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2005年12月30日 (金)

「お前は私だ」

051230 愛するとは,なま易しいことではない。

しかし,哲学者の今道友信さんは,著書『愛について』(講談社 1972)の冒頭で,「愛は原体験である」と述べている。原体験とは,すべての人が体験しなければならない(また,しているはずの)体験を指す。

現代の神秘家といわれるモーリス・ズンデル神父は,著書『沈黙を聴く』(女子パウロ会 1992)の中(追加記載:『沈黙を聴く』はズンデルの著書ではなく,ズンデルが残した手記などを,福岡カルメル会が編訳したものでした。30日午後3時45分追加)で,

「愛するとは,他者となること」

と言い切っている。

これは何とも難しい。もし,この世に近いものがあるとすれば,胎児と母親の関係がある。これはまたすべて人間にとって原体験でもある。

我が子を宿しているとき,妻は実際に,身(=歯・骨・髪・肉・血・・・)を削って,我が子となった。

さて,ズンデル神父によれば,「お前は私だ」と仰る方が私たちのうちに住まわれているという。その方はもちろん神である。このこともまた,人間の原体験だと思う。

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コメント

ct さんへ
「愛するとは他者になることである」(モーリス・ズンデル)という定義にちょっとショックを受けています。
このことをもうすこし思いめぐらしてみます。

マザーテレサは、他者になりきったのでしょうか?
コルベ神父は身代わりとなった人になりきった?
イエスは……………?

以前、コメントを記入すると文字化けしていてやむをえずローマ字で書き込んでいたのですが、ブラウザーを Mac のIEから SAFARI に変えたら文字化けしなくなりました。

投稿: mrgoodnews | 2005年12月30日 (金) 12時02分

「身を削って,我が子となった。」
母親がそんな思いをして・・・というかそこまでして私をうんでくれたのに
私はなんだか期待はずれの人間になっています
仕方ないって言えば仕方ないのですが
来年は無理の無いようにちょっとは働いて
生活費を入れようかな

投稿: maria michaela | 2005年12月30日 (金) 15時24分

さてこのPCがある部屋の主が明日からお正月休みに入ります
私のほうのブログは更新が不定期になりますがよろしくおねがいします
ことしはほんとうにお世話になりました
来年もよろしくお願いします

投稿: maria michaela | 2005年12月30日 (金) 15時52分

>>mrgoodnewsさん
文字化けしなくなって良かったです!
さて,

>「愛するとは他者になることである」(モーリス・ズンデル)という定義にちょっとショックを受けています。

とのことですが,私の引用のしかたがうまくなかったかもしれません。
もともと,この言葉が書かれている本は,彼の著書ではなく,
彼が残した手記を,福岡カルメル会が編訳したののでした。
件の記事は,”神-愛”という小項目から採りました。
この小見出し”神-愛”もズンデル本人によるものではないと思われますが,
ここでは,ズンデルが,神=愛であるということを書いています。
件の引用の含まれる段落全部を引いておきます。

「愛するとは,他者となること,他者のうちに住むことである。もはや自分自身ではなく,自分に属するのではなく,他者のものとなることである。したがって,愛である神がその限りない聖性の度合いに応じてそのような方であると考えるのはむずかしいことではないであろう。」

なお,彼の独創的で大胆な発言は生前異端視されることが多かったそうです。
1897生まれ,1975年没ですから,今年が没後ちょうど30年です。
彼が日本に紹介されてからまだ10数年でしょうか。

投稿: ct | 2005年12月30日 (金) 16時06分

>>maria michaelaさんへ

>母親がそんな思いをして・・・というか
>そこまでして私をうんでくれたのに
>私はなんだか期待はずれの人間になっています

そのように感じているのですねぇ。
でも,それでもお母様は,あなたが好きでしょう?
あなたのブログにときどき出てこられるお母様に関する記述を読むと,
他のどなたよりもあなたを愛おしんでおられるように思います。

確かに親が子どもに期待するということはありますが,
子どもと共に親は変化していきます。
むしろ,子どもによって,親にされていくものだと思います。

「子どもが,生きていてさえくれれば,親は嬉しい。」
予期せぬことが起こったとき,よく耳にしますが,
これが親の単純な願いなのです。
あなたの存在そのものを親御さんも神様も喜んでいらっしゃると,僕は思います。
(ごめんなさい。一応三人の娘の親なので,エラそうなこと言っちゃっていますね)

>来年は無理の無いようにちょっとは働いて
生活費を入れようかな

そんなふうに考えていらっしゃるのですね。
あなたがそう考えているだけで,きっと親御さんはお喜びですよ。
できるか,できないかは二の次なんです。

あと,
>ことしはほんとうにお世話になりました
>来年もよろしくお願いします

なんて,ご丁寧にどうも。
こちらこそ,いろいろありがとう!
今後ともよろしくお願いします。

投稿: ct | 2005年12月30日 (金) 16時29分

あと少しで2005年が終わりますね。

ctさんとご家族の上に、いつくしみ深い神様の祝福と恵みが豊かにありますように…
そしてまた、この地上に主の平和がもたらされますように…

来年もどうぞよろしくお願いいたします。
どうか良いお年をお迎えくださいね。

投稿: stella maris | 2005年12月31日 (土) 22時44分

この記事を読んでいて「自己からの開放の祈り」を思い出しました(全文の記事をトラックバックさせていただきました)。

主よ、わたしは信じきっていました。
わたしの心が愛にみなぎっていると。
でも、胸に手を当ててみて、本音に気づかされました。
私が愛していたのは他人ではなく、
他人の中に自分を愛していた事実に。
主よ、私が自分自身から解放されますように。

方向は違うものの、同じ問題を表していると思います。いかがでしょうか?

投稿: さかば | 2006年1月 1日 (日) 23時50分

>>さかばさん
コメントと祈りに詩の紹介ありがとうございます。
>方向は違うものの、同じ問題を表していると思います。
はい。同じ問題を扱っているものと思います。
イエズス会士で心理学者のジョン・パウエル神父の
『なぜ自分を知らせるのを恐れるのか?』,
『愛することをなぜ恐れるのか?』(どちらも女子パウロ会刊)は,
その辺を心理学的に分析したキリスト教心理入門の本です。
もちろんキリスト教は心理学だけで解明できるものではありませんが。

投稿: ct | 2006年1月 3日 (火) 13時44分

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