« タラントンの譬え話 | トップページ | リフレーミング »

2005年11月20日 (日)

福音宣教

051120 今日は都合でミサに行くことができませんでした。そこで,いつもの聖書朗読に関するブログはお休みにします。代わりに福音宣教について書きます。

左の画像はオリエンス宗教研究所が出している月刊誌「福音宣教」の今月号です。

福音宣教とは何かと言うと,イエス・キリストのメッセージを皆さんに述べ伝えることです。福音という日本語は何ともわかりづらい言葉ですが,英語ではとてもシンプルで,"good news"と言います。つまり「良い知らせ(良いたより)」なのです。これを知らせることが福音宣教ということになります。

実は,カトリック学校(おそらくプロテスタント系ミッション・スクールの場合も同じでしょうが)の使命は,福音宣教にあります。もちろん,それ以前に,文部科学省の傘下にある学校ですから,法規上の学校の要件を満たしていることが大前提ですが,その上でカトリック学校(やプロテスタントのキリスト教主義学校)には,福音宣教という大きな使命があります。

ところで,福音,つまり,"good news"とは何かと言いますと,「あなたのことを神様はよくご存じです。あなたの喜びも,あなたの怒りも,あなたの悲しみも,全部ご存じで,それを一緒に背負い,一緒に歩んで下さる方です」ということになると私は思います。

このことをキリスト教学校は勇気を持って宣言していくことこそ,この「生きづらい」時代に,真の意味で「生きる力」を若い人たちと分け合っていくことができると思います。これが出来ないのならキリスト教学校の存在意義はありません。

私は中高の教師ですから,まずは教科の指導(授業)が出来ることが必要条件として求められることは言うまでもありません。また,ときには生活面での生徒指導もする必要に迫られます。しかし,それだけでは足りません。

(まだまだ足りないと思い,より高いところを目指すことこそ「MAGIS」なのです)

生徒の話を聴くこと。生徒の成長を待つことが求められていると考えます。そして,生徒の中で自分も助けられ成長していきます。これはキリスト教的に言えば,互いに命を与え合うことと言えましょう。これが言い過ぎなら,互いの命を大切にすることとは言えましょう。

|

« タラントンの譬え話 | トップページ | リフレーミング »

コメント

福音のお話を書いていたので、トラックバックさせていただきました。
わたしはカトリックとは関係なく育ちましたが、妻の仕事の関係でカトリック幼稚園の方とお会いすることがあります。シスターや先生方とお話をしていると、小さな子供たちが愛に包まれていることが感じられて、うらやましく感じることがあります。ここのブログに書かれているctさんの学校も、優しい感じがして、生徒さんがうらやましいです。

投稿: さかば | 2005年11月21日 (月) 10時31分

「生きづらい」時代に,真の意味で「生きる力」を若い人たちと分け合っていくことができる
・・・こんにちは
堅信から一息つけました
生きる力を分け合っていくことは
とっても難しいですね
私は生きていくことに疲れてしまったことがあります
今は元気ですけれどね
また後々お話しますね!

投稿: マリアミカエラ | 2005年11月21日 (月) 11時54分

>>マリアミカエラさん
いつもコメントありがとう。
>生きる力を分け合っていくことは
>とっても難しいですね
はい。その通りです。
でも不可能ではありませんよね。
主の御臨在によってのみ可能だと思います。

投稿: ct | 2005年11月22日 (火) 19時52分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/136539/7217857

この記事へのトラックバック一覧です: 福音宣教:

» マラソン、エヴァンゲリオン、エヴァンジェリスト、福音 [心のさかば]
キリスト教の本を立ち読みしていたら、エヴァンゲリオンが出ていました。そういえば、 [続きを読む]

受信: 2005年11月21日 (月) 10時15分

» マラソン、エヴァンゲリオン、エヴァンジェリスト、福音 [心のさかば]
キリスト教の本を立ち読みしていたら、エヴァンゲリオンが出ていました。そういえば、 [続きを読む]

受信: 2005年11月22日 (火) 23時53分

« タラントンの譬え話 | トップページ | リフレーミング »