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2005年11月19日 (土)

タラントンの譬え話

051113明日はもう主日ですが,先週日曜日のミサの福音朗読は「タラントンの譬え話」という有名な箇所でした。「マタイによる福音」25章14~30節です。

主旨は,神は,人それぞれに対して,違った才能(タラントン)をお与えになった。多く(五タラントン。二タラントン)を与えられた者は,それを活かしたので,神は更に多くを与えた(神の国に入れる)。しかし,はじめから,少し(一タラントン)しか与えられなかった者は,それさえ活かしきれなかったので,その少しのものさえも神は取り去った(神の国に入れない)。というものです。

全文は,

[イエスは語られた] 「天の国はまた次のようにたとえられる。ある人が旅行に出かけるとき,僕たちを呼んで,自分の財産を預けた。それぞれの力に応じて,一人には五タラントン,一人には二タラントン,もう一人には一タラントンを預けて旅に出かけた。早速,五タラントン預かった者は出て行き,それで商売をして,ほかに五タラントンをもうけた。同じように,二タラントン預かった者も,ほかに二タラントンをもうけた。しかし,一タラントン預かった者は,出て行って穴を掘り,主人の金を隠しておいた。さて,かなり日がたってから,僕たちの主人が帰って来て,彼らと清算を始めた。まず,五タラントン預かった者が進み出て,ほかの五タラントンを差し出して言った。『御主人様,五タラントンお預けになりましたが,御覧ください。ほかに五タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから,多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』次に,二タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様,二タラントンお預けになりましたが,御覧ください。ほかに二タラントンもうけました。』主人は言った。『忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから,多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ。』ところで,一タラントン預かった者も進み出て言った。『御主人様,あなたは蒔かない所から刈り取り,散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので,恐ろしくなり,出かけて行って,あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。御覧ください。これがあなたのお金です。』主人は答えた。『怠け者の悪い僕だ。わたしが蒔かない所から刈り取り,散らさない所からかき集めることを知っていたのか。それなら,わたしの金を銀行に入れておくべきであった。そうしておけば,帰って来たとき,利息付きで返してもらえたのに。さあ,そのタラントンをこの男から取り上げて,十タラントン持っている者に与えよ。だれでも持っている人は更に与えられて豊かになるが,持っていない人は持っているものまでも取り上げられる。この役に立たない僕を外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう。』」

この話は,二ヶ月前の9月18日にこのブログで書いた、「マタイによる福音」20章1節~16節,「ぶどう園の労働者」の譬え話と一見矛盾する。あの話は,ぶどう園の主人(神)は,朝から夕まで一生懸命働いた労働者にも,夕方から来てほんの少しだけ働いた労働者にも,一デナリオンという同じ賃金を払ったという内容であった。つまり,少しでも神に捧げた者を神は受け入れるという話だったのである。これはけっして怠けることを推奨した話ではないことはいうまでもない。むしろ,問題にしていたのは,「わたしの気前のよさをねたむのか」(マタイ福音書20章15節)という言葉に象徴されるように,強者(朝から働けた者)の弱者(夕方まで職に就けなかった者)に対する傲りである。傲りは不信仰の別名。信仰は神の前での謙虚な姿勢を指す。

さて,「タラントンの譬え話」ではどうか。やはり問題になっているのは不信仰である。問題箇所は「御主人様,あなたは蒔かない所から刈り取り,散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので,恐ろしくなり,出かけて行って,あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。」というところである。神は一人一人を心に留め愛しておられる方。そして一人一人に違ったタラントンを,神の良いご計画に沿ってお与えになっている。人間から見れば,「他人には五タラントンや二タラントンなのに自分には一タラントン」と思える人生も,神から見れば等しく尊い人生だ。それなのに自分のタラントンを他人と比べ少ないと思い,活かさずに地の中に隠してしまうのは,やはり不信仰だ。「神に対する信頼のなさ」の表明だからである。

五タラントン,二タラントン,一タラントンは受け取った側の言い分なのではないだろうか。

神との信頼関係を結び直したいと思う。それは人との信頼関係を結び直すことと同意である。なぜなら,神は人を通して私に語り,私と関係するからである。

今日,勤務校では私の担当学年の保護者会があった。そこで校長(神父)が保護者の皆さんに話したことの一つは,「生徒が成長するのに必要なことは家庭と学校との信頼関係である」ということであった。信頼関係の中にこそ人を活かす力が潜んでいる。信頼関係のない中ではけっして子どもは成長しない。大人も成長できない。そう思う。

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