「欠けている」という恵み
左の画像の上の段の漢字。普段あまり使いませんよね。特に最近はPC入力の時代なので,これらの漢字を手書きすることは滅多にありません。左から,かいこの作る「まゆ」,なぎなたの「なぎ」,植物の「にれ」,ひんしゅくの「ひん」,そして最後は魚の「かつお」です。多くの人にとって,読めるけれど書けない漢字ばかりです。
さて,漢字を覚えるときは,私が小学生の頃は,必死に書いて覚えました。正確には覚えさせられました。国語の教科書に出てくる新出漢字を,マス目入りの国語ノート(有名なのはジャポニカ漢字帳)に10回とか,20回とか書いて覚えるわけです。多分,今でもこの覚え方が主流なのだと思います。
しかし,実は他にも覚え方があります。
- 上述の繰り返し書いて覚える方法
- たとえば粘土などで形を造って覚える方法
- 理屈で覚える方法。具体的には,「薙」の場合,くさかんむりの下に,弓矢の「矢」と「進」のしんにょうのないやつを並べて書くなんて覚える方法
- 視覚だけで覚える方法
皆さん,どの方法が一番覚えられると思われますか?
実は,この話はこの前の日曜日に開催された神奈川教育カウンセラー協会の例会で講師のT先生から伺ったのですが,小学生対象の調査結果では,4の視覚のみによる方法を用いた場合が,最も覚えられる児童が多かったというのです。もちろん,一瞬見せただけでは覚えられないでしょう。一定の時間を与えるわけです。たとえば5分間とか。
1の方法で覚えてもらう場合,ひたすら5分間,書いてもらいます。
2の方法で覚えてもらう場合,5分間で造形してもらいます。
3の方法で覚えてもらう場合,5分間,ずっと理屈を唱えます。
4の方法で覚えてもらう場合,5分間,ひたすら字を見つめてもらいます。
5分後に書き取り試験をしてみると,4の方法で覚えた者の正答率が最も高かったというのです。これだけでも意外ではありませんか?従来から行われている書いて覚えるという1の方法が最も覚えやすい気がしませんか?第一,1の方法以外は,覚えている間の5分間,筆記用具を持てないのですから。しかし,実験結果(統計)によれば,4の方法で,つまり,視覚だけの頼って覚える方法が最も覚えやすかったというのです。実際,例会(研究会)でも,参加者を4つのグループに分けて,冒頭の5文字で実験してみましたが,結果はそうなりました。
それだけではありません。
冒頭画像の下の段を見て下さい。これらは正しい漢字の一部をわざと欠落させて不完全にしたものです。
実に興味深いのは,4の視覚だけで覚える場合,上段の正しい漢字をずっと見せ続ける場合よりも,上段の画像と,漢字の一部を欠落させてある下段の画像を交互に見せる行為を繰り返した方が,あとで行う漢字テストの正答率が上がるというのです。この前の日曜日にこのことをT先生から伺ったとき,これは,人間心理の深い一面を見せられたような気がしました。
つまり,人間は完全なものばかり見続けているよりも,ときどき不完全なものを見る方が,より完全なものを自分のものとすることができるということを私としては再確認できた思いでした。
前にも引用しましたが,あるカウンセラーの先生が,「本当の幸せは,何か欠けているものがないとやって来ない」と話されていました。
私自身,視覚による覚え方,しかも,ときどき不完全な漢字を見せられて覚えるという実験の治験者体験をし,そんなことを思い出しました。
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コメント
なるほど、欠けているものと完全なものによって、自分のものにすることができるのですね。つまり、欠けている人間には完全なものが必要と言うこと。また、完全なものを知っているなら、自分の欠けていることを認めることで、幸せになれると言うことだと思いました。
投稿 さかば | 2006年10月17日 (火) 23時19分
>>さかばさんへ
コメントありがとうございます。
>自分の欠けていることを認めることで、幸せになれると言うことだと思いました。
ほうほう,なるほど。私自身は,「幸せ」の訪れを,少し違った観点で見ています。
足りないものがなければ「幸せ」になれないということは,
(対偶命題を考えると)
「幸せ」になれるのは足りないものがあるとき,ということになります。
つまり,全てが満たされると「幸せ」にはなれないということです。
したがって,結局は(自分の)「幸せ」を求める限り,「幸せ」はやって来ないと思うのです。
もしも,「幸せ」というものがあるとすれば,
それは,他人の「幸せ」のために生きるときだろうと思います。
投稿 ct(Magis) | 2006年10月17日 (火) 23時39分
対偶の定義はどうだったかなぁ、などと考えていましたが、さすがですね。
確かにこの世のもので満たそうとすると幸せにならず、害になりますね。名前のリンク先にある「心のともしびTV」でハヤット神父が語られています(お話の中心は5分ぐらいのところから、経験談は7分30秒ぐらいから、失礼な表現ですがちょっとかわいい)。おっしゃられるように自分を満たすことを超えたところに、本当の幸せがあるのでしょう。私の書いたのは、その前提のようなものですね。
投稿 さかば | 2006年10月18日 (水) 01時44分
一時的なマイブームで終わってしまった(一年間くらい)のですが、ビリアードの個人教授を、週一くらいのペースで受けていました。
「手球を的球にあて穴にいれる」
という練習があります。(手球はキューで撞く球、的球は手球を当てる球です。)
手球と的球の当たる角度を覚えるために、前者と後者の重なり具合を分数表現で最初は教わります。もしくは後者にぶつかる瞬間の前者を想像してそこへ前者を撞くという方法もあります。
しかし最終的にはいつも頭で分数を考えるのではなく、
穴と球と球を見たときの「映像」で覚えるとしつこく
教えられました。
別の話ですが、うちの子供は幼稚園から小学低学年のときに教育機関でならっていないような漢字をスラスラ、語彙はとても限られていましたが、たとえば街にあふれている「焼肉」のような言葉を覚えたのです。幼少の頃には「パターン認識力」があると後に誰かから聞かされました。
マジスさんの話に戻ると「書く」練習は忘れないための練習、もしくは
既に脳裏に焼きついた認識(漢字)を表現する練習なのかもしれません。
Y2
投稿 かまちゃん | 2006年10月18日 (水) 18時06分
私は昔、百字帳なるものを使って漢字の練習をしていました
今はもう字も震えて書けないので
全部ワードですけどね(;´▽`A``
投稿 くえちゅん | 2006年10月18日 (水) 20時23分
>>かまちゃんへ
コメントありがとうございます。
ビリヤードもやっていたことがあるのですね。
>「書く」練習は忘れないための練習、もしくは
>既に脳裏に焼きついた認識(漢字)を表現する練習なのかもしれません。
その通りだと思います。
短期間の記憶に適しているのが視覚。
漢字を確実に「書ける」ようにするには,やはり「書いて」覚えることなのでしょう。
>別の話ですが、うちの子供は・・・
かまちゃんから,お子様の話を伺うのは初めてですね。
投稿 ct(Magis) | 2006年10月18日 (水) 22時05分
>>くえちゅんさんへ
「百字帳」ですか。
あまり記憶にありません。
何といっても,僕らの時代の「最先端」はジャポニカ学習帳でした。
今でもあります。
ちなみに最近は,塾の名前入りの特製ノートを使う者が増えてきました。
投稿 ct(Magis) | 2006年10月18日 (水) 22時10分
欠けていることは恵なのかあ・・・
私は昔から色んなものが欠けていて一時本気で自分の遺伝子は残したくないと思っていた時期がありました。
今も精神的に弱いし、欠けていると思うことがたびたびです。
完全なもの、それは自分が目指すべき姿なのでしょうか。
それが判れば、そこにむかえるのか....
兎も角、救われる言葉でした。ありがとございました。
投稿 piyo | 2006年10月18日 (水) 23時38分