« 天国で会いたい人 | トップページ | 事実と真実 »

2006年3月 5日 (日)

神は一方的に・・・

060305   「 神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」

カトリック教会では,今日は「四旬節第1主日」でした。冒頭のみ言葉は今日読まれた福音書の中にある有名な箇所です。(『マルコによる福音』1.15)

これは,イエス自らの宣教開始宣言です。それはまた「神の国」の始まりとも言えましょう。

さて,ここで「悔い改め」という言葉ですが,東京教区の「福音のヒント」にもあるように,「メタノイア」という言葉が使われていて,「メタ」は「変える」,「ノイア(ヌース)」は「心」の意味なのだそうです。まさに心の方向転換ですから,(改心ではなく)「回心」という訳が相応しいことがわかります。

ところで今日の第一朗読は『創世記』9章8節~15節だったのですが,「聖書と典礼」(オリエンス宗教研究所 左上写真)の注釈が私の目を引きました。9節「(神は言われた。)わたしは,あなたたちと,そして後に続く子孫と,契約を立てる。」には,「この契約は神と人の双方によって結ばれるのではなく,神の一方的な約束によって立てられる」とあり,15節前半「わたしは,わたしとあなたたちならびにすべての生き物,すべて肉なるものとの間に立てた契約に心を留める。」にも,「契約に心を留めるのも人間ではなく,神ご自身である。神はご自分の契約を忘れない。」とあります。

ここだけ読むと,いつも神と人との契約は神からの一方的なもので,なんだか神は自分勝手な方のように感じてしまいました。

しかし,よくよく考えてみれば私たちの神は確かに一方的な方です。それはヨハネの次の言葉によく表れています。

わたしたちが神を愛したのではなく,神がわたしたちを愛して,わたしたちの罪を償ういけにえとして,御子をお遣わしになりました。(『ヨハネの第一の手紙』4章10節)

人間は弱い存在ですから,しばしばエゴイストになり,また,自己を絶対化してしまいます。しかし,この状態では,本当は心の奥底(ある司祭はそこを至聖所=Still Pointと言っておられました)に住んでおられる主の存在に気づきません。いつでも私たちを生かそうと聖霊を送っていて下さる神様の息吹はシャットアウトされてしまいます。

しかし,イエスはそのような人々にも回心は可能であると呼びかけているのです。最初に引用したように,イエスは宣教活動の第一声が「神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい。」なのですから。

「人間は神から離れることはできるが,神は人間を見捨てることができない」(I..リバス『日本人とのおつきあい』コルベ出版 1976年 150ページ)。なぜならそれは神が一方的に決めた契約だからです。そして,神は契約を忘れません。一方的な契約。これを言い換えると,無償の愛と言うのでしょう。

あなたの神,主は憐れみ深い神であり,あなたを見捨てることも滅ぼすことも,あなたの先祖に誓われた契約を忘れられることもないからである。(申命記4章31節)

(聖書の引用は,日本聖書協会 新共同訳によりました)

|

« 天国で会いたい人 | トップページ | 事実と真実 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/136539/8955591

この記事へのトラックバック一覧です: 神は一方的に・・・:

« 天国で会いたい人 | トップページ | 事実と真実 »