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2006年1月20日 (金)

構成的グループエンカウンター

前任校から現在の勤務校の専任になる間の1年間,私はフリーターをやっていました。現勤務校を含めて5つの学校(男子校も女子校も共学もありましたし,カトリック校もプロテスタント校も無宗教の学校もありました)を日替わりで掛け持ち,さらに,(食べていくために)他にも仕事をしていました。中には本当に厭な仕事もありました。しかし,一番印象に残っているのは,月2回程度携わっていたカウンセラーの仕事です。私の場合,日本教育カウンセラー協会の認定カウンセラー(中級)ですので,主に成人前の人たちが対象です。今日はその関連のことを一つ書こうと思います。

教育の現場において,構成的グループエンカウンターというのが,5~6年前から流行っています。構成的グループエンカウンター(Structured Group Encounter:SGE)とは,(1)リーダーによるインストラクション (2)参加者の思考・感情・行動に揺さぶりをかけるための演習であるエクササイズ (3)参加者の思考・感情・行動を修正・拡大するためのふりかえりであるシェアリング,以上の3部からなるグループの教育力を利用した体験学習的サイコエデュケーション,もしくは集団対象の能動的カウンセリングです。創始者である國分康孝氏によって「ありたいようなあり方を模索する能率的な方法として,エクササイズという誘発剤とグループの教育機能を活用したサイコエデュケーションである」と要約されています  。「エンカウンター」の日本語訳は「出会い」ですが,構成的グループエンカウンターにおいて「出会い」とは,通常より深いレベルでの「自己との出会い」と「他者との出会い」を意味します。

グループエンカウンターには,ロジャーズ流に代表されるような非構成的なもの(Basic Encounter Group)と,後発の構成的なものがあります。しかし今日,学校教育関係でエンカウンターといったら,構成的グループエンカウンターを指すことがほとんどです。

さて,なぜエンカウンターが流行っているのでしょうか。教師が現場での実践に手応えを感じ,一度実践した者が繰り返し実践し,また,それを知った周囲の教師が,自分もやってみようと実践するからであると思われます。なぜ現場の教師が手応えを感じるのかと言いますと,生徒・児童(私は中高教師ですので,以下,生徒と書きますが)の求めに,エンカウンターは応えているからであると考えられます。

生徒が求めているものは何かと申しますと,それは,エンカウンターが人間関係をつくることと,人間関係を通して自己を発見することや他者を理解することをねらいとして実施されていることを考えればわかります。昨今,人間関係の希薄化が指摘されてますが,いま目の前の生徒がまさに求めているものは,この人間関係の形成――心のふれあいなのです。そして,自分とは何者かを知りたい。相手のことも理解したい。生徒の求めはこれだと思います。いかがでしょう?

社会の教育力が低下し,また,便利で安価に物を手に入れやすくなった今日,子どもたちは,ある意味において,一人で生きやすくなりました。彼等・彼女等は,怒られる体験も,迷い悩む体験も,かつての子供たちのようには体験しないまま,思春期まで育ってきます。対話しながら人間関係を形成し,その中で,自他の違いを知り,そのことによって自己を発見したり,他者を理解したりするという機会が著しく減っているのです。夕方,神社の境内から小学生の遊ぶ声がしなくなって,四半世紀が経つのです。

ですから,今日エンカウンターをすると盛り上がります。たとえば,かつての校庭の定番『凍結鬼ごっこ』 (『助け鬼』『氷』『ドロ警』はほぼ同じ遊び)などもエンカウンターのエクササイズ集に登場しています。かといって,学校が神社の境内や公園の役割を引き受けるようになったのではありません。学校は本来グループ活動の場なのです。学校には多様な生徒がいます。しかも成長するのに必要な一定の年数在籍します。ですから,グループ活動に意味が出てきて教育的な実践が可能になります。多様な成員からなるグループには個々人の成長を促す教育力があります。学校に与えられたこの特有の教育力を活用しない手はありません。今後,生徒の真の求めに応じたもっとよいグループ・アプローチが登場してこない限り,エンカウンターは,発展することはあっても,廃れることはないと思われます。

こうした,エンカウンター隆盛を,諸富祥彦氏は次のように語っています。

かつての貧しい時代,さまざまな“壁”が横たわっていた時代であれば否応なく感じることのできた,ゴツゴツした抵抗感を今の子どもたちの多くは感じない。ぶつかることのできる“壁”があれば,子どもが自分の存在を実感するのはそうむずかしいとではない。壁のない,豊かな時代であればこそ,子どもたちは,自分という存在の輪郭を明確に描くことは困難になってきているのだ。構成的グループエンカウンターは,こんな時代を生きる子どもたちに,自分という存在の輪郭をハッキリ感じ取ることのできる機会を豊富に与えていく。「これが自分だ」「自分はこんな人生を生きたい」「私は,こんな自分になりたい」―――こんな意識を喚起して,子どもが自分という存在の輪郭をくっきり描く,そのお手伝いをしていくユニークな教育方法である。存在感の希薄なこの時代のニーズにまさにこたえうる教育方法である。
(諸富祥彦『エンカウンターこんなときこうする中学校編』図書文化 2000年)

また,國分康孝氏も

今の時代は人口移動が激しく,テクノロジーが発達し,少子化傾向が進み,遊び仲間が少なくなったために,人間関係のナマの体験が持ちにくい。その結果,人間関係をつくりこれを維持するのが苦手となり,引きこもりがちになる。したがって慢性の孤立感から脱却できない苦しみのほかに,自分は一体何者であるか分からないむなしさ・虚無感に取りつかれる人がふえてくるだろうと予測できる。こういう時代を生き抜くためには,人間関係をナマで体験し(心のふれあい),それを通して自分をとり戻す(自己発見)必要がある。SGEはこういう時代の要請に応えようとするものである。人間性回復運動の旗手がSGEである。それゆえ,今のような時代が続く限りSGEは続くであろうと私は思っている。
(國分康孝『続構成的グループ・エンカウンター』誠信書房 2000年)

と書いておられます。

また,エンカウンターは,構成的であるがゆえに,生徒の求めに,より自由に応えることができます。
長くなってしまいましたので,この辺りの具体的なことはまた今度書きます。

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