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2006年10月22日 (日)

あいたくて

061022_1 昨日も引用した詩人・工藤直子さんの「あいたくて」。
この詩は,詩集『あ・い・た・く・て』(大日本図書 1991年)や左の写真・『工藤直子詩集』(角川春樹事務所 2002年)などに収められている。

昨日記事を書いた後で,ネット検索したら,非常に多くの人がこの作品について書いている。
ある人はブログで,ある人は教材研究として。
特に教材研究としてのページが多いのは,この作品が小学校6年生の国語の教科書に載っているからだ。アチコチのページに詩の全文が引用されている。これは,この作品が「現代の古典的」な作品となっているからかもしれない。教員によるものが多いので教材感覚で全文引用してしまったのかもしれない。どちらも当たっていると思う。しかし,それ以外に,どうしてもこの詩をみんなに知らせたいという気持ちが全文引用の多さに繋がったのだろう。

この詩の全体を通して読まれたい方は,たとえば,
『徳永一哉のホームページ』(サイト運営者との面識はありません。検索で見つけました)内の
http://www.synapse.ne.jp/kazuya/image1.gif
に全文の画像があるので,そちらをみていただきたい。

だれかに あいたくて なにかに あいたくて 生まれてきた そんな気がするのだけれど
この第一連を読むと,人は一人一人個別の使命を担わされて生まれてきているのだなあと思う。
ただ,いつになっても,それがはっきりとはわからない。
だから,第一連は「そんな気がするのだけれど」で終わる。

それでも 手のなかに みえないことづけを にぎりしめているような気がするから それを手わたさなくちゃ だから あいたくて」というのが第三連と最終連。
これは,その使命がわからなくても,
生き続ける人の健気さを伝えている。
翻って,生き続けなければならない人の艱難も伝えている。

それにしても人は何のために生きるのか?
一般論ならたくさんある。
しかし,今必要なのは,一人一人の人間が,
一人一人自分の使命を知り得ることだ。

神谷美恵子さんは『生きがいについて』(みすず書房 1980年)という本の中で,
人が生きがいを感じるのは,使命感に生きるときだという(p.38など)。
そう思う。
どんな使命感でも良い。それは一人一人異なる。
場合によっては,苦しみすら使命感になりうると思う(同書p.30など)。
そこに意味を見出せば。
「必ず意味はある」とV.フランクルは繰り返し述べた。

自然破壊が進み,自然保護,環境教育が盛んな今日,
もう一つの深刻な破壊に気づき,その防止に,もっと力を入れるべきではないか。
その破壊とは,社会による人間破壊である。
今,人間は自らが作り出した社会とその構造によって,破壊されてはいないだろうか?
生命の保護が必要だ。生命を最優先させる教育が必要だ。
競争原理に基づいたバウチャー制度なんて要らない。
もう,競争や選択の時代は終わっている。
今は多様との共生の時代だ。
これは教育現場に立つものの実感。

おつかいの とちゅうで 迷ってしまった子どもみたい とほうに くれている

これは「あいたくて」の第二連。
私にはこの「おつかい」が人生と読めてならない。
小学校6年生の教科書に載っている詩だが,
思春期,20歳,30歳,40歳,50歳代の大人が読んで,しみじみと深みを感じる詩なのではないだろうか。

途中で迷ってしまい,途方に暮れている人があまりにも多い。

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コメント

>途中で迷ってしまい,途方に暮れている人があまりにも多い。

なんといっても、やりきれない文で、ここまで読んでとまってしまいました・・・。ほんとに、私の周りにも、近くにも。。。

一番もどかしくて、さみしいのは、そんな時、私はどうしたらいいのか、考えてしまうことです。でも考えても答えが出てこないし、役に立たないし、意味がないような気がするし。どうしたらいいのか、さっぱりわからないことも、やりきれない理由の一つです。

投稿 hawa | 2006年10月22日 (日) 22時19分

>>hawaさんへ

本当におっしゃる通りですね。

>一番もどかしくて、さみしいのは、そんな時、私はどうしたらいいのか、考えてしまうことです。でも考えても答えが出てこないし、役に立たないし、意味がないような気がするし。どうしたらいいのか、さっぱりわからないことも、やりきれない理由の一つです。

これも同感です。
しみじみと人間の無力さを感じます。

投稿 ct(MAGIS) | 2006年10月22日 (日) 22時25分

>途中で迷ってしまい,途方に暮れている人があまりにも多い。

私もここで立ち止まってしまいました。
おつかいの途中で迷子になった、買い物メモをなくして何を買うのか忘れちゃった。

迷子を、立ち止まっているときを、たのしめたら。いいのに。

迷っていることにあせりを感じてしまう。

投稿 piyo | 2006年10月24日 (火) 00時44分

>>piyoさんへ

いつもコメントをありがとうございます。

>迷子を、立ち止まっているときを、たのしめたら。いいのに。

なるほど,そうですね。
でも,迷子を楽しむのはなかなか難しそうですね。
迷子になると焦ってしまうのが当たり前ですよね。
う~ん。そうならないためには・・・。
はじめから,少しボケたところが必要なのかもしれません。

投稿 ct(MAGIS) | 2006年10月24日 (火) 18時25分

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