手で蛇をつかみ・・・
先月,10日間の完全黙想をしておりました。黙想会に行く前に,知人に,「黙想して少しはまともになって帰ってきます」とメールしたところ,「いや,まともになったら○○(マジス)ではなくなってしまうので,どうぞそのまま帰ってきて下さい」と返信が来ました。その黙想中に読んでいた聖書の中に,こんな言葉がありました。マルコ福音書の最後の方です。
信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊(あくりょう)を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。(マルコ16:17~18 日本聖書協会 新共同訳)
この言葉を読んだとき,すぐに思い出した人がいます。それはF神父様です。「信じるものは新しい言葉で語る」とありますが,F神父様がしてくださるお話は,いつも意表をつくような話です。それはまさに,深く新しい言葉です。
また,「信じるものは,毒を飲んでも決して害を受けず」とあります。この言葉もなたF神父様にぴったりの言葉です。つまり,普通なら他人から攻撃や誤解をうけると傷つき倒れるのですが,F神父様はその深い信仰によって,致命的な傷を負いません。このようなF神父様のことを,「あんなに強い人にはこれまでにお会いしたことがない」とおっしゃった知人もいます。
F神父様は私が最初に勤務した学校の校長先生でした。今は川崎のカトリック貝塚教会にいます。
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コメント
>信じるものは,毒を飲んでも決して害を受けず
信じているつもりなのですがすっごくダメージを受けます
これは私の気の持ちようというか信心が足りないというか・・・
もうちょっと強くならないとなぁ
投稿 maria michaela | 2006年9月 1日 (金) 07時45分
>>maria michaelaさんへ
シスター渡辺和子さんが,
「信仰の問題と病気のことはまったく別問題です」
と昔テレビ番組で話されていましたよ。
僕も,すぐにダメージを受けるので,
「信じます。信仰のないわたしをお助け下さい」(マルコ9:24)と神様に助けを求めますよ。
投稿 ct | 2006年9月 1日 (金) 19時06分
>普通なら他人から攻撃や誤解をうけると傷つき倒れるのですが,F神父様はその深い信仰によって,致命的な傷を負いません。
私はものすごく傷つきやすいです。
ちょっとしたことで、ずーんと傷つくのです。
人の悪意が見えると辛くなります。
信仰が深い=人は本当の悪人ではないとしんじているからですか?
投稿 piyo | 2006年9月 1日 (金) 23時14分
こんばんわ。
私は思ったことをはっきり言います。
なので傷つくことはあまりないと言えるかもしれません。
友人は私のそれを誉めてくれます。
でも私は、そのせいで自分が逆に人を傷つけている時があると感じます。
はっきり思いを言うことは自分にとって大事だけれど、
もっとやわらかい優しさで包んで伝えられる人になりたい。
全然コメントになってないかも。
えへ。
投稿 ちくわ。 | 2006年9月 2日 (土) 00時21分
>>piyoさんへ
>信仰が深い=人は本当の悪人ではないとしんじているからですか?
そのように考えることもできますね。
もう一つは,どんな状況に陥っても,
そのことを神様もご存じで,何らかの意味を持たせている。
そして,ご一緒に苦しんでくださっている。
このように考えています。
投稿 ct(Magis) | 2006年9月 5日 (火) 17時34分
>>ちくわさんへ
>友人は私のそれを誉めてくれます。
確かに!それはちくわさんの持ち味ですよ。
>でも私は、そのせいで自分が逆に人を傷つけている時があると感じます。
あらまあ,すごいことに気づくようになっているのですね!
>はっきり思いを言うことは自分にとって大事だけれど、
もっとやわらかい優しさで包んで伝えられる人になりたい。
それは素晴らしい!
そのような伝え方をアサーティブな伝え方と言います。
アサーション・トレーニング
http://ct.cocolog-nifty.com/magis/2005/12/post_178d.html
も読んでみて下さいね。
投稿 ct(Magis) | 2006年9月 5日 (火) 17時40分