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2006年10月20日 (金)

低みに立つ

061020 昨日,ちょっと用事があって,(住まいのある市の)「中央公園」に行ってきました。
そこは,周辺の池や湿地帯も含めて,思っていた以上に素晴らしい場所でした。
写真の案山子もその公園の中なのか外なのかわからない田んぼに立っていました。

さて,この案山子とは全然関係のない話なのですが・・・。

同僚と二人でこの公園を散策(実は行事の下見)していたところ,小さな子供の泣き声が聞こえました。
同僚と二人で泣き声の方を見ると,なんと,2歳くらいの赤ちゃん(?)が,かなり急な崖を四つん這いで登っている,というか,登れないで泣いているところでした。

同僚(彼は5人の子持ちです)と私の二人は自ずとそちらへと近付いていきました。
すると,その泣いている小さな子供が登ろうとしている崖である急斜面上の2メートルくらい上に一人の保育士さんがいて,「ここまで登っておいで」という趣旨のことを,上から言っているのでした。見ると,その上にはすでに10人くらいの小さな子どもたちが,斜面がちょっと緩くなっているところを探して座っていました。やはり,2~3歳だと思います。また,もう一人,保育士さんがその中にいました。

同僚と私は,そこまで見て,やっと事態を把握しました。
つまり,この子たちはどこかの保育園児で,保育士さんに連れられて,この公園に来ていたのです。見ると,複数の子供が乗れる特製のベビーカーが近くにありました。

そして,この保育園の保育方針なのでしょうが,小さな子供に,崖登りという,まさに,サバイバル体験をさせていたわけです。同僚も私も,「いや~,いい保育園だ~」なんてお互いに言い合いました。

でも,あとから,崖を登った山の中から,大勢の子どもたちの泣く声が聞こえると,「ちょっとやり過ぎなんじゃないの~」なんていう思いも一瞬過ぎりました。でも,園の保育方針があるのでしょう。いずれにしても,あんな崖に10人もの2~3歳児を連れて行くことのできる保育士さんの力はすごいと思いました。

ところで,上述の泣いていた子供。その子は,結局,他のみんながある程度まで登っていたのに,最初の段階でつまずいてしまった,ある意味で,「この日に一番弱かった」子でした。

ちょっと上から保育士さんが声を掛けていたので,その子は必死に登ろうとします。しかし1メートルも登ると,四つん這いのまま,もとの位置までずり落ちてしまいます。そして,ずり落ちながら泣きます。同僚と私はその後ろや横に居たのですが,これは手を出してはいけない場面と判断し,見守っていました。責任をもっている保育士さんが手出しをしないのですから,教員とはいえ,通りすがりのおじさん二人が助けるわけにはいきません。だから,声だけかけていました。

しかし,一向にその子は登れません。

そこで,今まで上から,「ここまで来てごらん」と言っていた保育士さんが,その子の横あるいは下の方まで降りてきて,今度は「あそこまで登ってみよう」と言い始めました。するとどうでしょう!その子は,ピタッと泣きやんだのです!別に保育士さんが手を貸したわけではありません。ただ,それまでの「上」から,「隣」もしくは「下」へと位置を変えただけなのです。

この子の保育士さんに対する信頼がわかりました。それまで,同僚と僕がその子の「隣」や「下」に居たのに,「上」にいる保育士さんを見て泣いていました。けれども,保育士さんが「下」に降りてきた途端に泣きやんだのですから。

フランシスコ会の本田哲郎神父様は,『釜ヶ崎と福音』(岩波書店 2006年)の中で,相手の立場を理解するためには"Stand under others"が必要だと言っています。つまり相手よりも下に立てというのです。英語の"understand"(理解する)がそれを示唆していると言っています(p.54)。そして,この本全体を貫くのが,このように,「低みに立った」視座です。神は弱者を選び,「その人たちと共に立ち上がることをとおして,すべての人を救われる」(p.64)というのです。

降りてきてくれて,一緒に「下」から崖を見上げてくれた保育士さんは,取り残された子供にとって,救い主に感じられたからこそ,その子は泣きやんだのでしょう。

それにしても,「低みに立つ」という発想は日本にはありませんね。「低み」なんて漢字変換は出ないでしょう?「高み」は出ますが。

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コメント

ご無沙汰してます。
初コメントです。
高校3年生の修養会で似たようなお話を聞いたのがとっても心に残っています。(その後の大学の推薦の集団面接でその話題をして受かったこともあって・・・)
それは体育の授業だったか、運動会の徒競走で走るのが嫌で小学2年生くらいの子がコースの中で寝転んでダダをこねたそうです。
先生がどんなになだめても泣きやまかなったのに、お友達が一緒に横に寝転んで「空が高いね」と言ったら泣き止んだというお話でした。
子どもと同じ立場に立つというのは自分が進んできた道とは言えとても難しいことと感じています。
今親になって、なるべく同じ位置に立って子どもの訴えを理解し、子どもに合った道に導いてあげられるようになりたいなと改めて思いました。「低みに立つ」忘れずにいたいです。
でも、今は毎日赤ちゃんの訴えがわからず、「何で泣くの~???」と一緒に泣きそうになってます・・・。ある意味同じ位置でしょうか・・・。

投稿: あびこ | 2006年10月22日 (日) 12時55分

>>あびちゃんへ

すばらしいコメントありがとう。
高3の修養会のときのことを覚えているのが,
元ヨゼフ教師としては大変嬉しいです。

親バカ日記見てますよ~。
「おめでとう」のコメントも入れずにごめんなさい。
一月の間の日に日に可愛くなっていく様子がわかります。

大変でしょうが,
ちえみちゃんを子として育てるのはお母さんで,
あびこさんを親に育てるのがちえみちゃんですね。
共に成長し合える喜びに感謝!!

投稿: ct(Magis) | 2006年10月22日 (日) 14時18分

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