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2006年5月22日 (月)

神様にできないこと

060521_1 私がreligion(=宗教)という単語を覚えたのは,大学受験勉強の頃だった。あのころみんなが持っていた森一郎著『試験にでる単語』(青春出版社)の5番目にランクされていた。さて,その『でる単』のお陰(では全然ないが)で大学に入り,一般教養科目で宗教学を取った。多分そこでreligionという英単語は,ラテン語のreligareという単語からきたものであることを教わった(のだと思う)。そのとき,この単語(religare)の元々の意味が「結び直す」ということだと知った。つまり,宗教とは,「結び直す」ことだ。

あれから20数年経つが,昨日のミサの聖書朗読と司祭の説教を聞いて,このことを思い出した。

宗教は何と何を結び直すのかというと,神と自分を結び直す。何で結び直すのかといえば,一方的に神の愛によって結び直される。060522

昨日のミサの第二朗読で読まれたヨハネの第一の手紙に「わたしたちが神を愛したのではなく,神がわたしたちを愛して」(4.10)下さったとあるのはそれを教えている。キリスト教では,「結び直す」原理を神の愛においている。そして,神の愛は,神の忍耐という形で示される。

全能のゆえに,あなたはすべての人を憐れみ,
回心させようとして,人々の罪を見過ごされる。
あなたは存在するものすべてを愛し,
お造りになったものを何一つ嫌われない。

憎んでおられるのなら,造られなかったはずだ。
あなたがお望みにならないのに存続し,
あなたが呼び出されないのに存在するものが
果たしてあるだろうか。
(旧約続編『知恵の書』11章23節~25節。日本聖書協会 新共同訳)

人がどんなに罪をおかしても,神様は私たちとの関係を「結び直す」ために罪を見過ごす。

私は子ども時分,大変な悪ガキだった。祖母は「悪いことをしちゃいけない。罰(バチ)が当たる」と何十回,何百回と私を諭してくれた。しかし,罰が当たらないのは,てっきり神様がいないからだと思っていた。

けれども,大学生のとき,神学者ペトロ・ネメシェギ神父(イエズス会)から上の聖句を教えてもらったとき,「そうか,回心させようと思って見過ごしてくださっていたのか!」と痛く感動した。罰が当たると言っていた祖母のことを思い出しながら・・・。祖母を亡くしてから15年くらい経っていた。

その頃カトリックの洗礼を受けたが,今でも祖母の言っていたことは間違えではなかったと思う。祖母が言いたかったことは,罰が当たるということではなく,悪いことをしてはいけないということだったのだから。

全能だから神は人を赦すのだという。その全能の神にもたった一つできないことがあることに気づく。それは神ご自身が,ご自分と人間の関係を断ち切ることだ。今この瞬間も神は私(あなた)との関係を結び直そうとして下さっている。

(追記)
ところで,右上画像のように,5月21日に日本の全カトリック教会で使われたミサパンフレットである『聖書と典礼』(オリエンス研究所)の表紙は,11世紀後半にイタリアで描かれた『最後の晩餐』の壁画で飾られていた。この日読まれた『ヨハネ福音書』に合わせてのものだろうが,ダ・ヴィンチ作の『最後の晩餐』がキリスト教の謎を解くキーとして扱われている映画『ダ・ヴィンチ・コード』の封切りと重なったのは偶然だろうか?

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コメント

こんばんわ。しけたん!懐かしいです。利用していましたよ。しけたんとしけじゅく。あと試験に出る英文法。試験に出る英文法を一番よく使いましたね。

と、さておき。

神様と私たちを結びなおすのが宗教。

私は宗教の信者ではありませんが、神様は信じています。

どういう風に信じているかというと、神様は本当に必要なものは奪わないと思っているのです。
そして、神様は見ているということです。

自身が未来に不安を覚えたとき。「大丈夫、神様は本当に私に必要なものならば私から奪わない。もし手に入らなかったのならば、それは私に不要なものなのだ」と思う。

又、ずるいことをして、得をしたいなとふと思ったとき。「神様は見ている。ズルをして、すれば直後は得できるかもしれないけれど、長い目で見たら、そんな私を神様は許さないから、ズルはやめよう」とか。

こういうことです。

>その全能の神にもたった一つできないことがあることに気づく。それは神ご自身が,ご自分と人間の関係を断ち切ることだ。

そうかもしれません。
又、人も神との関係を断ち切ることは簡単にはできないのかも。

ヤ○容疑者ではないですが、自身の欲望に負け、神との関係を断ち切ったとき「悪魔」が入り込んでくるのでしょうか。

おそろしいことです。

投稿: piyo | 2006年5月23日 (火) 00時05分

「神にもたった一つできない」どういう意味か考えてみました。全能なのにできないことがあると言うのはおかしいですよね。すると、能力が無いのではなく、その愛ゆえに「ご自分と人間の関係を断ち切ること」ができない、ということで、良いでしょうか?

投稿: さかば | 2006年5月23日 (火) 09時37分

>>piyoさん,さかばさん
非常に深いコメントをありがとうございます。
このコメントに対する私の考えを5月26日のブログという形でアップしました。
私が改めて考えるヒントを与えてくださった
piyoさん,さかばさんに感謝します!
今後ともよろしくお願いします。

投稿: ct | 2006年5月24日 (水) 01時03分

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