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2006年11月20日 (月)

国と地方公共団体との適切な役割分担?

061120 「点P(6,2,-3)を通過し…」というような文章の中のP(6,2,-3)という表現は「座標が(6,2,-3)の点P」を意味する.この教科書では座標が(6,2,-3)の点を単に点(6,2,-3)と書いたところが多い.この書き方によると,点Pと点(6,2, -3)が等しいのだから当然,P=(6,2,-3)・・・(*)
と書いてよいことになる.ところがこの教科書には(*)の表現がない.きみたちは不思議に思うかもしれないが,これは文部省に禁止されたのである.数学Iの検定のときにすでにダメということになった.しかし教科書に書けなくてもみんなで使うことは自由だから,遠慮せずに使おう.また,このような数学の記述の仕方の,本来,国の政治や行政と無関係であるべきことがらに,実際には国家が細かく口出ししていることをきみたちも知っていてほしい.

以上の文章は,『三省堂版予習・復習ガイド 高等学校の代数・幾何』(三省堂教材システム)の105ページの下から8行目から,106ページの上から3行目までをそっくりそのまま書き写したものです。この本は教師用指導書ではなく,いわゆる教科書ガイド(虎の巻)ですから,当時の高校生向けに書かれているわけです。2冊並べた写真,左側が教科書で,右側が引用文の載っている教科書ガイドです。教科書の方は1988年に当時の文部省(現文部科学省)の検定に合格しています。教科書ガイドの方は,1989年に発行されたものです。学習指導要領でいうと,現行の二つ前の課程の教科書です。

さて今まったく不当な形で教育基本法が改悪されようとしています。特に改悪の柱は,教育行政に関する条項である第10条で,現行では「教育は,不当な支配に服することなく,国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」となっているのですが,改正案では,「教育は,不当な支配に服することなく,この法律及びその他の法律の定めるところにより行われるべきものであり,教育行政は,国と地方公共団体との適切な役割分担及び相互の協力の下,公正かつ適切に行わなければならない。」(新案では第16条)と変わっています。これは,つまり,教育の主権が国民から剥ぎ取られ,教育全体(内容や方法)に国の介入が公然と認められる形に変わるということです。

冒頭の記事を今一度読んで下さい。この記事は1988年か1989年に書かれたものです。「数学の記述の仕方の,本来,国の政治や行政と無関係であるべきことがらに,実際には国家が細かく口出しして」いることを当時の高校生にメッセージしています。もう20年近く前の記事なので,書かれた数学者のお名前は伏せますが,有名大学の教授が書かれたものです。現行の教育基本法下で起こった出来事です。

今,こんなことを教科書ガイドに書いたら,どうなるでしょう?
どうなるどころか,発売前に出版社が慌てて,「不当な支配」に文句を言われる前に,著者に書き換えを求めるでしょう。
これから先は・・・・,そうです。このままでは何も言えない時代が待っているだけなのです。

教育基本法の改正は,これまでの「不当な支配」を正当化するためのものでしかありません。

11月3日(文化の日)付の東京新聞,特報欄で,私の勤務するイエズス会学校の姉妹校の校長が教育基本法改正反対を正面切って表明しています。「現行の基本法精神を追求しなかったことが,教育の荒廃につながっている」と述べています。その記事の内容は東京新聞のホームページ内の
http://www.tokyo-np.co.jp/00/tokuho/20061103/mng_____tokuho__000.shtml
にもそのまま掲載されています。

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コメント

教育基本法は、安倍首相に変わってからのタイムリーな話題なので
今勉強中です・・・

二人の子を私立と公立に通わせていますが、
率直に思うことは、公立の先生はやる気なし、
私立の先生は生徒の事を思う気持ちが公立の先生とは
くらべものになりません。
公立の方では、暴言をはいたり、ヤクザな口調で怒ったり、
セクハラもあるし、気に入った子にはヒイキする。
こんな先生がいるのです。

家庭環境に問題があるのも、絶対的に公立が多いと思います。
そういう環境にいる子が
だいたい問題をおこしています。
国が今、教育現場を良くしようとがんばっていますが、
問題の根っこは、家庭の崩壊から始まっているような
そんな事を実感しています。

投稿: lei | 2006年11月20日 (月) 09時39分

>>leiさんへ

コメントをありがとうございます。

しかし,今回いただいたコメントに関しては,
私としては個人的には賛同いたしかねます。

以下,検討してまいります。

まず,
>率直に思うことは、公立の先生はやる気なし、
>私立の先生は生徒の事を思う気持ちが公立の先生とは
>くらべものになりません。
についてですが,
お二人の大事なお子様を公立と私立に通わせておられて,
そのように感じたお気持ちはわかります。
しかし,それは,「公立だから」,「私立だから」の二分律で分けられるものではないと思います。
もしかすると,
たまたまleiさんの知っている公立学校の先生にやる気を感じられない方が多く,
たまたまleiさんの知っている私学の先生が生徒思いに感じられただけかもしれません。
それを,一般化するのはどうでしょうか?
しかも,それはleiさんにそのように感じさせた他の要因がある可能性もあります。
一般に公立の先生より私学の先生は,いわゆる,市場原理に傾斜した「営業的な」研修を受けている場合が多いのです。
私学はある意味企業ですから。
そうすると,「接客態度」に配慮する必要が出てきます。
だからといって,実際に生徒思いかどうかはわかりません。
私は自分が所属している研究会などで,しばしば公立の先生とも私学の先生とも顔を合わせますが,けっして公立の先生が私学の先生に較べてやる気がない人の集団とは思えません。
やはり,人によりけりです。

>公立の方では、暴言をはいたり、ヤクザな口調で怒ったり、
>セクハラもあるし、気に入った子にはヒイキする。
>こんな先生がいるのです。

これも公立だからではなく,その先生の資質に依るものと思います。
私は複数の私学の教壇に立ってまいりましたが,
暴言,セクハラ,贔屓はどこでもありました。
それはどこの社会でも同じです。
もちろん,それを良いこととは思っていませんよ。
なお,ヤクザ口調に関しては,口調ではなく,
本当にそのような人が経営側にいるのは公立の方ではありません。

>家庭環境に問題があるのも、絶対的に公立が多いと思います。
>そういう環境にいる子が
>だいたい問題をおこしています。

これは裁くような発言ではないでしょうか。
家庭環境が悪くなる原因は様々で,
その家庭に原因がある場合もありますが,
あまりに不運な場合もありますし,
周囲の社会が,主に強者の論理で,
弱者の家庭を崩壊させている場合も多いのです。
大変な家庭環境の中で,事件も起こさず,自らを傷つけることもなく,健気に大人と戦っている子どもたちと日々接している者として,
「だいたい問題をおこしています」
という発言は,再検討していただきたいと思います。

>国が今、教育現場を良くしようとがんばっていますが、
>問題の根っこは、家庭の崩壊から始まっているような
>そんな事を実感しています。

私はこのような認識にも違和感を感じます。
まず,家庭の崩壊は問題の「根っこ」ではありません。
家庭の崩壊には原因があると思うからです。
それは,国家を含めた社会構造および
人間の生物学的な変質から探り出すことが可能です。
そして,何より今日のブログで言いたかったことは,
国は教育現場を良くしようとはしていないということです。
国は,国民から自由や主権を奪い,ある一定の方向に持っていくために,
準憲法である教育基本法を改正しようとしているということです。

訪問して下さり,折角コメントを寄せて下さったのに,
私のこのコメントはleiさんに不愉快な思いをさせているかもしれません。
しかし,このブログは一般の方々に公開されておりますので,
それに対して,ブログの書き手としてきちんとした見解を示す必要があると判断し,このコメントを書かせていただきました。

もし,leiさんのご希望があれば,
leiさんと私の両方のコメントを削除いたしますので,
ここに書いて下さるか,右列上方の「メール送信」をクリックしてお知らせ下さい。

今後ともいろいろと考えを出し合っていくことができれば幸いです。

投稿: ct(magis) | 2006年11月20日 (月) 18時39分

MAGISさま
大変有難いご意見ありがとうございます。
私が書いたのは決して一般論ではなく、私の周りの状況です。
公立私立の両方に身をおいてみて感じた気持ちです。
子供の母親の、独特な集団の中にいると、
いろんなこと(ホンネ、タテマエ、カケヒキ・・)が見えてきます。
たぶん、そんな中で心を捻じ曲げて周りを見ていたんでしょうね。
反省です。

でも、いろいろと人生の勉強中なので、このコメントに怯まず、
考えを出させていただきたいです。
いえ、出させていただいてよろしいでしょうか?

MAGISさまがご希望であれば削除していただいても私は
構いません。
お任せいたします。

投稿: lei | 2006年11月20日 (月) 22時39分

>>leiさんへ

早速の反応をありがとうございます。

>私が書いたのは決して一般論ではなく、私の周りの状況です。
>公立私立の両方に身をおいてみて感じた気持ちです。
>子供の母親の、独特な集団の中にいると、
>いろんなこと(ホンネ、タテマエ、カケヒキ・・)が見えてきます。

そうですねぇ。
私もその感じた気持ちまで否定するものではありません。
私も教師である前に,親であり,その前に人間ですから。
その我が子を,特定な学校にあずけた身として
感じた気持ちには共感できるものがあります。

>でも、いろいろと人生の勉強中なので、このコメントに怯まず、
>考えを出させていただきたいです。
>いえ、出させていただいてよろしいでしょうか?

勉強中なのはお互い様です。
これからもどんどん考えをお聞かせ願えれば幸いです。

>MAGISさまがご希望であれば削除していただいても私は
>構いません。
>お任せいたします。

わかりました。私としては,
なるべくいじりたくないというのが基本姿勢です。
以前,一度だけ,コメントともに記事を丸ごと削除したことがありますが,
今回はこのままでいいかなと考えています。
もし,leiさんのお気持ちが変わったらまたお知らせ下さい。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: ct(MAGIS) | 2006年11月20日 (月) 22時57分

アメリカより、いつも楽しくブログを拝読させていただいております。
別々の私立中高学校に2人の娘を入学させましたが、現在は大学を休学してあめりかで語学研修しております。
2つの、質問があります。1つ目は、P=()と書くことを禁止した理由は何であったと思われますか?
多分、新聞等でそのような記事を見たことが無いので、以前の教育を受けた人は、そのまま使っていると思われるのですが?
2つ目の質問は、国が教育基本法を改正しようとしている目的は、何なんでしょう。

娘の語学学校での作文のテーマとして、「自分の国の教育システムの良い所」と言うのが出て、何であるか判らず困って相談されました
私も困りましたが、平均レベルが高いこと。SATという数学の大学入学共通試験に出ている問題は、日本では中学生の大半はできると、答えました。
そして、その原因は公立学校の教師の給料がほぼどの学校でも同じであり、移動を義務付けられているので、極端にレベルの低い学校が無いことをアドバイスしました。
もちろん、このシステムに弊害がたくさんあることは承知していますが、テーマから外れるので話だけはしました。
 
日本の教育の1番のウイークポイントは、誰かに突っ込みをいれられる可能性のあることは、黙っていて(教えないで、又は議論しないで)判らないように逃げていることではないでしょうか。
だから、自分達の良いことも悪いこともわからないのだと思います

投稿: 留学生の母 | 2006年11月22日 (水) 00時12分

>>留学生の母さまへ

いつもブログを読んで下さっているとのこと,ありがとうございます。
さて,ご質問にわかる範囲でお答えします。

>P=()と書くことを禁止した理由は何であったと思われますか?
>多分、新聞等でそのような記事を見たことが無いので、以前の教育を受けた人は、そのまま使っていると思われるのですが?

当時の教科書検定をする委員が
全教科書の記述を統一することが一番の目的だと推定できます。
同時期,歴史教科書から,戦時中の日本の「中国への侵略」という記載が一斉に抹消されました。

>国が教育基本法を改正しようとしている目的は、何なんでしょう。

この質問にお答えする前に,
現行の教育基本法が公布されて間もない1947年4月,
当時の高橋誠一郎文部大臣が,ラジオを通して
教育基本法制定の意義を,国民に説明したときの現行の一部をご紹介します。
(この文章は,「平和・人権・民主主義の教育の危機に立ち上がる会」発行のパンフ『どう変わる教育基本法』から転載しています。)

「教育は真理を尊重し,人格の完成をめざすものでなければなりません。かかる教育によって初めて真に国を愛し,国のために尽くす人間を育成することができるのであります。しかるに従来のわが国の教育はややもすればこの目標を見失い,近視眼的な功利主義に堕し,教育は専ら国家に奉仕すべきものとされたのであります。ここに画一的な外面のみを重んずる右にならえ式の形式教育の幣におちいってしまったのであります。真理も国家のためになるもののみが真理とされ,真理のための真理の探求という真の科学的精神はまげられてしまったのであります。この従来の教育のあやまりを是正するとともに新憲法のめざす真の民主的,平和的,文化的国家の建設を実現するがためには,従来の教育を根本的に刷新し,その普及徹底を期することが何よりも肝要であります。」

今回の改正の目的は,高橋元文部大臣が,現行教育基本法公布当時に批判した「専ら国家に奉仕する」教育の実現,国家のため教育の推進にあるのだと思います。

さて,次の話題。
>SATという数学の大学入学共通試験に出ている問題は、日本では中学生の大半はできると、答えました。
そうですね。日本の数学教育の水準は一般に高いとされてきました。
しかしそれは主としてあまり思考力を必要としない,
ドリル的な努力によって体得できる分野に限っての話です。
もっとも,この10年間くらい,日本の数学教育も
指導要領の質が極めて悪いことによる影響で,
だいぶレベルダウンしています。
かつてはどこの学校で教えてもらえたことが,
塾や私学へ行かなければ教えてもらえないという事態も発生しています。
いわゆる「格差社会」は教育の現場で特に顕著に出現しています。

>その原因は公立学校の教師の給料がほぼどの学校でも同じであり、移動を義務付けられているので、極端にレベルの低い学校が無いことをアドバイスしました。

これは本当にその通りで,お母様がご指摘の通り弊害を含みつつも,
すぐれたシステムでした。
それに付け加えていうと,日本の教育には「学級」という単位が大きな力を発揮してきました。
その「学級」という単位のかたまりが「学校」であり,
「学校」は「地域」(学区)を作り出していました。
ところが,昨今の日本では,教育への市場原理の導入ということで,
学校選択制やバウチャー制度を取り入れるところが出てきてしまいました。
これでは,「地域」がなくなってしまいます。
憂えています。


投稿: ct(magis) | 2006年11月23日 (木) 11時46分

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