カイン
きみは,油断しているとつい他人の期待にそおうとしてしまうだろう。それから自由にはなれないだろう?そのことで悩み続けているだろう?
僕の経験からすると,こういう人種とは異質な人種が地上にはおびただしく生息している。彼らは,他人の期待を無視できたり他人の期待を適当に振り払って生きていける,僕にとってはまことに不可解な人種だよ。
上の文章は中島義道著『カイン』(講談社 2002年)の第3章「なるべくひとの期待にそむく」からの引用です。(67ページ)
中島義道さんの本(リンク先は過去の記事)はたいてい発売されるとすぐに読むので,多分4年前に読んだのですが,この本には,人間には2種類の人種があると書かれているのです。その一方がカインの末裔で,他方が,アベルの末裔ということになるのでしょう。
聖書によれば,カインとアベルは人類史上初の兄弟です。つまりアダムとエバの子どもなわけです。この兄弟に悲劇が起こりました。
同じように供え物をしても,神は明らかにアベルを優遇し,カインには冷たかった。それを妬んだカインはアベルを殺してしまったのです。
もちろんこれは神話なのでしょうが,この人類史上初の兄弟において,すでに殺人が行われたと聖書には書いてある。
そして,カインは神様から
今,お前は呪われる者となった。(創世記4章11節)
と言われ,続く12節では,「お前は地上をさまよい,さすらう者となる」と宣言されます。(2カ所の引用とも,日本聖書協会 新共同訳より。以下同様)
やっぱりなあと思います。
昨日,教育カウセラー協会のメンバーでもある,ある人と初めてお会いして,一緒に食事をしました。
初対面ですが,ちょうど2時間,話は尽きずに楽しい一時を過ごしました。しかも,その話はアチコチに話題が飛んだわけではなく,ある一つのテーマにから外れることはありませんでした。こういうことは滅多にありません。
数行上に引用した12節の後,カインは神様に言います。「わたしの罪は重すぎて負いきれません。地上をさまよい,さすらう者となってしまえば,わたしに出会う者はだれであれ,わたしを殺すでしょう」(13節・14節より)と。弟を殺したカインは地上をさまようことになるのですが,その途上で出会う人に殺されることを恐れるのです。なんというろくでなしと思ってしまいがちですが,カインの気持ちが私には少しわかります。そんなカインに神様は,「君を殺す者は,だれであれ七倍の復讐を受けるであろう」と言い,「カインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように,カインにしるしを付けられた」(15節より)のです。
さて,なかなか複雑です。神様は,カインを楽園から追い出し,さまよい,さすらう者としました。しかし,殺されないようにしるしをつけたというのです。この箇所は,神のあわれみを表す箇所であると言われています。私もそのように読んでいます。どんなことがあっても人は殺されてはいけないのです。神様はそれほどまでにいのちを大切にされました。神様こそいのちをともしてくださる方。極論すれば,神様はいのちそのものです。
さて,最後に見方を変えます。神様はそんな大きな罪をおかした人間も生かされようとする方です。とすると・・・,これはなかなか厳しいことです。罪をおかした人がどんなに罪悪感に苦しんでも生きなければならないと神は定めているとも取れるからです。そして,それは万人にあてはまります。なぜなら,罪(思う罪,言葉の罪,実行した罪,怠りという罪)をおかさずに生きている人はいないからです。どんなことがあっても人は生き続けなければなりません。自分にはもう生きていく価値はないと思っている人も生きなければならないのです。神はカインにも生きていくことをお定めになっているのです。恵みという観点からいえば,カインにも生きていくことをおゆるしになっているのです。
神様が,これからさまよい続けるカインに刻んだというしるし。なんとなくそれは,額の真ん中にあるような気がしていました。きっと,手塚アニメの名作『旧約聖書物語』影響でしょう。しかし,今はそのしるしは,愛(=いのち)という形で人の心に刻んだ神自らの刻印であると思えてなりません。
昨日お会いした方にも,神の刻印が刻まれていました。
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コメント
深い記事に感謝。
教会の礼拝の話を聞く思いでした。
人とは、罪人である
というところで本質を見ることが出来るのだと思いました。
しかし、生かされ、愛を受ける形で
もうひとつのいのちを同時に持ちつつ生きるのでしょうか。
感謝。
投稿 きぼう屋 | 2006年10月 5日 (木) 10時10分
>>きぼう屋様
初めてのコメントをありがとうございます。
>生かされ、愛を受ける形で
>もうひとつのいのちを同時に持ちつつ生きるのでしょうか。
私は25歳の時に,自分で選んで(神様に掴まって!!)授洗したのですが,
そのとき,司祭が,
「今日からは2倍の生き方ができる」
といって下さったのを思い出しました。
今後とも,信仰の友として,よろしくお願いします。
投稿 ct(Magis) | 2006年10月 5日 (木) 22時23分
ct さん。こんばんわ。
この「カインとアベル」の話しをつい最近高1の生徒とともに読みました。
「神はこんな大きな罪を犯しても生かそうとする」「どんな思い罪をおかしたとしてもひとは生きなければならない。」というように教えればよかったのですね。もうすこし早くこの話しを知っていたらそういうように説明したのですが……………。
ところで、この箇所を読んだ時の生徒の率直な質問です。
「神がアベルをえこひいきをしたから、カインは怒り嫉妬してアベルを殺してしまった。としたらえこひいきをした神に責任はなかったのですか? 神さまはそれを感じなかったのですか? 私には神さまにそういう後ろめたさがあったから、カインをゆるさざるを得なかった……………。」
私はこの質問におもわず「う〜ん。いい解釈だ。ノアのところで神さまも後悔することもあるのだから、ここでも後悔していたのかもしれない」と答えてしまいました。
もうひとつの質問。
「カインはさまようようになったら、自分も殺されるかもしれない」と不安になっていますが、いったい誰に殺されるのでしょうか? だってまだ世界にはアダムとエバとカインしかいないのではありませんか? カインは妻と結婚したとそのあとに書いてありますが、その妻とは誰なのでしょうか?」
これもまた鋭い質問です。この話は私も知っていました。
「それは旧約聖書最大の矛盾といわれているところなのです。」
と答えるしかありませんでした。
ところで、私の「Good News Collection」のブログがまた「ブログの輪」からはずれていますが、仲間はずれになったようでさみしいです。
スパム・トラバやコメントがたくさんつくからなのでしょうか。
できるだけ点検して、スパムをはずすことを日課としてはいるのですが、やはり「ブログの輪」に入れてもらえないのでしょうか?
投稿 mrgoodnews | 2006年10月 8日 (日) 01時00分
>>mrgoodnewsさんへ
どうも。
コメントをありがとうございます。
「ブログの輪」に加えさせていただきました。
一応設定を20件までとしているので,
ときどき入れ替えています。
ご了承を!
投稿 ct(Magis) | 2006年10月 8日 (日) 14時41分