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2006年10月29日 (日)

「違い」

061029 イスラム圏の女性はブルカというかぶり物をまとっています。
イスラム諸国は暑い国が多いので,しばしば,
「あんなものをまとって暑かろうに。
早く自由主義やデモクラシーの時代が来れば良いのに。
そうすれば,あの女性たちも解放される」

と思ってしまいがちです。

しかし,この考えには大きな見落としがあります。
それは文化的背景の相違ということです。

ブルカはイスラムの女性にとって,単に外出着なのです。
これは単に,文化の「違い」に過ぎません。
ペシャワール会の医師中村哲氏によれば,
これを女性への抑圧だというのは,
突然やってきた外国人が,江戸時代の町を歩いている女性たちを見て,
こんなに太い布のベルトで何重にもぐるぐる巻きにするのは野蛮な習慣である
というのに等しいといいます。
(岩波ブックレットNo.673『アフガニスタンで考える』p.23参照)

私は,昨日,生活者大学校鎌倉分校が主催し,
北鎌倉の円覚寺塔頭・白雲庵で行われた
中村哲氏の現地報告会を聞きにいってきました。
その話を伺いながら次のようなことに改めて気付かされました。

私は,様々な「違い」を,善悪や優劣と考えがちではないか。

先月,9.11同時多発テロ5周年ということで,様々な報道やドラマが放映されたことは記憶に新しいです。

しかし,その後のアフガン空爆では,9.11の何倍(=約1万人)もの一般市民(アフガニスタンの場合,農民です)が,殺されています。

中村哲『アフガニスタンで考える』(岩波ブックレットNo.673)のp.40からp.41にかけて,少し長いですが引用します。

二千数百名のニューヨークのテロ事件の犠牲者に対する悼みの声は世界中で聞かれましたけれども,アフガンの空爆による犠牲者を悼む声というのは,ごくわずかしか聞かれませんでした。私が言いたいのは,先進国の人であろうが発展途上国の人であろうが,人の命の重さには変わりがない,ということです。先進国には,空爆下のアフガンの民衆への想像力があまりにも欠けていたのではないかと思いました。
 (中略)
たとえば,カーブル解放の映像,北部同盟を歓呼の声で迎えるカーブル市民たちの映像。それからブルカを脱ぐ女性たちの映像,これらが繰り返し繰り返し,流されました。その情報の波の中で人々は「これでアフガニスタンは自由の国になったんだな,民主化するんだろうな」という錯覚を起こしたのです。

女性がブルカを脱ぐことと自由とは何の関係もありません。もし,ブルカを脱ぐことが自由の象徴であるならば,自由とは,アメリカや日本やイギリスの真似をさせることということになります。

アフガニスタンは,今が最もひどい状況だそうです。

余談ですが,円覚寺の帰り道に,お蕎麦屋さんに寄りました。私がお蕎麦を食していると,とてもきれいな着物を着たご婦人お三人が入ってきました。ちょうどそのお店に居合わせた外国人の若者4人は,まったく関心を寄せずにいました。これはこれでなんだか淋しい気がしました。

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コメント

初コメントです。
着物を脱いで洋服を着ろ?ということでしょうか?
アフガニスタンでも女性が燃やされてるんだろうか?

投稿: りまま | 2006年10月30日 (月) 09時57分

>>りままさんへ

初コメントありがとうござます。

>着物を脱いで洋服を着ろ?ということでしょうか?

いえいえ,そうではなくて。
イスラム圏の女性がブルカを着ているのは,
抑圧されているからではなく,
一つの文化だということを言いたかったのです。
文化が他国の支配によって消されることを私は危惧したのです。
文化は自分たちと自分たちと共生しようとするものによって成熟していくものだろうと思うのです。

>アフガニスタンでも女性が燃やされてるんだろうか?

これについては,りままさんのご質問とずれてしまうかもしれませんが,
日本で報道されている,所謂「ピンポイント爆撃」といわれているものは,
現地アフガンの人にとっては無差別空爆に過ぎないということでした。

投稿: ct(MAGIS) | 2006年10月31日 (火) 00時57分

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