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2006年3月 6日 (月)

事実と真実

教室で授業中に何かの拍子に「イエス様は十字架上で死んだけれども,そのあと復活して・・・」と言ったら,とても数学の出来るある生徒(因みに私も数学の教師です)が,「先生はそんなことを信じているのですか!?」と目をまん丸くしていった。彼があまりにも素直に「そんなことを・・・」と言ったので,不意をつかれた格好だったが,一瞬間をおいて,「はい。信じています」と答えた。そう答えても彼はまだ目をまん丸くしたまま呆れたような表情をしていたので,僕は長いチョークを一本つまみ,「君,ここにチョークがあるの見えるでしょう?」と言いました。すると彼は「はい」と答えました。で,次に「では,君はここにチョークがあることを信じますか?」と聞いたら,やはり彼は「はい」と答えました。それを受けて僕は「でもこの二つ目の質問と答って意味ないよね。だって,見えているんだから信じるもへったくれもない。事実なんだからさ」と言いました。すると彼は確かにという風に首を縦に振りました。そこで,僕は続けて,「ということは,事実であると確かめられることは信じる対象ではないってことだよね。僕が復活を信じているのはそういう意味で信じているんだ。事実かどうか確かめられないから信じているわけ」と話しました。もちろん,彼はそんな説明では納得しませんでしたが・・・。しかし,他のほんの少しの生徒が,「なるほど確かめられることは信じなくて済むわけか」と言っていました。

遠藤周作は,060306

イエスがベトレヘムで生れたことは,事実ではないかもしれぬ。星に教えられてそのイエスをベトレヘムまで探しに行った東方の博士たちの物語は勿論,伝説であろう。しかし,人間をきよめる存在を---つまり人生の星を求める博士たちの物語を創らざるをえなかった心のほうが,私には真実である。真実は事実よりもっと高いのだ。(『名画・イエス巡礼』文藝春秋 1981年 22ページ)

と書いています。彼はまた,『イエスの生涯』(新潮文庫 1982年)の223ページにもほぼ同内容のことを書いていますし,他の小説や随筆でも何度か同様のことを書いています。イエス・キリスト関連の歴史やキリシタン史に非常に詳しい遠藤でしたが,彼は史学者ではなく小説家ですから,事実よりも真実を描き出したわけです。

しかし,真実とはなんとも苦しいことでしょう。事実のように見ることが出来たり,触ることが出来たり,証明することが出来たり,という単純なものではないからです。真実は目では見えないし,手では触れられないし,どんなに優秀な頭脳があっても証明できませんから。真実が人間に要求すること,それはただ一つ。「信じることだけ」なのです。この点を,ノートルダム修道会のシスター渡辺和子さんは,「信じることの辛さ,きびしさは実にこの,人間本来の真偽をたしかめたいという欲求を抑えること,または放棄するところにある」(『美しい人に』PHP 1973年 197ページ)と的確に指摘しておられます。060306_2

民主党議員が国会で使ったメールの真偽。決着が付くまでは,日本列島を挙げて真偽に関心を寄せました。そして,偽と決着が付きました。これで一件落着なのでしょうか?決着が付いたのはもちろん事実についてのことです。考えてみれば今日の人間は事実にしか関心を持たなくなっているのかもしれません。目に見えない真実の世界の存在を忘れずにいたいものです。

さかばさんのブロブ「心のさかば」「心貧しき人は幸いである - おやじの会 -」という記事があります。一見,おやじの「ただの飲み会」のようなのですが,その最中に「我慢した分のお金を献金するの,余ってるお金じゃ意味ないの」と神父様がポロッと言ったという記載があります。ちょっと大袈裟かもしれませんが,この言葉には事実と真実の違いと真実の大切さが秘められていると思いました。余裕のある時に余ったお金を施すことより,無いときに無い中から我慢して出した献金にこそ価値があると言っているのだと思います。たとえば,1億円と100円では,圧倒的に事実としては1億円の方が巨額です。しかし,その日の生活にさえ困っている中から献金する100円はそれにも勝る価値があります。それを真実と言うのではないでしょうか。(大矢正則)

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コメント

ご紹介&トラックバックありがとうございます。確かに遠藤周作は事実と真実と言う言葉を良く使いますね。実際にそのようなことがあったかどうかはわからない。でも、聖書作家がそう書かざるを得ない出来事があった。そんな書き方をしていますね。
私も最近は理屈っぽいことはあまり考えなくなりましたが、理屈で考えるなら言葉の定義を先にしなければいけないと思います。最近、昔の記事が恥ずかしくなってきたのですが、それなりに面白いのでトラックバックしておきます。

投稿: さかば | 2006年3月 7日 (火) 01時25分

そういえば私は大学を出るまでは
イエス様なんているわけがない
とんでもない宗教だ
・・・と思っていました
しかし自分が弱い立場に立った時
苦しい時の神頼みとはこのことをいうのでしょうね
自然とイエス様が歴史上に存在し、3日後には復活されたことを信じるようになりました
なんだか自分勝手ですよね(^^;

投稿: maria michaela | 2006年3月 7日 (火) 11時43分

>>さかばさん

コメントとTBありがとうございます。

>最近、昔の記事が恥ずかしくなってきたのですが

とのこと。
9月に記事ですから,約半年前のことを,今のさかばさんはそのように思っているのでしたか・・・。

でも,それは日々刷新されている(主によって新しくされている)徴ですね。

ただ,僕はさかばさんのそのころの記事を見ても,少しも変に思いませんよ(^.^)

投稿: ct(管理者) | 2006年3月 7日 (火) 11時56分

>>maria michelさんへ

コメントありがとうございます。
午前中ギリギリでしたね(^.^)

>イエス様なんているわけがない
>・・・と思っていました
>しかし自分が弱い立場に立った時
>・・・自然とイエス様が歴史上に存在し、3日後>には復活されたことを信じるようになりました
>なんだか自分勝手ですよね(^^;

一昨日の僕のブログにも書いたけれど,
神様は最初から「一方的に」人(私たち)と契約を結ばれたわけです。
つまり,初めから神の方からの「片想い!」
でも,いろいろなことがあった後,
ようやく神様の方もmaria michaelaさんに迎え入れてもらえたわけです。
今では相思相愛となったのですから,めでたし,めでたしです。

投稿: ct(MAGIS管理者) | 2006年3月 7日 (火) 12時04分

「見えているんだから信じるもへったくれもない。事実なんだからさ」

「なるほど確かめられることは信じなくて済むわけか」

これ「目からうろこ」ですね。

わかりやすい。

成人洗礼を考えているけど「復活」についてアタマで理解できないとしている人に説明するのに使わせてもらいます。


う~ん、何度読んでもエクセレント!!

投稿: luke8488 | 2006年3月 7日 (火) 20時14分

>>leke8488さんへ

コメントありがとうございます。
今度,一緒に飲みましょう!
尤も花粉症のシーズンはお酒飲むと,
よけいに鼻が詰まり,目のかゆみも増し,
深いですよね~。

投稿: ct(MAGIS管理者) | 2006年3月 7日 (火) 21時42分

是非ご一緒させてください。

楽しみです。

具体化しましょうね。

投稿: luke8488 | 2006年3月 7日 (火) 22時19分

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