« 完全なコミュニケーター | トップページ | 歩いてみなければわからないことがある »

2006年2月19日 (日)

イエス・キリストは完全なコミュニケーター

昨日,ある司教様が「イエス・キリストは完全なcommunicator」であるとおっしゃったのを聴いて,新鮮味を覚えたと書いたところ,いつもブログを読んで下さっている方(piyoさん)から,「完璧なコミュニケーターって?」という趣旨のコメントをいただきました。

実は私は昨日ブログにこのことを,あまり深く考えずに,ただ司教様のおっしゃった「受肉したイエス・キリストは完全なcommunicator」という言葉の響き(特にcommunicator)が新鮮だったので,書き記しておきました。
しかし,一晩経って,キリストをcommunicatorと捉えることは実はカトリックではごく普通の立場であることに気づきました。(ちょっと遅いですが・・・)

カトリック教会では聖体拝領をcommunio(コムニオ)といいます(『カトリック教会のカテキズム』1331)。英語の動詞communicateの語源(ラテン語)であるcommunicareは,元々,「共有する,分配する,共に与る」という意味だったそうで,だから,キリストの体を分かち合う聖体拝領はコムニオなのです。そういった意味でイエス・キリストは,自分自身をお与えになる「完全なコミュニケーターである」と言えるのだと思います。

また,次のようにも考えました。
communicationには,「伝達」・「連絡」という一般的な意味の他に,「意志の疎通」 という意味や「メッセージ」という意味もあります。
イエス・キリストは神の愛,福音(メッセージ)を,父の言葉として正確に伝えた方です(意志の疎通)。そういう意味でもやはり, 「完全なコミュニケーター」ですね。

さて,piyoさんはコメントの中で,
>相手の状況に応じてコミュニケーションできるひとが、完璧なコミュニケータなのですか?
と書いておられますが,イエスはそういった意味でも,「完全なコミュニケーター」だったと思います。
『マルコ福音書』5章25節~34節に,

さて,ここに十二年間も出血の止まらない女がいた。多くの医者にかかって,ひどく苦しめられ,全財産を使い果たしても何の役にも立たず,ますます悪くなるだけであった。イエスのことを聞いて,群衆の中に紛れ込み,後ろからイエスの服に触れた。「この方の服にでも触れればいやしていただける」と思ったからである。すると,すぐ出血が全く止まって病気がいやされたことを体に感じた。イエスは,自分の内から力が出て行ったことに気づいて,群衆の中で振り返り,「わたしの服に触れたのはだれか」と言われた。そこで,弟子たちは言った。「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。それなのに,『だれがわたしに触れたのか』とおっしゃるのですか。」しかし,イエスは,触れた者を見つけようと,辺りを見回しておられた。女は自分の身に起こったことを知って恐ろしくなり,震えながら進み出てひれ伏し,すべてをありのまま話した。イエスは言われた。「娘よ,あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい。もうその病気にかからず,元気に暮らしなさい。」(日本聖書協会・新共同訳)

治療のため全財産を使い果たし,医者にも見放された長患いの女性が,群衆にモミクシャにされながら,それこそ,藁を持つかむ気持ちで,イエスの服に触れたのでしょう。このとき,イエスは熱狂的な多くの群衆によって,それこそ体のアチコチに触れられていたことは,弟子たちの「群衆があなたに押し迫っているのがお分かりでしょう。」という発言からわかります。しかし,その中でイエスは,服に微かに触れた女性の苦しみを瞬時に察知し,「わたしの服に触れたのはだれか」と言われたのです。そして,恐る恐る名乗り出た女性に,イエスは「安心して行きなさい。・・・元気に暮らしなさい。」と優しく告げます。その女性が最も欲していたものをイエスは実現しました。
突風を鎮めたり,悪霊を追い出したりして,有名になってきたイエスを一目見ようと集まってきた群衆。中には野次馬的な人もいたでしょう。その中でイエスは,この長年婦人病を患ってきた女性の苦しみには敏感だった。piyoさんが書いておられる「相手の状況に応じてコミュニケーションできる」方そのものだったのでしょう。この意味でもやはり,イエスは「完全なコミュニケーター」だと言えると思います。

同じようなイエスの姿勢が,今日のミサ『年間第7主日』の福音朗読でも見られます。『マルコ福音書』2章1節~12節が読まれましたが,1節~5節だけ引用します。日本聖書協会・新共同訳からです。062019

数日後,イエスが再びカファルナウムに来られると,家におられることが知れ渡り,大勢の人が集まったので,戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると,四人の男が中風の人を運んで来た。しかし,群衆に阻まれて,イエスのもとに連れて行くことができなかったので,イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ,病人の寝ている床をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て,中風の人に,「子よ,あなたの罪は赦される」と言われた。

大勢の人に向かって大事な御言葉を語っていたイエスですが,突然屋根を破って天井からつり下がって来た中風の病人を癒します。イエスは,いつでも何が最優先される事柄なのかを身をもって教えて下さいます。このとき,そこにいた律法学者たちは,イエスのこの行動を見て,「神を冒涜している」と考えます。律法学者たちは,中風の病人にいっさいコミュニケートしませんでした。

さて,私がこの福音書の箇所で,面白いと思うのは,ここに出てくる中風の人を運んできた「四人の男」たちです。群衆に阻まれて,中に入れないとわかるや,屋根に上り,穴をあけて,担架にのせた中風の男を吊り下げたのですから,この信仰の強さは凄い!福音書記者もここでは,イエスが,中風の人の信仰ではなく,「四人の男」である「その人たちの信仰を見て」,連れてこられた中風の人に,「子よ,あなたの罪は赦される」と言ったと書いています。

|

« 完全なコミュニケーター | トップページ | 歩いてみなければわからないことがある »

コメント

ctさま、こんばんわ。

信じるものは救われる。この言葉がうかびました。

私は幼稚園から小学校低学年まで(行っていた幼稚園がキリスト教系だったこともあり)教会に通っていました。お菓子と一緒にもらえるカードが大好きで、今もとってあります。
その中の一つで好きな言葉があります。

「求めよ、そうすれば与えられるであろう」
カードには赤ちゃんが猫と向かい合っている絵が書いてあり、マタイ7:7と記載されています。

自分がもっとも求めていることなのに、手に入らない望みを叶えてもらうべく、イエス様を信じてやってきた二人。

そして、イエス様はそれを察して叶えてあげる。

完全かつ完璧なコミュニケータ。

投稿: piyo | 2006年2月19日 (日) 22時39分

>>piyoさん
たびたび記事中にご登場願いましてありがとうございます。
子どもの頃に教会に行っていたことは素晴らしい体験ですね。
僕にはそういった経験がなく,
二十歳をかなり過ぎてから,初めて教会に足を踏み入れました。
だから,どちらかというと最初は,神様や信仰を,頭で捉えていました。
しかし,それは入口の一つとしては問題なかったと思うのですが,
そのままでは,だんだんエネルギーがなくなりました。
一度,かなり凹んだ状態が続いたのですが,
職場を移り,人的環境が変わったら,元気に働けるようになりました。
と同時に,信仰の問題を頭で捉えるだけでなく,
体を動かして経験することを始めました。
そうしたら,たくさんの恵みを,出会った人たちからいただくことが出来ましいた。
piyoさんや,いま休んでいるmaria michaelaさんはじめ,ブログの仲間からも,もう随分,いただいたもの(目には見えません)が多いです。
あっ,風邪なので,もう寝ます。
おやすみなさい。

投稿: ct(管理者) | 2006年2月20日 (月) 00時02分

ちょっと観点が異なりますが、ミサの記事を書きましたので、トラックバックさせていただきました。
シグニスセミナーお疲れ様でした。私は緊張でうまくお話できませんでしたが、やはり先生方は説明がお上手ですね。私も午前様ぎりぎりでしたが、最後の楽しみが味わえな買ったのはちょっと残念でした。でも、ctさんはじめ、いろいろな方とお話できて楽しませていただきました。
風邪とのことですが、大事に、、、

投稿: さかば | 2006年2月20日 (月) 02時31分

こんにちは
ブログが煮詰まってしまって
お休みすること3日(かな?)
またへんてこな形で復活しました
競馬と教会両方ともが存在します
体調も戻ったので
ブログ作りに専念したいと思います
先日は「おやすみ」とのコメント、
ありがとうございました

投稿: maria michaela | 2006年2月21日 (火) 14時23分

>>さかばさんへ

コメントとトラックバックをありがとうございます。

>シグニスセミナーお疲れ様でした。私は緊張でうまくお話できませんでしたが、やはり先生方は説明がお上手ですね。

いやあ,話したいことがいっぱいありすぎて,
うまくまとめられませんでした。

さかばさんの説明は,簡潔で分かり易かったですよ。
それに,求道者がみことばを発信していることが,たくさんの「ベテラン」(変な言い方?!)信者には大いに刺激になったと思います。
私の方からもトラックバックします。

投稿: ct(MAGIS管理者) | 2006年2月21日 (火) 17時25分

>>maria michaelaさん
そちらのブログを読み,事情を知りました。
お馬さんの方の過去のブログが消えちゃったことはショックですね(;´_`;)
お馬さんと,お馬さんの小屋で生まれた方が
融合したブログになっていますね。
ところで,「キルトクール」ってなかなか奥深そうですね。
また!

投稿: ct(管理者) | 2006年2月21日 (火) 20時25分

こんばんわ。
>piyoさんや,いま休んでいるmaria michaelaさんはじめ,ブログの仲間からも,もう随分,いただいたもの(目には見えません)が多いです。

そんな風に言っていただけて嬉しいです。
私もMAGISさまのコメントに支えられたので。
(いつぞやのブログで、私の元コイビトを悪く言いたいけど、やめておきますというコメントが特に嬉しかったです。改めてありがとうございます。CTさまの思いやりを感じて心があったかくなりましたから)

投稿: piyo | 2006年2月22日 (水) 21時18分

>>piyoさんへ
再びのコメントありがとうございます。
職場での人間関係で消耗する毎日をお過ごしのことと思いますが,
家では,生搾りチューハイを飲んで,緩みましょう(^.^)

投稿: ct(管理者) | 2006年2月23日 (木) 08時27分

おはようございます

>piyoさんや,いま休んでいるmaria michaelaさんはじめ,ブログの仲間からも,もう随分,いただいたもの(目には見えません)が多いです。

そんなぁ~
私は何にもさしあげてませんよー(^^)
私こそctさんやpiyoさんにいただいたものが多いです

投稿: maria michaela | 2006年2月23日 (木) 08時48分

>>maria michaelaさん
>私は何にもさしあげてませんよー(^^)
それはお互いにそう思っているのではないかなぁ~。
doingではなく,beingです!

投稿: ct(MAGIS) | 2006年2月23日 (木) 22時27分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/136539/8735083

この記事へのトラックバック一覧です: イエス・キリストは完全なコミュニケーター:

» 価値観の転換 [心のさかば]
ミサの福音朗読は「中風の人をいやす」(マルコ2・1-12)でした。 公生活を始め [続きを読む]

受信: 2006年2月20日 (月) 02時16分

« 完全なコミュニケーター | トップページ | 歩いてみなければわからないことがある »