「人の心はしゃれたことをする」
朝日新聞の日曜朝刊,朝日求人のページに精神科医の香山リカさんが4回シリーズで小さな(しかし中身は濃い)エッセイを書いています。私はこの記事を大変楽しみに読んでいます。8月27日のタイトルは「あいまいも悪くない」でしたが,サブタイトルのような形で「人の心はしゃれたことをする」と付けられていました。これを今日のブログのタイトルにしました。
次のような書き始めでこのエッセイは始まります。
チャレンジするのは大切なことであると,誰もが信じ込まされていますね。それは私も否定しません。でも,何度やってもどうしてもうまくいかないことってありませんか。自分の努力が足りない,あるいは方法論が間違っていると悩むかもしれません。精神医学の面から見ると,実は深層心理が,それをやりたくない,やめようとメッセージを送っていると読み取ります。たとえば目標を立てるたびに達成の一歩手前で挫折する。あと一息だったのになぜ達成できなかったのか。それは,意識と潜在意識とが異なる方向を指している可能性もあるのです。
なるほど,人の心はしゃれたことをしますね。
さて,私がこの箇所を読んで思い出したのは,旧約聖書エレミヤ書の29章11節でした。そこには次のように書かれています。
わたしは,あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている,と主は言われる。それは平和の計画であって,災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。(日本聖書協会 新共同訳聖書)
ここでは,「わたし」は創造主である父なる神のことです。したがって,神様は一人一人に実現可能なご計画を立てて下さっていると読んでいいわけです。しかも,そのご計画は災いの計画ではなく,一人一人に将来と希望を与えるものであるとハッキリとメッセージしています。
また,新約聖書のマルコ福音書1章16節~18節には,
イエスは,ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき,シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは,「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。(同書)
とあります。ここは,イエスが初めて二人の人間を弟子にした場面です。つまり,イエスは愛を教える生活,人の大切さを身をもって教える生活の初めから,協力者を探し求めたわけです。それがシモンとアンデレの兄弟だったわけです。
さて,われわれにはいろいろな生き方が可能なわけですが,いま,参照した二つの聖書引用箇所から考えれば,人はみな,人間の想像力ではわからないけれど(わからないから信じる。わかっていたら信じる必要はない)将来と希望が与えられる計画を,神の遺伝子として持っているわけです。またそれは神ご自身の計画の助けとなるはずのものです。神様は人間一人一人に協力を求めているのです!
したがって,最初の方に引用した香山さんの文章を,聖書に照らして読み直すと,人が神様の計画と違うことをしても上手くいかないととることができます。(香山さんはクリスチャンではないでしょうから,それは曲解とおっしゃるでしょうが・・・)
先月の黙想会でも,指導司祭の神父様が講話の中で
「自分の深い望みと神様の望みは一致する」
とおっしゃっていました。香山さんの引用と絡めれば,神様のご計画は人の潜在意識の中(それも最も深いところ)にあると言っても,そう的外れではないと思います。
最後に,同じ記事から,もう1カ所引きます。
さまざまな情報を仕入れて,頭で整理して自分の仕事を決めたつもりになっても,それがすべてだと考えないほうがいい。ましてや「君の好きなことをはっきりさせよう」とか,「あなたの個性に向いている仕事を探そう」と周囲から詰め寄られても,無理やり答えを出さなくていいと思います。なんとなくいやだと感じる心の動きを塗り込めてはいけない。
やっぱり,人の心はしゃれたことをしますね。
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» 高円寺教会で聞いた神の声 [心のさかば]
半年ぶりにカトリック高円寺教会にうかがいました。たまたま第一土曜日に出張が入っ [続きを読む]
受信: 2006年9月 4日 (月) 00時49分
コメント
>わからないから信じる。わかっていたら信じる必要はない
そうですよね
でももし自分にとって不利な結果に終わると分かっていたら
しんじるかもしれません・・・よ?
投稿 maria michaela | 2006年9月 3日 (日) 08時37分
はじめまして、ひよっこカトリックのペンタゴンと申します。
将来と希望が与えられる平和の計画が、自分の深層心理(潜在意識)の中に神の遺伝子として埋められているとは、すごい事ですね。
でもこの遺伝子って、自分で意識できるものなんでしょうか。
神様にお委ねしていれば、段々分かってくるのかなあ。
死ぬまで自覚できなかったら、協力できない気もするし…。
投稿 ペンタゴン | 2006年9月 3日 (日) 19時48分
心の中の御旨を聞くこと。聖イグナチオのいう霊動弁別って、こういうことなのだと思っています。そして、それは無理をして頑張ることではなく、現状を受け入れて与えられたタレントに応じて愛を実践することだと思います。
そんな経験を記事にしましたのでトラックバックさせていただきました。
投稿 さかば | 2006年9月 4日 (月) 00時56分
昨日、この記事を読んで、8月27日の新聞を引っ張り出して読もうと思ったのですが、バタバタしていて読めませんでした。
が、今朝の朝刊の求人欄にこの記事が載っていました(地方によって載せる時期が違うのでしょうか)。
最近転職したのですが、その仕事も最初は自分の求めていた条件にぴったりと合っていたように思えたのですが、いざ仕事を始めてみると、いろんな壁にぶつかり、最終的には前の仕事の方がよかった・・と思うようにもなりました(仕事を週二回に減らすという条件なら)。
前の仕事を辞めたことは後悔していないのですが・・・
今は、精神的につらいだけでなく、身体にも影響が出て、辞めることを考えています。
周りの人も「辞めた方がいいかもしれない」と言っています。
そういう時にこの記事を読み、もしかして、この仕事は本当は神様が私に与えて下さった仕事(天職)ではなく、現実をわからせようということで少し体験させようというものであったのかもしれないと思っています。
投稿 しらたま | 2006年9月 4日 (月) 10時40分
>>maria michaelaさんへ
いつもコメントをありがとう。
>でももし自分にとって不利な結果に終わると分かっていたら
しんじるかもしれません・・・よ?
うん。言っている気持ちわかります。
でも,それはしんじるというのじゃなくて,
そんな気がしちゃうって感じじゃないのかなあ~。
違ってたら,また,教えてください。
投稿 ct(Magis) | 2006年9月 5日 (火) 18時12分
>>ペンタゴンさんへ
はじめまして。コメントをありがとうございます。
>神様にお委ねしていれば、段々分かってくるのかなあ。
さ~あ,どうなんでしょうね。
ある瞬間にサッとわかるという人もいますが・・・。
普通はそうはいかないですよね。
>死ぬまで自覚できなかったら、協力できない気もするし…。
ああ,それはねぇ・・・。
大丈夫!
私たちが自覚していなくても,
神様は一時も忘れずに私たちを心に留めていてくださっていますから。
そんな風に捉えています。
投稿 ct(Magis) | 2006年9月 5日 (火) 18時17分
>>さかばさん
コメントありがとうございます。
>聖イグナチオのいう霊動弁別って、こういうことなのだと思っています。
う~ん。私は
『霊操』を3回体験しました。
最初の2回は,6ヶ月間の『日々の霊操』でした。
そして今年初めて『8日間の霊操』を体験しました。
すごかったです!
なお,今回,指導者のアモロス神父から,
『霊操』を効果的にするためにいくつか課題が出されました。
特に,
(1)『霊操』は読まないこと
(2)共同体を大事にすること
が求められました。
『霊操』は本で読んだり,神父様の話等からわかる類のものではないようです。
この夏,完全黙想で霊操(面談あり)してみてそう思いました。
実は,もっと長くやっていたかったです。
投稿 ct(Magis) | 2006年9月 5日 (火) 18時26分
>>しらたまさん
コメントありがとうございます。
転職したばかりなのですね。
私も,30代半ばと,40代半ばで
大きな転職を2度経験したので,
その苦労を少しわかるつもりです。
一般的には我慢強い方が良いのでしょうが,
我慢には二種類あって,
人を成長させ,
より多くに気づくことのできる自分をつくり出す我慢と,
人を抑圧し,
神経を鈍感にさせてしまう我慢があると思います。
もし今置かれている状況が後者だとしたら,
良いタイミングを見つけて去った方が良いと思います。
しかし,前者の場合もあるでしょうし,
他に移っても大して変わらないどころかもっとひどい場合もあります。
慎重に。そして,どちらにしても神様に身を委ねてまいりましょう。
投稿 ct(Magis) | 2006年9月 5日 (火) 18時36分