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2005年12月26日 (月)

カトリック学校1<第2バチカン公会議>

私のアイデンティティ。
それは家族の一員であることである。妻の夫であり,三人の子どもの父親であること。
もう一つ,社会的なアイデンティティ。それは『カトリック学校教師』である。

1986年の大学卒業以来,途中2回学校を変わったが,一貫してカトリック学校の教壇に立ち続けている。尤も途中1年間は非常勤講師であったため,同時にプロテスタントのキリスト教主義学校や無宗教の学校の教壇にも立った。

さて,カトリック学校とは何か?

それはもちろんイエス・キリストの生誕に原点を置いた学校である。キリストの生誕を記念し,思いを新たにするためにも,カトリック学校について,今日から数回書いてみたい。

今回は,かつての勤務校の研究紀要に執筆した拙論から引用する。

<第2バチカン公会議>

 カトリック学校とは何かという問いに答えるには,イエス・キリストに依る他はない。その「キリストのからだ」(1)である教会は,第2バチカン公会議(1962年~1965年)において,『キリスト教的教育に関する宣言』(“Gravissimum educationis ”)を出した。その中で,「カトリック系学校の固有の使命は,学校内に自由と愛の福音的精神に満たされた学校共同体のふんい気をつくること,青少年が自分の人格を発展させると同時に,洗礼によって新しい被造物となった青少年は新しい被造物として成長するように助けること,また生徒が世界,生活,人間について徐々に習得する知識が信仰に照らされるように,人類の全文化を究極的に救いの知らせに秩序づけることである。こうしてカトリック系の学校は,進歩する時代の状況に対して開放的態度をとりながら,地上の社会の福祉を効果的に促進させるよう生徒を教育し,かれらが神の国の拡張のために奉仕するよう準備させる。それは,生徒が模範的および使徒的生活の実践により,人間社会にとって,いわば救いのパン種となるためである。したがって,カトリック系の学校は,神の民の使命を果たすうえに大いに貢献し,教会と人間社会相互間の利益のため両者の対話に役立つことができ,そのために現代の状況のもとでもきわめて重大な義務を有している。」(2)と宣言している。信者の生徒も教職も少数である日本のカトリック学校にこの内容がどれだけの意味を持つものかと思うが,宣言は,カトリック学校の多様性にも言及し,「なんらかの意味で教会に依存している学校はすべて,カトリック系の学校のこの理想像にできるだけ合致しなければならないが,一方またカトリック系の学校は地域的な事情に従って種々の形態を取り入れることができる。実際,教会は,特に新しい教会の地区において,カトリック信者でない生徒をも在学させているカトリック系の学校を高く評価している」(3)と続けている。とすれば,日本のカトリック学校は最も高く評価される部類に属するであろう。日本のカトリック学校は,殊に首都圏を中心に,偏差値の高い生徒を集めるというカトリックとは無関係な地域的な事情に大きく依存している。


(1)新約聖書『エフェソの信徒への手紙』1:23,4:12。『コリントの信徒への手紙一』12:27。『コロサイの信徒への手紙』1:18,1:24,2:19
(2)南山大学監修『第2バチカン公会議公文書全集』(1986 サンパウロ)の中の『キリスト教的教育に関する宣言』P.188~189
(3)同P.190

次回に続く

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コメント

 はじめまして。
 私はカトリックの中高に通っていました。
 記述にあるような使命をうけおったカトリック学校に通っていながらも、私の学園生活といえば全くといってよいほど信仰心に芽生えず、それどころか「自由と愛の福音的精神」に甘んじた日々だったように思います。
 今は思うところあって教会に足を運ぶようになりましたが、でも信仰の道へと歩んでいく覚悟までにはいたらずです。
 私のような生徒はカトリック学校において少数ではないと思うのですが、やはり先生方からすると、あまり良い印象ではないのでしょうね。お恥ずかしい限りです。
 けれども、例えばボランティア活動にしても、信仰のこころとは関係なく「喜んでもらえることをして、うれしい」とか、友人や周りの人と喜び合い、高め合う幸せを体験を通して学び、実践できるようになることも当たり前ですがありますよね。
 信仰の道に歩むことはなくても、学園生活で(だけとは限らずですが)勉強よりも大切なこと-自分と相手を大切にするということ-をたくさん学び卒業できたので、私はこの学校に通えてよかったと心から思っています。
 長々と失礼いたしました。

投稿: hawa | 2005年12月26日 (月) 22時29分

>>hawaさん

はじめまして。ご訪問と書き込みありがとうござます。
カトリック学校についての記事に,
あなたのようにカトリック中高で学んだ方がコメントして下さって,とても嬉しく思います。

>私のような生徒はカトリック学校において少数ではないと思うのですが、やはり先生方からすると、あまり良い印象ではないのでしょうね。お恥ずかしい限りです。

いいえ。全然そんなことはないですよ。
カトリック学校の魂はキリストです。
しかし,そこは教会ではなく学校でですから,キリスト教を信じることを,直接教えるところではありません。
私たちが,伝えたいことは,イエス・キリストのメッセージ。
それは,「あなたは,とても大切な人だ」ということ。

>けれども、例えばボランティア活動にしても、信仰のこころとは関係なく「喜んでもらえることをして、うれしい」とか、友人や周りの人と喜び合い、高め合う幸せを体験を通して学び、実践できるようになることも当たり前ですがありますよね。

そうですよ。それが体験できたのなら,良かったです。

>信仰の道に歩むことはなくても、学園生活で(だけとは限らずですが)勉強よりも大切なこと-自分と相手を大切にするということ-をたくさん学び卒業できたので、私はこの学校に通えてよかったと心から思っています。

自分の通った学校を好きになることって,実はとても良いことですよね。
僕も,卒業した大学がいまでも大好きです。

また,ブログMAGISに遊びに来て下さい。


投稿: ct(MAGIS管理者) | 2005年12月29日 (木) 13時09分

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主の御降誕、おめでとうございます。 昨年は、24日の夜半のミサが四谷のイグナチオ教会(麹町教会)、25日の日中のミサが三軒茶屋教会でしたが、今年の夜半のミサは、ちょっぴり近くなったこともあって(終電の時間を駅すぱあとで調べておいてから)、自分の教会の22:00からのミサに出てみました。 終わるのが23:30近くなるのに、21:30からクリスマス・キャロルがあったためか、もう聖堂はいっぱいで、至聖所の裏の小さな仮の聖堂(初めて入った!;ここ、泣き部屋(*)なのかな?)に通され、そこでテレビ画面に映され... [続きを読む]

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