救い主が生まれた
クリスマスの今日,たくさんのサンタさんに会いました。コンビニでも,デパートでも,街角でも・・・。
昔からサンタさんは子供たちにとって,一番ほしいもの,一番必要なもの,一番大切なものを持ってクリスマスの夜,そっとやって来ます。そう,クリスマスは一番ほしいもの,一番必要なもの,一番大切なものがもらえる日なのです。
なぜクリスマスはそういう日なのでしょうか。
それは,神様が一番大切なもの,つまり愛そのものを,人類に贈ってくださった日だからなのです。
今から約2000年前,羊飼いたちが野宿をしながら羊の世話をしていると,神様に遣わされた天使が現れました。そして,羊飼いに次のように告げました。
恐れるな。わたしは,民全体に与えられる大きな喜びを告げる。
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今日ダビデの町で,あなたがたのために救い主がお生まれになった。
この方こそ主メシアである。
あなたがたは,布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。
これがあなたがたへのしるしである。(ルカによる福音書2.10~12)
これを聞いた素朴な羊飼いたちは「さあ,ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合い,急いでベツレヘムへ向かい,マリアとヨセフ,そして,馬屋の中の飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てました。(ルカによる福音2.15~16)この赤ちゃんこそ,救い主,イエス・キリストだったのです。
これが,人類史上1回だけ起こった奇跡―――つまり,神が人間の姿で,私たちの前に与えられたクリスマスの出来事です。
なぜ,こんな奇跡が起こったのでしょうか。聖書にはこう書いてあります。
神は,その独り子をお与えになったほどに,世を愛された。
独り子を信じる者が一人も滅びないで,永遠の命を得るためである。
神が御子を世に遣わされたのは,世を裁くためではなく,
御子によって世が救われるためである。(ヨハネによる福音書3.16~17)
ここで,「独り子」とは,イエス様のことです。神様の子であるイエス様もまた同じ神様であるとキリスト教では信じられています。
つまり,苦しみや悩みの多いこの世に生きる私たちを気にとめ,愛してくださった神様は,ご自分の愛を最もわかりやすい形で,この世に与えてくださったのです。それが赤子のイエス様でした。これが,最初のクリスマス・プレゼントでした。そして,その方こそ人類の救い主でした。ですから,クリスマスは,神様が,私たちにとって,一番ほしいもの,一番必要なもの,一番大切なものをくださった日なのです。
私たちは,クリスマスやクリスマス・プレゼントのこうした意味を忘れてしまいがちです。
今の時代,私たちに本当に必要なものは,「物」ではないことも,だんだん分かってきました。サンタさんからプレゼントをもらったら,その「物」に隠れている,くださった方の「思い」=「愛」に感謝したいものです。そして,「物」をもらうことが大切でないとわかったならば,「物」にこだわる必要はなくなります。逆に,みんながサンタクロースになって,周りの人や,色々な意味で不自由な思いをしている人のために,何かをする。それが本当のクリスマスの祝い方だと思います。
もう一つ大事なことがあると思います。イエス様がどんなところに生まれたのか。イエス様は馬小屋で生まれ,飼い葉桶(馬の餌を入れる桶)に寝かされました。マリア様の一家が泊まることのできる宿屋がなかったのです。これは象徴的なことです。イエス様が,神様からの最高のプレゼントだという話は上に書きましたが,その最高のプレゼント―――救いは,明るい部屋の中ではなく,暗い貧しい馬小屋に与えられたのです。
だから,私たちが暗い貧しいところで生活しなければならないというのではありません。ただ,心は質素に静かにクリスマスを迎えたいと思います。
マッチ売りの少女のような心でクリスマスを迎えればよいのではないでしょうか。マッチ売りの少女にも天使が現れました。そして優しいおばあちゃんに会えました。
イエス様の誕生を最初に知らされたのも,素朴な羊飼いでした。私たちが,マッチ売りの少女や羊飼いのような質素な気持ちでいるとき,本当のクリスマスがやってきます。
豪華なイルミネーションの飾り付けを見ながら,なんとも複雑な気持ちになりました。
すべての人に,本当のクリスマスが来ることを願ってやみません。
※聖書の引用は,日本聖書協会,新共同訳より
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コメント
私にもサンタさんがやってきたようです。
自分の本当の気持ちが今日はっきりと、ほんとうに、ふとわかりました。
降りてきた、感じだったので、これが神様のプレゼントなんだなと思いました。
MAGISサンタからのプレゼントでもありますね。
追記:本日のおことばは「美しい希望はいつか美しい現実に」です。
投稿 piyo | 2006年12月26日 (火) 00時35分
>>piyoさん
サンタさんがやってきたのですね。
おめでとうございます。
「ふとわかった」,「降りてきた」って本物ですね。
>「美しい希望はいつか美しい現実に」
おお,素晴らしい!
人はしばしば,「過去」を「現実」のように感じ,
「現実」に感じていることが「未来」もずっと続くと考えがちです。
しかし,「希望」こそ「未来」です。
投稿 ct(Magis) | 2006年12月26日 (火) 00時42分
世の中の人々が「感謝」の気持ちを忘れなければ
身内を殺したり、残酷な事件なんてなくなるのにと思いますね。
本当の幸せはもうすでに持っているもの 気がついていないものじゃないかとも思います。よい環境で仕事ができて家族や友達が元気で今日も生きている。私がめざす自分は「人を幸せに出来る人」で自分がおかげさまでとても幸せだから周りの弱者の方達にも同じように愛を与えてあげれる、無条件で。「与える」精神がもっと広まればいいのになぁと思います。マジス様いつも素晴らしいお言葉をありがとうございます
God bless you
投稿 サリオ | 2006年12月26日 (火) 03時20分
とっても素晴らしい言葉です。
最近わたしは人との関係のなかでモノをあげたり、もらったり、ということに少し疲れています。
なんというか、「○○あげたのに」というのが見え隠れしたりするときに、心がズキンと痛みます。
そんな事から、手作りの気持ちを込めて。と思って、今度は手作りモノをプレゼントしたら、なんだか「余計重い」という感じを受けてしまいました。
ほんと、ダメですね。
人との関係を平和に。と思う気持ちからの事であっても、結果的に疲労していては何もなりません。
わたしは今年はとっても素敵なプレゼントを神様から頂きました。
夜半ミサに行って、帰りに電車が無くなってしまい、延々2時間半泣き状態でAveMariaを唱えなが歩きらがんばって帰宅しました。どんなに感謝したでしょう。夜中の一人歩き、怖いし、遠いし、、でも無事に着けた時の喜びといったら無かった。
守ってくださった主に感謝しまくっちゃいましたね!。
本当に嬉しいこと、ってそういうことなのでしょう。
投稿 Giovanna | 2006年12月26日 (火) 08時18分
こんにちは。
最近、もらってうれしいのはプレゼントの後ろに隠れた
贈り主の気持ちということがしみじみわかるようになりました。
ヨハネによる福音書の3章16節~17節は、私も大好きです。
この文章をよむと、神様の愛を感じて涙が出そうになります。
これ以上ないクリスマスプレゼントですね。
投稿 ソラ | 2006年12月26日 (火) 11時48分
>>サリオさま
コメントをありがとうございます。
>本当の幸せはもうすでに持っているもの 気がついていないものじゃないかとも思います。
同感です。
すでに与えられているものに感謝できるお恵みを,
神さまからいただけるよう祈り合いましょう。
投稿 ct(Magis) | 2006年12月26日 (火) 23時34分
>>Giovannaさんへ
コメントをありがとうございます。
>手作りモノをプレゼントしたら、なんだか「余計重い」という感じを受けてしまいました。
はい。このことは,snsの方で読ませていただきました。
コメントも入れられずにごめんなさい。
>延々2時間半泣き状態でAveMariaを唱えなが歩きらがんばって帰宅しました。
無事に帰宅できて良かったです。
あまり無茶をなさらないよう,お気を付けて!
投稿 ct(magis) | 2006年12月26日 (火) 23時39分
>>ソラさんへ
コメントをありがとうございます。
>最近、もらってうれしいのはプレゼントの後ろに隠れた
贈り主の気持ちということがしみじみわかるようになりました。
ああ,それは良かった!
僕も同感です。
考えてみれば,私たち一人一人に与えられた「いのち」に,
神さまの無償の思いが込められているのですよね。
それが感じられたら,きっと,他に欲しい「モノ」はなくなるのでしょうね。
マザー・テレサが持っているものは,
自分の衣類を洗うための洗面器一つだけだったという話を聞いたことがあります。
投稿 ct(magis) | 2006年12月26日 (火) 23時45分
時期はずれという事もないと思いますので、ここから入るのが
良いかなと思います。さかばさんのブログで「諸人こぞりて」
の記事の所、読ませていただきました。とても面白かったですよ。
私も拓郎が歌っていることは知っていて、何年かまえにCD「クリスマス」購入して聴いてみました。拓郎節がはまっていて良かったのですが
本来5番まである所、4番までで終わっちゃつてるですよね。
平和の君なる 御子を迎え
救いの主とぞ ほめたたえよ
ほめたたえよ ほめ、ほめたたえよ
ここがみそなんですが、歌ってないです。せっかく良い出来なの
にガクっときました。もったいない。まあ歌わないのも、良くわかるんですが・・・
マジスさんはつま恋の拓郎には、がっかりだったんですね。
お気持ち分からないでもないです。私も「それは無いだろう」と思うこともありますが、やっぱり楽しませてはもらってます。
79年からのファンなんでそれ以前の「いい時代」は直接はしらないのですが、
投稿 You | 2007年1月 9日 (火) 21時34分
すいません。途中で送られてしまいました。
初期から聞かれている方は想いもいろいろのようです。
ずーつと付いて来ている熱心なファンが多いのも事実ですが・・・
又、本筋でなくてすいません。いろんな事が本流に繋がって行くと
そう信じたいんですね。
ちなみに、初めて買ったのは「ローリング30」でした。
投稿 You | 2007年1月 9日 (火) 21時46分
>>Youさんへ
コメントありがとうございます。
拓郎の「諸人こぞりて」は4番まででしたか。
いま,気づきました。
尤も私みたいな鈍感な者は本来5番目であることも
全然意識していませんでした。
でも,引用してくださった5番の歌詞は,
確かにミソですね。
昨年のつま恋の話ですか~。
私は,「発売と同時に」買ったアルバムは「ライブ73」でした。
ただし,その前の「伽草子」,「元気です」(以上CBSソニー),
「人間なんて」,「青春の詩」,「オンステージ」,「オンステージⅡ」(以上エレック。何か抜けているような気がする)は,発売と同時ではないものの,「ライブ73」以前に友人から借りて,カセットテープで聴いていました。
つま恋は,実は2回あったんですよ。70年代と80年代に。
80年代のときには,拓郎の曲は聞いてはいましたが,
まさに「聞いて」いただけで,70年代のように「聴く」ほどの魅力を感じていませんでした。
すでに拓郎から気持ちが離れていたのでしょう。
発売と同時に買った最後のアルバムは,『王様たちのハイキング』だったと思います。
昨年の「つま恋」は評価が分かれると思います。
昨年,同じくBS(どこのチャンネルか忘れました)で放送されたボブ・ディラン,加川良。そして,いまでも独自の世界を切り開き続けている岡林信康の格好良さはいったいなんなのでしょう?
私の中では,拓郎は「全部抱きしめて」で終わっています。
私の知っている拓郎は,昔の自分です。
だから,捨てきれないのでしょうね。
拓郎には,
「永遠の嘘をついてくれ」と言いたかったね。
投稿 ct(magis) | 2007年1月 9日 (火) 22時36分
「永遠の嘘をついてくれ」は中島みゆきが拓郎に贈った激烈な
ラヴソングだと思います。NHKのやつには映ってないんですが
DVD見ると、最前列で「拓郎 永遠の嘘をついてくれ」と書かれた
横断幕を広げているグループがいました。あの曲、サプライズで
誰も歌うとは思ってなかったはずなんで、凄いセンスというか、本当に
直球だなと思いました。まあ、作った中島みゆきが一番凄いんでしょうけどね。
85年のつま恋には行きました。あれはオールナイトでしたが、
ちょうど20歳で、あそこまでが「わが青春の吉田拓郎」という感じで
本当に大好きでしたね。歳は随分離れてるんですけど。何故か近い世代のアーティストには傾倒しませんでした。今回31年ぶりのつま恋、が売り文句になっていてチョット淋しかったですが、同窓会も必要でしょうし、そういう集まりとしては良かったと思ってるんですけどね。
南こうせつはあれで燃え尽きてしまって、その後が結構きつかったみたいです。難しいものだなと思います。
投稿 You | 2007年1月10日 (水) 01時07分