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2006年12月16日 (土)

「私もです」

11月14日から,朝日新聞に連載されていた「いじめ(られ)ている君へ」という連載記事が,今日の朝刊でようやく終わった。
初回の児童文学者から始まって,各界の著名人(たとえばノーベル物理学賞受賞者)が
連日それぞれの立場から,現在,学校で起こっているいじめ問題に的を絞って,
主に「励ましのメッセージ」や「自分の体験談」をご披露されていた。

私(学校勤務)の周囲でも朝日新聞購読者は,他紙よりかなり多い。

そんな中,この「いじめ(られ)ている君へ」はすこぶる評判が悪かった。
朝日本社もそれは理解していたようだ。
緊急連載を始めたのが11月14日だったが,
関係者によると,(著名人に依頼したものの)とても掲載するのに耐えない記事も数編あって,
肝いりで連載を始めたにも関わらず,休載にせざるを得なかった日もあったという。

私は以前にも書いたが,今回の連載は失敗に終わったと思う。
それは主に,自分が生きぬいた体験談を,後から続く人に押しつけたものがあまりに多かったからだ。
いくら辛い体験を疲労し,自分がそれをどう乗り越えたかを語っても他人の力にはならない。
しかし,これは朝日新聞社に問題があるのではない。
むしろ,この国の中で発言力のある人たちの多数が強者の論理で,
そして特に年長者は加えて時代倒錯でしか現状を考えられないということが
今回の記事を通じて読み取れたように思う。

しかし,本当は
The Map is Not the Territory! なのである。

「私もです」。
なんか肯定的メッセージに聞こえるかもしれませんが,
こんなことで相手と意気投合できるのは,
せいぜいスポーツ観戦のときくらいです。

スタジアムに観戦に行った浦和レッズのファンが,隣の席の人もレッズのファンだと知ったら意気投合して一緒に応援するでしょう?
それは楽しいことですよね。
だから,スポーツ観戦では時々「ウェーブ」なんていう日常生活では起こりえない現象が起こります。

しかし,これが好きな芸能人となると若干違ってきます。
SMAPのコンサートに行ったとき,隣席の人が,いくら同じSMAPファンでも,
スポーツ観戦のときのような意気投合感は起こりません。
これはおそらく,スポーツ観戦と芸能人に惹かれることの微妙な心理的側面の違いに起因していると思われます。
浦和レッズのファンは浦和が優勝すればただただ嬉しいと思えますが,
芸能人が有名になったり幸せになると,どこか気持ちがさめたりすることもあります。

さらに,これが身近な人間関係ともなれば,「私もです」はしばしばコミュニケーションを遮る言動となりかねません。

話を単純化します。
たとえば,ある人が腹痛を訴えてきたとします。
どうしますか?
「大丈夫ですか?」とか「薬ありますけど飲みますか?」と聞くでしょう?
ここで,「私もそうなんです」と応えられてしまっては,
会話が別の方向へ流れてしまいます。
この瞬間,話の中心が入れ替わってしまいます。
つまり話の主人公がそれまでの話し手から聞き手に移ります。
これでは,はじめに腹痛を訴えた人は脇役になってしまうのです。

さて,はじめに腹痛を訴えた人は,いったい聞いてくれる人に何を訴えたかったのでしょう?
腹痛そのものでしょうか?

そういう場合もあるでしょうが,
それよりも,「なぜ腹痛が起きているのか」(つまり原因。ときにストレス)や
「腹痛が起きているので自分は○○(たとえば早退)したい」など,
痛みそのものではなく,痛みの周辺事項を伝えたい場合も,比率としては多いものです。

したがって,人から話を聞いたとき,「私もです」とすぐに返すのは禁物です。
「あなたはそうなのですね」(今日の例では,「あなたはお腹が痛いのですね」)と返したいものです。

もし,自分も同じような感覚を持っているのなら,その後から言い出してもけっして遅くありません。
この順番は大切です!(緑字部分。12/17追記)

よく,話を持ちかけられると,「いや,僕もね,・・・」とか「そうそう,私と同じ!」なんて反応をしてしまいがちですが,それはすべて自分中心の論理に基づいています。

本当の意味で話を聴くとは,相手の訴えを受けとめることです。
たとえ,自分と違っていても,相手の感覚・感情を肯定することです。
なぜなら感覚・感情は言葉で変えることのできない
言葉より重い真実を含んでいる可能性が高いものだからです。

まずは,相手の訴えを受けとめること。
それが,相手を大事にするということです。
やや,堅苦しい言い方をすれば,
「相手の言っていることを,自分の方に引き寄せずに,相手のいる場所に行って共鳴する」。
これこそが,コミュニケーションの大元ということになるのだと思います。

相手を理解するということと,自分と重ねて見るということは別物です。
相手を理解はできなくても,相手の価値観に立脚することは,慣れてくれば,可能です。

相手を大事にするとは,こういった精神の振り方だと思います。

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コメント

ct様、先日はぶしつけなメイルに丁寧にご返事いただきありがとうございました。

「私もです」という対応で、話の中心が発話者から応答者へと移ってしまうというご指摘、まさに言われてみれば、というか、蒙を啓かれる思いです!


朝日の連載記事は私も注目していましたが、隔靴掻痒というか、どこかもどかしい思いを感じていた元は、ここだったのですね。腑に落ちました。


相手の価値観に立脚する、慣れると可能とおっしゃいますが、とてもムズカシイことだと思います。むろん難しいから出来ないしやらなくてよいというわけでもないのですが。

凡夫たる私にはなかなかできそうもありません(^^;
しかし、少なくとも、自分の論理で相手を裁かない、ということを心がけようと、このエントリを読んで思いました。

いつもいつも心に響くエントリで、とても参考になります。ありがとうございます。


追伸
やや今回のエントリとはズレるのですが、他者への想像力を持つことの難しさを以前痛感したことがあります。
http://d.hatena.ne.jp/icchan0000/20061018#p1

投稿: いっちゃん | 2006年12月16日 (土) 22時59分

>のんち様

トラックバックをありがとうございます。
そちらの記事を読ませていただきました。

>ところで引用した記事は、多分カウンセラーに対してのメッセージではないと思います。

ええ,私の記事は特にカウンセラーの方を対象に書いているわけではありません。

>そして「いや、僕もね」とか「そうそう、私と同じ」が、自分中心の論理に基づいているかは、正直なところ分かりません。

おっしゃる通りです。
このページでの「私もです」は,まず相手の訴えを受けとめずに,反射的に(自動思考で)言ってしまう場合の「私もです」に限定しています。
文章全体の文脈からそのように捉えてくださると嬉しいのですが,
分かりづらかったかもしれませんので,本日,
「もし,自分も同じような感覚を持っているのなら,その後から言い出してもけっして遅くありません。
この順番は大切です!」(本文中,緑字の部分)
という節を加筆してみました。
ご指摘をありがとうございます。

>しかしながら相手に共感する、受容するといったキッカケとして、重要ではないかと思います。

恋人同士なら良いかもしれませんが,カウンセリングの場合は,
やはり慎重にすべきだと思います。
共感・受容を妨げるいくつかの態度の一つとして,ロジャーズ派では,「支持」(suppotting)を挙げています。
いま手元にあるもので例を挙げますと,ロジャーズの一番弟子ゴードンのP.E.Tという本に,「私もそんなふうに考えていたものだよ」という表現が,非受容を表す決まり文句として挙がっています。

そちらのページにもほぼ同じコメントを付けさせていただきましす。
これからもどうぞよろしくお願いします。

投稿: ct(MAGIS) | 2006年12月17日 (日) 10時15分

>>いっちゃん様

今回はコメントを下さいましてありがとうございます。
寝違えの方は大丈夫ですか?

>朝日の連載記事は私も注目していましたが、隔靴掻痒というか、どこかもどかしい思いを感じていた元は、ここだったのですね。腑に落ちました。

いっちゃんさんもそうでしたか~。
私を含め周囲では,朝日の編集局に対してむしろ同情の声が上がっていました。
多分,依頼した時点の思惑と,執筆者の考えが,かけ離れていたのではないでしょうか???
この一月の連載中のちょうど中間期には,
わざわざその隣に,記者が書いたいじめ防止を取材した記事が
連日大きく載っていました。
その記事の論調と,「いじめ(られ)ている君へ」の調子が
面白いくらい食い違っているときがありました。
あれは連載の悪評と相殺させようとして,
複数の若手記者が短期間で総力をあげて取材したものと思われます。

>相手の価値観に立脚する、慣れると可能とおっしゃいますが、とてもムズカシイことだと思います。

まさにおっしゃる通りです。
だから私なんか「練習会」(ロールプレイング)に出たり,
また,日常もぎくしゃくながらも意識的に,実行したりしています(^_^;

追伸の想像力に関するブログも興味深く読ませていただきました。

投稿: ct(MAGIS) | 2006年12月17日 (日) 10時42分

なんか、私がブログに書いた「不幸自慢」と同じような感じですね。

まず欲しいのは「共感」もしくは「理解」。

それが出来る人はまだまだ少ないな、と思う今日この頃ですが、昨日の塩谷先生とはまさしくその話をしてきましたよ。

新しい出会いを下さってありがとうございました。
話の内容は、私のブログをご覧下さいね。
それを持ってご報告に変えていいですか?

投稿: コマちゃん | 2006年12月17日 (日) 11時30分

いつものことですが
痛いところつきますね
まるで、自分専用に向けられたメッセージのようです。
相手の立場の立場になって共鳴することが大事なんですね。
気をつけます。

投稿: 那須くま | 2006年12月17日 (日) 13時00分

>>コマちゃんへ

>なんか、私がブログに書いた「不幸自慢」と同じような感じですね。

いま,探して読んでみました。
http://komacafe.blog6.fc2.com/blog-entry-338.html
ですね。
多分,コマちゃんのページと私の今日の記事は通底しています。

>私は、「不幸」も「幸福」も人それぞれであって人と比べられるたぐいのものじゃないと思っている。

という記事中のメッセージに同感です。

塩谷先生とはいい話ができたようで良かったです。
そちらのブログで読ませていただきました。

投稿: ct(magis) | 2006年12月17日 (日) 16時55分

>>那須くまさんへ

コメントをありがとうございます。

>いつものことですが
>痛いところつきますね

いやいや,我が身に向かって書いているのですよ。

>まるで、自分専用に向けられたメッセージのようです。

そうですか~。
くまさん,真面目に考える人ですからね~。

これから冬休みになると,
お仕事,忙しくなるでしょう?
どうぞお気を付けて!

来年はお会いしたいですね。

投稿: ct(magis) | 2006年12月17日 (日) 16時59分

>ct様
コメントありがとうございます。
そしていつも勉強になる記事を、ありがとうございます。
もっともっと勉強したいと思いました。

投稿: のんち | 2006年12月17日 (日) 18時31分

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