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2005年12月 1日 (木)

心のいと深きところに平和

いつもこのブログにコメントを寄せて下さるmaria michaelaさんが,「主の平和」は「いい響きです」とご自分のブログに書いていらっしゃいます。 そちらの方に投稿したコメントと重複する内容ですが,「主の平和」。ホントにいい響きだと私も思います。

ところで,「主の平和」ってどんな平和なのでしょうか。
単に,「戦争・略奪・残虐行為などの非人道的な出来事がない」というイメージではないと思われます。
もちろん,これらも大切な平和であることは言うまでもありません。
しかし,それらは,人間の手によって行われていることですから,人間の手によって解決されるべき問題です。
よって,これらが解決して訪れるのは「人間の平和」でしょう。人間は愚かで有限ですから,この平和が長続きしないことは歴史が語っています。人類の歴史は,争いと奪い合いの歴史ですから。

ところが,「主の平和」は違います。主は天のいと高きところにおられる永遠の方です。
したがって,「主の平和」は,天のいと高きところの平和,終わることのない平和なのです。
「天のいと高きところ」。そこは,いつもミサで唱える栄光の場所。

大学生だった頃,クリスマス・ミサの説教で,私の指導司祭が,
「天のいと高きところ。それは,あなたのこころのいと深きところ」と熱く語られたことを,今でも昨日のことのように思い出します。

だから,「主の平和」は,こころのいと深きところの平和。人智を越えたやすらぎ。神様の憐れみによってのみ与えられるいこいの場。永遠に生きる場所。そして,与えられるためには,・・・,求めるだけでよいと書いてある。

求めなさい。そうすれば,与えられる。探しなさい。そうすれば,見つかる。門をたたきなさい。そうすれば,開かれる。だれでも,求める者は受け,探す者は見つけ,門をたたく者には開かれる。(マタイ7.7~8)

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コメント

>>maria michaelaさん
トラックバックありがとう。
「神様の憐れみによってのみ訪れるいこいの場」。
気が付いたら,「ここなのかあ」と思える日が来ると良いね。

投稿: ct(管理者) | 2005年12月 1日 (木) 11時12分

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