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2005年11月28日 (月)

自由への長い旅

岡林信康という人を知っている世代は,もう中高年と呼ばれる人たちだろう。彼は昔,「フォークの神様」と呼ばれた人だ。1960年代の話である。有名な歌では「友よ」がある。1番の歌詞は,

友よ夜明け前の闇の中で
友よたたかいの炎をもやせ
夜明けは近い夜明けは近い
友よこの闇の向こうには
友よ輝くあしたがある

というものであった。1960年代,大学生が好んで歌ったという。僕が岡林を知ったのは,1970年代である。最近あまり出てこないので淋しい。昨夜一人でドライブしながら,彼の古いCDを聞いていたら,次の歌詞が心に響き渡った。

この道がどこを通るのか知らない
知っているのはたどりつくところがあることだけ
そこがどこになるのか そこで何があるのか
わからないまま・・・

という歌詞である。「自由の長い旅」という曲の一部で,この曲は30年以上聴き続けているが,昨日は特別に響いた。それは,この日の朝,ミサで読まれた福音朗読にピーンと繋がったからだ。朗読箇所を引用する。

[イエスは言われた。]気をつけて,目を覚ましていなさい。その時がいつなのか,あなたがたには分からないからである。それは,ちょうど,家を後に旅に出る人が,僕たちに仕事を割り当てて責任を持たせ,門番には目を覚ましているようにと,言いつけておくようなものだ。だから,目を覚ましていなさい。いつ家の主人が帰って来るのか,夕方か,夜中か,鶏の鳴くころか,明け方か,あなたがたには分からないからである。主人が突然帰って来て,あなたがたが眠っているのを見つけるかもしれない。あなたがたに言うことは,すべての人に言うのだ。目を覚ましていなさい。」(マルコ13.33~37)

これは終末論である。この短い箇所で「目を覚ましていなさい」と3度も書かれている。ところで,

いつ家の主人(=神)が帰って来るのか,あなたがたには分からない(35節)

に耳を傾けたい。つまり,いつ終末(=世の終わり)が来るのか人には分からないとイエス様は言ってる。その時は「家の主人が帰って来るとき」なのだ。終末=主の再臨は,キリスト教信仰の根幹である。しかし,それがいつやって来るかは人には分からないのだ。終末の実際がどんなものかは計り知れないが,少なくとも,人にとっては「死」を意味する。その「死」は終わりであるのと同時に,新しい何かの始まりを意味する。これが私の捉えている終末思想だ。その終末は必ず来る。しかし,上の聖句にあるようにいつ来るか分からない。これを人間の視点で言えば,「いつか必ず死んでしまう。しかしそれがいつなのか分からない」ということになろう。でも,だからこそ生きる意味や価値があるのではないか。

死ぬ日が分かっていたら,生き方が変わってしまう。
いつ死ぬか分からないが,いつか必ず死ぬのだから,(いつなのかは分からないが必ず世の終わりが来て,主が再臨されるのだから,)目を覚ましていなければならない。人が生きるとはそういうことだろう。

この道がどこを通るのか知らない
知っているのはたどりつくところがあることだけ
そこがどこになるのか そこで何があるのか
わからないまま・・・

そう,この歌のように生きていくわけだ。主に会って,私たちが未だ知らない,想像を絶する本当の自由をいただくために。因みに,この歌を作った岡林さんのお父様は牧師さんであった。また,岡林さん自身も同志社の神学部で学んだ。

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