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2006年1月29日 (日)

カトリック児童福祉の日

060129 今日のミサでの福音朗読は,マルコによる福音書1章21節~28節。日本聖書協会共同訳から全文引用すると,

一行はカファルナウムに着いた。イエスは,安息日に会堂に入って教え始められた。人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく,権威ある者としてお教えになったからである。そのとき,この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。「ナザレのイエス,かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。」イエスが,「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると,汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ,大声をあげて出て行った。人々は皆驚いて,論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると,その言うことを聴く。」イエスの評判は,たちまちガリラヤ地方の隅々にまで広まった。

遠藤周作氏が『イエスの生涯』において,「ガリラヤの春」と呼んだ時代の始まりである。
しかし,この春はそう長くは続かなかった。実は,イエスは,彼等が待ち望んでいたような王ではなかったからだ。

当時のイスラエルの人々は自分たちに都合の良いメシアを求めていた。しかし,イエスは違った。
現在の私たちはどうだろうか?
今日,ミサを捧げながら,そんなことを考えると憂鬱な気分になった。

さて,今日は「カトリック児童福祉の日」。
現在日本は少子化の波が一気に押し寄せているが,児童養護施設への入所希望者は逆に増え続けているという。私の勤務校の生徒と交流のあるカトリック系の「子供の家」(さまざまな理由で親と一緒に暮らせない子供たちが住んでいる施設)も満杯で,入居希望者に待ってもらっている状況である。

今日のミサ中に捧げられた共同祈願を,改めて祈願したい。

神から恵みを受けて育つ子どもたちが,人とのふれあいの中で神との出会いを豊かに感じ,その喜びを伝える光の子となっていきますように。

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コメント

そういえば、カトリック児童福祉の日だったのですね。イエスに勝手な期待をしていた人々と、子供に勝手な夢を押し付ける親。救ってくれるのは、どちらにも神の愛だと思います。なんだか似ているので、トラックバックさせていただきました。

投稿: さかば | 2006年1月30日 (月) 02時27分

こんにちは
うちの教会では
先日のミサで確かに小さなピンクのパンフレット(っていうのでしょうか?)
が置いてありましたが(私は無意識に「子どもは私と関係ないことだ」と思い)、取りませんでした
教会のミサの中でも、「児童福祉の日」についてはふれることがありませんでした
今となっては反省ですね・・・(^^;

投稿: maria michaela | 2006年1月30日 (月) 13時49分

>>さかばさん
コメントとトラックバックをありがとうございました。
>子供に勝手な夢を押し付ける親
そうですね。
子どもと共に夢を目指す親・大人でありたいものです。
それがなかなか大変ですが・・・。
神様のお恵みを乞います。

投稿: ct(MAGIS管理者) | 2006年1月30日 (月) 17時56分

>>maria michaelaさんへ
コメントをありがとう。
昨日はミサに行くことが出来たことをそちらのブログで知りました。

>教会のミサの中でも、「児童福祉の日」についてはふれることがありませんでした
今となっては反省ですね・・・(^^;

でも,このブログを読んでさって,
「カトリック児童福祉の日」を知って下さったのなら嬉しいです。

投稿: ct(Magis) | 2006年1月30日 (月) 21時20分

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