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2006年11月23日 (木)

逃げて!

『母に捧げるバラード』
この歌は,今,教育問題について,よく発言するあるテレビタレントが,
この世に出るきっかけとなった大ヒット曲です。

その歌はほとんど台詞からできているのですが,
その台詞の中に,
「働け。働け。働け,鉄也。
働いて,働いて,働いて,・・・
遊びたいとか,休みたいとか,
そんなことを思った時は,
そのときは,死ね,鉄也」
というものがあります。
私も中学生のときに聞いた(正確には聞こえてきた)台詞だったので,
うろ覚えですが,趣旨は合っていると思います。
これは,この歌を歌った人のお母さんが,この人に言った言葉だそうで,実話だそうです。
つい最近まで,テレビやラジオなどでも,このことを自慢げにそのタレントさんは語っていました。
もちろん,そのお母さんは息子さんである鉄也さんを「励まそう」として,
言った台詞なのでしょう。

もうかれこれ30年以上前の話で恐縮ですが,
当時中学生だった私は,この歌がどうしても好きになれませんでした。
理由はわかりません。
まだ働いてもいなかったので,働くことの意味さえ知らなかったですが,
働くのがいやになったら死ねという発想が,
自分の感性には合わなかったのだと思います。
実際,私の場合,働き始めが遅くて,26歳で初めて働き始めました。

ちょっと話が変わりますが,朝日新聞が,一週間ほど前から,
毎日ではないのですが,朝刊第一面の左端の方に,
五段ブチ抜きの記事として,「いじめられている君へ」という緊急連載を始めました。
これまで,児童文学者,劇作家,落語家,ノーベル賞をとった物理学者,作家の5人の著名人が,
主に小中高等学校の生徒にあててメッセージをあてています。

これらを読んでいると,もちろん書き手の善意は感じます。
しかしながら,残念なことに,
若い人たちの力となっているものは多く見積もっても
半分もないのではないかと思います。

特に,自分の体験を語った激励メッセージほど,
力にならないものはありません。

数日前,『たけしのTVタックル』という番組でも,いじめの問題が取り上げられていました。
その中で,ある主演者が,
「いま急にいじめが増えたかのように報道されているけれど,
そんなものは昔からあったわけで・・・」
と発言したとき,大竹まことさんという人が,
「いまと昔は違うのですよ。
自分たちが子どもだった頃の話をしたって何の意味もないのです」
という趣旨のことを割り込んで発言しました。

これ,まさにその通りなのです。
今は子どもたちを取り巻く環境が全然違うのです。
大竹まこと氏に拍手を送りたかったです。

似たような話ですが,
先日,ある学会の研究大会に出席したとき,
ある大学の先生が,
「最近は社会の一線で活躍してきた中高年の人が
何かのきっかけで教壇に立つときがあります。
彼等は高度成長時代に就職した人たちなのです。
今は全然違うのです。
しかし,彼等が自分たちの時代の仕事観・会社観,時代感覚で
学生を導こうとした場合,それは大間違えになるのです。
むしろ,大学でキャリア教育をやるような人は,
逆に今の学生を信頼し,今の学生に学ぶべきなのです。
だって,こんな社会にしたのは,今の学生たちではなく,
教える側に立っている私たちなのですから」
という趣旨の発言をされました。
私はその先生の発言に心から敬意を感じました。

こうした観点から見ると,
朝日新聞が肝いりで連載を始めた「いじめられている君へ」も,
まだ連載5回ですが,「?」と思う記事もあります。
書き手が自分の苦しみとそれをいかに克服したかを
書いているものがあるのですが,
それは,「彼の体験」であって,苦しんでいるのは「私(=子どもや若者)」だからです。
もちろん,書き手の苦しんだ時代と今の時代は違いますし,
仮に,時代が同じでも,苦しんでいる人はそれぞれ違う苦しみを味わっているのです。
原因が同じでも,人それぞれ苦しみは違います。

そんな中で,劇作家・鴻上尚史さんのメッセージは極上でした。
『死なないで 逃げて 逃げて』という見出しが付けられた約70行の記事のうち,
自分の体験はたった3行しか書いていません。(朝日新聞11/17朝刊)
それも,
「僕は,南の島でなんとか生きのびた小学生を何人も見てきました」
という,まあ,どちらかというと自分自身の体験というよりも
自分が見た体験です。

鴻上さんのメッセージで私が皆さんにも是非シェアしたいのは,
次の一文です。

「どうか,勇気を持って逃げてください」
   (注)記事全体からわかることですが,もちろん,死なないことが前提です。

冒頭の歌の歌詞に戻ります。
「働いて,働いて,働いて,・・・
遊びたいとか,休みたいとか,
そんなことを思った時は,
そのときは,死ね」

やはり時代は変わったのです。
大ヒットしたこの歌ですが,今だったら放送禁止ソングになっていたかもしれません。

頑張ることも生きることですが,
休むこともまた生きることなのですから。

今は休むことが大切な人が確実にいます。

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コメント

懐かしいですね「母に捧げるバラード」。私は大好きです。元々、変な方言の歌ということで興味を持って、雑誌などでそのときの状況を知ったからかもしれません。
当時、教育大学の4年生で教育実習も終えて、卒業を待つだけのときに、泉谷しげる達を追って東京に出てきた時の歌です。その状況での「死ね」という言葉は、もちろん、そのままの意味ではありません。MAGISさんが書かれているように励ましの言葉で、約束された未来を捨てようとする息子の迷いをなくすための言葉だったと思います。
さらに補足すると、その10年後にグループの解散コンサートでは「母に捧げるバラード'82」として、送り出した息子を10年間待っていた母が歌われています。5年目の冬に暮らしがうまくいかず「つらくて仕方がない」としみじみなげくと、微笑むような悲しむような顔をして、熱いお酒を何本も、何本もつけてくれたそうです。また、10年目に解散を告げると、電話の向こうでうなずくだけで、切ろうとしたときにようやく「お疲れさまでした」と言われたそうです。
このような母を、強い母でなく、励ます母でなく、答える母でなく、微笑む母でなく、言葉を知らない母親だったと歌(語)っています。東京に出たときにはそこまではわかっていなかったでしょう。しかし、「死ね」なんてとんでもない言葉でしか語れない母であっても、その奥にある無条件の愛をしっかりと感じていたのだと思います。
この歌が歌われた時代、家には母がいて、子どもは安らぎを感じることができました。学校には怖い先生がいて、様々な価値観を認めながらも、悪い子を立たせたり、出席簿でたたいたりしていました。それが良いとは思いませんが、子どもたちには楽しい学校と、帰るところがありました。誰かが「死ね」と言っても、そのままにとらえる子どももいなかったでしょう。
そして、おっしゃられるように時代は変わりました。機能不全の家庭、多数派でないと不安を感じる学校、そしてやりがいを感じられないゆとり教育。これまでの仕組みだけでなく、倫理観や心の拠り所をなくした社会。
ぼちぼち、しみじみ、のんびり、ほっこり、そんな気持ちが大事ですよね。表面的な欧米化だけをすすめ、大事なものを忘れてきたのだと思います。いまこそ「ただいま~」と言える場所や祈る心が必要ではないでしょうか。そこには、やすらぎと、心の自由があると思います(長くてすみません)。

投稿: さかば | 2006年11月23日 (木) 02時51分

>>さかばさんへ

いい話をありがとうございました。

>その状況での「死ね」という言葉は、もちろん、そのままの意味ではありません。

はい。その通りですね。
言葉というのは,そのもの自体にイメージはあっても,
善悪はありません。
「死ね」という言葉だって善でも悪でもありません。
言葉というのは,誰がどういう意味で使ったのかによって
善いものにも悪いものにも変わります。

さかばさんは,そんなことを私に気付かせてくださいました。
ありがとうございました。

投稿: ct(magis) | 2006年11月23日 (木) 11時51分

私も朝日新聞の記事、読みました。。
でも、これは実際に現代のいじめにあまり関係の無い人が書いているもので、あんまり現実感がないというか、この記事を読んで、励まされたり勇気付けられる若者がいるのか、はたして疑問だなあと思いました。
実際私もいじめられた経験があります。そのときは「いいたい人には言わせておけ」という気持ちでしたが。。
自分が人と違っていい、人間なんてみんな違うものだということをみんなが心からわかっていればいいのかな、なんて思います。
今は、幼稚園で働いていますが、一人ひとりの良さを子供たちに伝えるように心がけています。

投稿: あやあや | 2006年11月23日 (木) 13時49分

私も神戸から5年だけ名古屋に転勤になったときにいじめられました
新聞、読みましたが
なんだか現実味がないようなきがしました

投稿: くえちゅん | 2006年11月23日 (木) 14時44分

>>あやあやさんへ

コメントありがとう。

>でも、これは実際に現代のいじめにあまり関係の無い人が書いているもので、あんまり現実感がないというか、この記事を読んで、励まされたり勇気付けられる若者がいるのか、はたして疑問だなあと思いました。

同じく教育の現場に立つものとして,やはりそう思いますよね。
特に,今日のはひどかったですね。
この新聞を40年以上読んでいますが,
こんなにも教育音痴だったかなあと嘆いています。

>自分が人と違っていい、人間なんてみんな違うものだということをみんなが心からわかっていればいいのかな、なんて思います。

そうなんですよね。

>今は、幼稚園で働いていますが、一人ひとりの良さを子供たちに伝えるように心がけています。

素晴らしいメッセージですね。

投稿: ct(MAGIS) | 2006年11月23日 (木) 20時56分

>>くえちゅんさん

お久しぶりです。

>新聞、読みましたが
>なんだか現実味がないようなきがしました

本当にその通りです。
これは明らかに人選ミスですね。

投稿: ct(magis) | 2006年11月23日 (木) 20時58分

そう言えば…先日ある集まりで、公立小学校歴代の校長先生等と懇談しておりました時に「いじめ」の話が出ました。校長先生方曰く「いじめは我々の時代からあったんだよ」とのことでした。やはり昔のいじめと現代のいじめは同じとお考えなのでしょう。ところで、私は子ども同士のいじめもさることながら、大人たち(特に教師)の見てみぬふり、または一緒にいじめに参加という態度に失望し自殺する子どももいるのではないかと思います。私自身が小学生の頃を思い出してみても、現在親の立場になって見ていても(お話しするととても長くなってしまうので省略いたしますが)憤りを感じることが多々ありますから。現代の子どもは確かに傷つきやすく弱いのも事実とは思いますが、それにも増して大人たちもしっかりしなくては!とつくづく感じます。

投稿: タメ | 2006年11月24日 (金) 00時36分

>>タメさんへ

コメントありがとうございます。

>現在親の立場になって見ていても(お話しするととても長くなってしまうので省略いたしますが)憤りを感じることが多々ありますから。

これは,私もまったく同じ気持ちを体験しています。

鈍感はときには罪であると,ある聖職者から聞いたことがありますが,
教師集団がいじめに鈍感になることほど大きな罪はありません。
気持ちを新たにして,来週からの勤務にあたりたいと思います。

投稿: ct(magis) | 2006年11月24日 (金) 20時27分

教師という職業は昔は「聖職」と言われていましたよね。聖職という自覚をもっていらっしゃる先生は今存在するのでしょうか。

投稿: タメ | 2006年11月24日 (金) 22時17分

>>タメさんへ

どうでしょうか?
そもそも,この問題でずっと議論しているように,
昔と較べることに意味があるのかどうか・・・。
とにかく私自身は襟を糾します。

投稿: ct(magis) | 2006年11月24日 (金) 22時29分

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