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2006年2月26日 (日)

数学科研究室の蛍光灯

いつも私がいる職場の数学科研究室の蛍光灯は頻繁に切れる。何カ所か設置されているのだが,次々の切れるので,その都度,気づいた教員が事務室に交換を依頼し,用務の方か,ときには電気工事の専門の方が取り替えて下さる。しかし,昨日の土曜日は悲惨だった。切れている一カ所を,朝,新しい物に変えて下さったのだが,時間が経つにつれて,他の二カ所の蛍光灯が暗くなっていった。私は蛍光灯の交換時にその場にいなかったのだが,立ち会った同僚によると,電気専門の方が,蛍光灯を入れる機器を見て,「これはだいぶ古いな~」とおっしゃったそうである。正直言って,勤務校の校舎はかなり古い。問題は次々と新しくされる蛍光灯の側にあるのではなさそうだ。

新しい蛍光灯を入れても,次々に切れていく。しかも他の箇所の蛍光灯がである。そろそろ,(校舎新築とは言わない。最近耐震補強工事をしたばかりなのだから)電気設備そのものを新しくする必要がありそうだ。新しい蛍光灯に変えれば変えるほど,設備そのものがダメになっていく。

こういった現象は,実は社会のアチコチで起こっていると思う。

新入社員が入ってくるたびに,チームワークがなくなっていく会社。売れれば売れるほど,つまらない本を書くようになっていく執筆家。行列が出来るようになると,まずくなるラーメン屋。新しい公式を教えるたびに,数学嫌いを作る授業。・・・

ちょっと飛躍があるかもしれないが,今日のミサ(年間第8主日)の福音朗読の箇所に,

新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。そんなことをすれば,ぶどう酒は革袋を破り,ぶどう酒も革袋もだめになる。新しいぶどう酒は,新しい革袋に入れるものだ(マルコ2.22)062026

とあった。ここで,新しいぶどう酒は,イエスによって実現する(実現した)救いを指す。私たちがイエスを迎え入れるためには,新しい革袋にならなければならない。自分が新しくなることなのだ。しかし,これが一番難しい。古い自分に固執してしまうからだ。

私は,新しい自分になることさえお恵みによると思う。主に自分を明け渡すことによって,自分を新しい革袋にしていただけるのだ。そう考えると,新しいぶどう酒と新しい革袋は,単に中身と容器を指しているのではなく,どちらも主による救いを指すように思える。

ところで,数学科研究室の蛍光灯は直る日が来るのだろうか?

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