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2006年7月13日 (木)

向こう岸に渡ろう

「向こう岸に渡ろう」
これはマルコ福音書4章35節に書かれているイエスが弟子たちに言ったの有名な言葉である。
私がこの言葉を烈しく意識したのは1998年のちょうど今頃のことだった。
当時はカトリック学校教育委員会が主催して,『カトリック学校教員教職員黙想会』というのが行われていた。
諸事情より残念ながら2000年頃からは行われていない。

その黙想会に私は参加したのだが,その中で何日目か(全日程は3泊4日だった)にイエズス会師の指導司祭が,この箇所をヒントに黙想するよう導いてくれた。

2週間以上経つが,6月25日のミサの福音朗読箇所がそこだった。日本聖書協会新共同訳より引用する。

その日の夕方になって,イエスは,「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで,弟子たちは群衆を後に残し,イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり,舟は波をかぶって,水浸しになるほどであった。しかし,イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして,「先生,わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって,風を叱り,湖に,「黙れ。静まれ」と言われた。すると,風はやみ,すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて,「いったい,この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。(マルコ福音4.35~41)

「向こう岸に渡ろう」
これこそカトリックの生き方だ。
つまり,

相手の気持ちを考え,相手の立場に立って物事を考える。そういうことをイエス様は弟子たちに,私たちに促した。しかし,これはなかなか大変な生き方だ。相手によって自分の生き方を変えなければならないのだから・・・。しかし,イエスはそれを勧めた。でも,そうすると聖書にあるとおり嵐が起きる。激しい突風も起き,水浸しになるとも書かれている。

それでも,イエスは弟子たちと同じ舟の艫で呑気に眠っているという。

この姿はいったい何だ?
ここにイエスが私たちに求めたものが隠されている。
イエスは信頼せよと私たちにメッセージしておられるのだ。
だから,イエスは眠っていた。

向こう岸に渡る大嵐の中,狼狽える弟子たちを
もっと不安にする行動は一緒に狼狽えることだ。
しかし,イエスは正反対の行動を採られた。
眠っていたのである。

これはまさに,どんなことがあっても大丈夫だから,私を信頼せよというメッセージに他ならない。
ここまでは,8年前の黙想会のときにも考えたことだ。

さて,弟子たちが向こう岸に渡る間,
なぜイエスはあれほど呑気に安心させるような行動を採ったのかと,
先月の25日のミサの後,改めて考えた。

『聖書と典礼』(オリエンス宗教研究所)によれば,「向こう岸」とは,異邦人であるゲラサ人の地であったという。
これを知って私は気づいた。
向こう岸は異邦人の地。一般的には危険地帯である。
しかし,イエスはどんな生き方をした人だったか?
あるいは,イエスを最初に受け入れた人はどんな人だったか?
それは,イエスを含めて弱者達であった。
女,皮膚病患者,徴税人,異邦人,・・・。
そしてイエス自身も生まれる場所さえなかった差別される側の者だった。
キリスト教とは,それらの人たちの中に光がある。神の力が働くということを教える宗教だ。

だから,異邦人のいる「向こう岸」に渡ることは,
光を求めていくこと,神と出会いに行くことだったのだ。
だからイエスはそれを弟子に勧めた。

イエスはこれから起こる良いことを知っていたので,
嵐に揺れる舟の中でも安心して眠り込んでいた。

しかし,弟子たちには無理だった。
舟が水浸しになれば沈没するのではないかと,
不安で不安で・・・。
まさか,イエスのように眠れる筈がない。

聞いたところによれば,舟は教会を象徴しており,
海は悪の象徴だったという。

今,私が乗っている舟も,毎日毎日とても揺れる。
もちろん,安心して眠ってなんぞはいられない。

主を見習って眠りたいものだが・・・。

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コメント

おはようございます
私の船もですが、毎日グラグラと揺れております
眠りたいなぁ・・・

投稿: maria michaela | 2006年7月14日 (金) 09時19分

maria michaelaさんへ

こんにちは。
お互い,安心して眠りたいものですね。

投稿: ct | 2006年7月14日 (金) 12時07分

17歳のとき、沖縄に飛行機で行ったのですが、離陸の前から着陸の後まで寝てました。飛んでる間ずっと寝てました。全然関係なくてごめんなさい。でもふっと思い出しました(笑)。

投稿: ちくわ | 2006年7月16日 (日) 00時29分

>>ちくわさんへ

いつもコメントありがとう。
とても嬉しいです!
17歳のとき,沖縄に飛んだのですね。
僕がちくわさんと最後に会ってから数年後ですね。
それからまた年月が経って,
一言では言い表せない道を経由して,
今,ここに,ちくわさんはいるわけですね。
僕も違う道を通って来たけれど,
ツルミで追いかけっこをしたいたころとは
全然違う場所に立っています。

>全然関係なくてごめんなさい。
とコメントしていらっしゃいますが,
そんなことないと思いますよ。
いつも,思い切って「向こう岸に」渡り続けた結果,
今のちくわさんがあるのですから。

投稿: ct | 2006年7月16日 (日) 02時17分

暖かいコメントありがとうございます。じーん。
鶴見で追いかけっこしたことはもちろん今でも忘れない素敵な思い出です。
(私の中だけだとおもいますがかなり笑える思い出です)
かなり反れ続けた道でしたが、今のところ順調に軌道修正してます(笑)。

投稿: ちくわ | 2006年7月17日 (月) 00時52分

信じるという事

こんな世の中 バイブルの教えにそって 他人からして欲しいと想う事を思いやりを持って自ら他人へもしてあげようとすると

声を書けるとウザイと思われる。
親や身内を簡単に殺してしまう。
ヘルプの手を差し出すと ヘルプを差し出した方が痛い目にあう。(地下鉄の事故で落ちた人を助けようとして自分が亡くなってしまった・・・助けを求めようと自ら犠牲になったのは日本人ではなく韓国人の留学生)

それでも私は向こう岸に渡り「元気?最近どう?」と声をかけようと思っています。周りの人を大事にして誰かが悲鳴を上げていないか確認しながら この小さな集合体の中だけでもみんなが笑っていられるように。そしてそれがもっと大きな集合体となって皆が心から笑える・・そんな世の中が訪れますように

投稿: サリオ | 2006年8月13日 (日) 00時16分

>>サリオさんへ

すばらしいコメントをありがとうございます。
向こう岸に渡ろうとして,
いつも途中でおぼれかける私ですが,
イエス様という浮き輪をつけて,明日も渡ろうと思っています。

投稿: ct(管理者) | 2006年8月13日 (日) 00時34分

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