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2006年5月25日 (木)

「わたしの唇から出た言葉を変えることはない」

「神を信じる」という言い方は,いろいろな意味で使われる。
私は,カトリックであるので,「神を信じる」場合,一番気をつけなければならないことは,
「神を(自分で)作ってはならない」ということだと思っている。

22日に「神様にできないこと」があると書いた。それ(神様にできないこと)は,神が,ご自分と人間の関係を断ち切ることだと書いた。
一昨日は,その根拠を,神が私たちの「心に刻まれた契約」にみた。しかし,まだ言い足りないと思うので,今日はさらにこのことを深めてみたい。

旧約聖書『詩編』89編29節~35節を引用する。以下で「わたし」とは,神がご自分を指して言っておられる。

とこしえの慈しみを彼に約束し
わたしの契約を彼に対して確かに守る。
わたしは彼の子孫を永遠に支え
彼の王座を天の続く限り支える。
しかし,彼らの子らがわたしの教えを捨て
わたしの裁きによって歩まず
わたしの掟を破り
わたしの戒めを守らないならば
彼らの背きに対しては杖を
悪に対しては疫病を罰として下す。
それでもなお,わたしは慈しみを彼から取り去らず
わたしの真実をむなしくすることはない。
契約を破ることをせず
わたしの唇から出た言葉を変えることはない。
(日本聖書協会 新共同訳)

詩編のこの箇所ほど私に神への信頼感を与える箇所はない。
簡単にいえば,神は人が悪いことをすれば罰するが,だからといって,「真実」,つまり,「わたしは彼らの神となり,彼らはわたしの民となる」(エレミア書33.33)という,あの契約を破棄しないと念を押してくださっているのだ。

聖書を読むことによって神を信じることは難しいと言われている。
しかし,神を信じるものにとっては,聖書はまさに,神と自分の関係を強める書である。
その意味で,聖書は「みことば(=神の言葉)」と呼ばれるし,「いのちの書」ともいわれる。

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