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2006年11月25日 (土)

灰谷健次郎氏

061125 児童文学者の灰谷健次郎氏が23日に亡くなった
72歳だったという。

灰谷健次郎さんの作品を初めて読んだのは大学1年生のときだった。
『兎の眼』。
出版されてから8年経ってから読んだ。

実は私の教師としての基本姿勢は,効率主義の排除です。
効果があればやるが,効果がないならやらないという合理主義的な考えは
教育の基本姿勢として間違っていると考えているのです。
教育において効率主義が正しいのなら,
あらゆる意味で効率の良い教師だけを雇えばいいし,
---最近,実際にそういう学校があるようです。しかし・・・---
それならいっそのこと,昔アメリカの教育工学者が考えたティーチング・マシンをどんどん導入すれば良いわけです。
さすがに,効率主義の国アメリカでもティーチング・マシンは普及しませんでしたが,
一時は真面目にそれが良いと考える学者がいたのです。

灰谷さんの教育に対する姿勢は,ティーチング・マシンと正反対の極にあったと思います。
以前にも引用しましたが,小説『兎の眼』から引用します。
障害を持った児童とどうかかわるかという議論が職員会議で行われている場面設定です。
「村野先生」という登場人物が,「ちえおくれは,ひとつの病気なんですから,(中略)効果的な治療を受けなくてはいけません」(灰谷健次郎『兎の眼』角川文庫 p.180)と発言したのに対して,煙たがられ(?)教師の「足立先生」は,次のように反論します。

村野さんはまちがったことをいっているので訂正しておく。(中略)ある白髪の修道女がこういったんです。『効果があればやる,効果がなければやらないという考え方は合理主義といえるでしょうが,これを人間の生き方にあてはめるのはまちがいです。この子どもたちは,ここでの毎日毎日が人生なのです。その人生を子どもたちなりに喜びをもって,充実して生きていくことが大切なのです。わたしたちの努力目標もそこにあります』村野さん,このことばをわれわれ教師はじっくりかみしめて考えんといけません。(同 p.181~182)

この白髪の修道女は,ドイツで障害児と一生をすごしてきた,という設定です。
私はこの修道女が努力目標としたことを,自らの努力目標と密かにしています。
それは,相手が障害が持っていようが,そうでなかろうが,関係なく通用する
教育の基本姿勢だと考えているからです。
基本姿勢は,相手が誰であろうと関係なく通用するものでなければなりません。

こういったことを私は灰谷作品からずいぶん教わりました。
灰谷健次郎さんに改めて感謝し,弔意を表します。

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