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2006年1月 8日 (日)

別の道

060108今日,カトリック教会では「主の公現」の祭日でした。公現とは広く世に知れ渡ることをいいます。カトリック東京教区の公式サイトにある『福音のヒント』というブログ(?)には,

「公現」はギリシア語では「エピファネイアepiphaneia」で「輝き出ること」です。

と書いてあります。この『福音のヒント』は毎週の主日の福音について,非常に深く学べるカトリック教会の公式サイトです。皆さんも是非,見に行ってください。

さて,私は一信徒として,いつものように聖書について学んだと,感じたことを書きたいと思います。

第一朗読は,『イザヤの預言』60章1節~6節。

[エルサレムよ,]起きよ,光を放て。あなたを照らす光は昇り 主の栄光はあなたの上に輝く。見よ,闇は地を覆い 暗黒が国々を包んでいる。しかし,あなたの上には主が輝き出で 主の栄光があなたの上に現れる。国々はあなたを照らす光に向かい 王たちは射し出でるその輝きに向かって歩む。目を上げて,見渡すがよい。みな集い,あなたのもとに来る。息子たちは遠くから 娘たちは抱かれて,進んで来る。そのとき,あなたは畏れつつも喜びに輝き おののきつつも心は晴れやかになる。海からの宝があなたに送られ 国々の富はあなたのもとに集まる。らくだの大群 ミディアンとエファの若いらくだが あなたのもとに押し寄せる。シェバの人々は皆,黄金と乳香を携えて来る。こうして,主の栄誉が宣べ伝えられる。

今日の福音朗読は,この預言が成就したことを示す。第二朗読は,『使徒パウロのエフェソの教会への手紙』3章2節,3節後半,5節~6節。

[皆さん,]あなたがたのために神がわたしに恵みをお与えになった次第について,あなたがたは聞いたにちがいありません。秘められた計画が啓示によってわたしに知らされました。この計画は,キリスト以前の時代には人の子らに知らされていませんでしたが,今や“霊”によって,キリストの聖なる使徒たちや預言者たちに啓示されました。すなわち,異邦人が福音によってキリスト・イエスにおいて,約束されたものをわたしたちと一緒に受け継ぐ者,同じ体に属する者,同じ約束にあずかる者となるということです。

『聖書と典礼』(写真)の注釈に依れば,「旧約において神の約束を受けたのはアブラハムとその子孫」でした。しかし,パウロはこの手紙で,「異邦人とユダヤ人がキリストにおいて一つとなり,神に近づくことができるようになった」(『聖書と典礼』より)と伝えています。彼は啓示によってこの神の「秘められた計画」を知ったと書いてあります。そして,その秘められた計画が書かれているのが,今日の福音朗読,『マタイによる福音』2章1節~12節です。

イエスは,ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき,占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て,言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は,どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので,拝みに来たのです。」これを聞いて,ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆,同様であった。王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて,メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 『ユダの地,ベツレヘムよ,お前はユダの指導者たちの中で 決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ,わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」そこで,ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ,星の現れた時期を確かめた。そして,「行って,その子のことを詳しく調べ,見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。彼らが王の言葉を聞いて出かけると,東方で見た星が先立って進み,ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。家に入ってみると,幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み,宝の箱を開けて,黄金,乳香,没薬を贈り物として献げた。ところが,「ヘロデのところへ帰るな」と夢でお告げがあったので,別の道を通って自分たちの国へ帰って行った。

このような次第で,イエスは,王として世に知れ渡るようになりました。
さて,ここで二つのことを書いておきたいと思います。

まず一つは,ここで星に導かれ,イエスを王として見いだした学者たちは,「東の方から」来たということです。彼等は諸国の王たちだったという説や,実在はしなかったという説もあります。しかし最も有力な説は今のイラク辺りから来たというものです。いずれにしてもユダヤ人ではなく,異邦人でした。その彼等が救い主を知ったのです。このことは人類の歴史上非常に大きな出来事です。先ほどの『福音のヒント』から引用すると,「イエスによってもたらされた救いが民族の壁を越えてすべての人にもたらされる」こととなったわけです。つまり,神の救いからこぼれる人は誰一人としていないということが示されたのです。これこそ,第二朗読でパウロが語った「秘められた計画」でした。したがって,「主の公現」の祭日は,復活祭,降誕祭と同じくらいの大きな意味を持つともいわれています。

二つ目。これは,今日与ったミサの司式司祭の説教で知ったのですが,このように,王であり,救い主であるイエスに招かれた「占星術の学者たち」とは,実は罪人たちだったということです。考えてみれば,星占いによって人の人生を占うことは,神に対する背信行為です。しかし,聖書にも「学者たち」と書いてありますし,教会では古くから彼等のことを「東方の三博士」と呼んでいましたので,てっきり,「知者」あるいは「知恵」を象徴するものかと思っていました。救い主のところに最初に駆けつけたのは,羊飼いと博士で,前者が,「素朴なもの」,「貧しいもの」を象徴し,後者が「学問」や「知恵」を象徴すると思っていたのです。

今日何度か引いている『福音のヒント』では,この学者たちを,(1)「最高の知識人」。(2)「怪しげな異教徒。まことの神を知らない人々」と2説列記しています。そして,両方の見方で聖書を味わうことを薦めていますが,このようなストライク・ゾーンの広さ(=いい意味で曖昧なところ。懐の深さ)がカトリック教会の成熟した「豊かさ」だと思います。

さて,司祭の説教の助けもあり,今日の私にとっては(2)の読み方が腑に落ちました。つまり,「占星術の学者たち」を罪人と見る読み方です。星の導きによってイエスにあった彼等は変えられました。彼等は再び自分たちの国へと帰っていったのですが,「別の道を」通ったと書いてあります。
イエスは道です。罪人であった彼等には,イエスという新しい救いの道が与えられたわけです。

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