそ貴重だと言いたいのだ。その辛さがあなたの目を鍛えてくれる。日ごろ,つい見過ごしてしまう「人生の黒々とした根っこ」がはっきり見えてくる。

「人生の黒々とした根っこ」とは何ともおどろおどろしい表現ですが,これを「人間の本性と結びついてしまっていて,人間が変えようと思っても変えることのできないもの」と私は解釈しています。したがって,ニーバーの祈りにもあるように,それは受け容れるしかありません。上の引用は,この本の序章に書かれているのですが,最後の方(第4章 孤独を選び取る)では,

 孤独とは自分に課せられたものではなく,自分があらためて選びとったものだという「価値の転換」に成功すると,そこにたいそう自由で居心地のよい世界が広がっていることに気づく。孤独とはもともと自分が望んだものだということを(中略)負け惜しみではなく,心の底から確認すると,孤独を満喫することができる。それはすなわち,自分の固有の「人生のかたち」を満喫することであり,孤独が履き憤れた靴のように心地よくなることである。
 他人が自分をまったく期待していないことを,他人からまったく期待されていない自分をみずから選びとることによって裏打ちする。他人が自分を排除することを,他人から排除される自分をみずから選びとることによって裏打ちする。他人が自分を無視することを,無視されている自分を選びとることによって裏打ちする。他人が自分を憎むことを憎まれている自分を選びとることによって裏打ちする。

と述べています。こうした孤独感のコペルニクス的転換は,やはり著者のように歳を重ねて初めて会得できるのでしょうね。著者は50歳を過ぎて,このような境地に達したと述べています。しかし,著者は,この本の中頃で次のようにも書いています。

不幸な少年時代を過ごした人間は,それに耐え続けるとその後かずかずの宝が与えられる。

私はこのことを,生きにくいと思っている少年・少女に知ってもらいたいと強く思う。好んで不幸になる必要はないし,好んで不幸になったひともいない。しかし,もし,自分は不幸だと思っているのなら,そしてその実態が孤独感ならば,是非,孤独を生きぬいてほしい。確かにその最中は死にたいほど辛いが,孤独こそ,ひとを育て豊かにする!中島義道さんが言うようなかずかずの宝が与えられる日は必ず来る。そう私は思う。

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コメント

MAGIS sanhe
TrackBack no komento wo nihonngo de kakuto
dousitemo mojibake surunode yamuwoezu mata Romaji desu.

Watashi no BLOG ni TrackBack wo arigatou.
Watashikaramo Track Back desu.

"Oreha sutekina hitoribocchi"
Koreha Solitude wo tataeru shi desu.
Hontoni sutekina shi desune.

投稿: mrgoodnews | 2005年11月13日 (日) 20時05分

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Koreha Solitude wo tataeru shi desu.
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投稿: mrgoodnews | 2005年11月13日 (日) 20時05分

はじめまして。
山本文緒さんという女性作家の「ソリチュード」という作品を読み、ソリチュードの意味を探してまいりました。
孤独にもいろいろあるのですね。
「ソリチュードは一人でありながら,かえって多くの深い喜びや静かな安らぎと安定感を与えてくれるもの」という言葉に感銘を受けました。山本さんの作品もこの視点だと思います。
ありがとうございました。

投稿: 夕螺 | 2007年10月26日 (金) 11時48分

19歳の学生です。今の私は孤独(ロンリネス)です。私を理解してくれる人共感してくれる人はいないと思っています。お話しても意見が食い違ったり、少しでも私の考えから外れた思考をする人が許せないのです。勿論、私の思う通り、完璧な人など存在しないと頭ではわかっているのです。が、許せないのです。なので、一人でいる=他人からの逃避を選びます。そして苦悩します。
ソリチュードは、いわば悟りのようなものなのででしょうか。いつ訪れるかわかりませんが、きっと私も孤独の中で他人がどうこうではなく自分自身を見つめることができるときが来ると信じています。

投稿: | 2013年5月24日 (金) 01時43分

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