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2007年1月 8日 (月)

「できない能力」

順応力(あるいは適応能力)が下がってきているとしばしば耳にします。
こんなことをいう子供はいません。
言うのは大人です。
職場の上司だったり,学校の先生であったり。

しかし,なんだか変な気がすします。
明らかに私たちを取り巻く状況は変わってきています。
たとえば,小学生が,まるで「箸でもでも使うかのように」コンピュータを使っています。
この「箸でも使うかのように」コンピュータを使うという言い方は,
先日,ラジオで永六輔さんがしゃべっていた喩えです。
ちなみに,彼はまったくインターネットの仕組みや操作がわからないそうです。
「どうして走っている電車の中でメールが見られるの?電車の中までずっと追いかけてくるの?」
なんて,永さんらしいことを言っていました。

話が逸れましたが,果たして子供たち,あるいは若者たちの適応能力が下がっているのでしょうか?
私はむしろ逆なんじゃないかなあと思ったりします。

だって,私が子どもであったり,若かったりした頃は,
結構,自分と異質の人に出会うと構えました。
たとえば外国人に対して。
今の子どもたちの方が,明らかに私の子ども時代より構えません。
ずっと自然に打ち解けます。
これは,日本に外国人が増えたことも影響していますね。

たとえば,携帯電話。先ほどあげたコンピュータ。
確かに操作は簡単になったとはいえ,
その機能の多様さは数百倍,数千倍になったと言っても良いと思います。
それらを大部分の子どもや若者がいとも簡単に使いこなしています。
マニュアルなんかまず見ません。
第一最近は紙のマニュアルが付いていないものの方が一般です。
仮に付いている分厚いマニュアルがあっても,ほとんど見ません。
なぜなら,彼等は自分がやりたいことがそこに載っていないことを知っているからです。
たとえば,彼のやりたいことは,友だちから聞いたゲームを探してきて自分のケータイにダウンロードすることだったり,誰かのメアドを知ることだったり・・・・。そんなことは分厚いマニュアルの隅から隅まで読んでも書いてありませんから。
でも,彼等は難なくやってしまいます。
何の役にも立たない分厚いマニュアルは部屋の隅で埃を被っているだけです。

逆に中高年層の多くの人は,マニュアルを読もうとします。
真面目なんです。でも,
「マニュアルが分厚すぎて何がどこに書いてあるのかわからない。だから,この機械は使えない」ってことになりがちです。
中にはすごい真面目なオジサンなんかは分厚いマニュアルを1ページ目から順に読んでいったりします。
私はそういう人たちを,全然おかしいと思いません。
なぜなら,かつてはそれが,新しい家電製品・時計・その他の道具を手に入れたときの,絶対的に正しい「作法」だったからです。

しかし,もうそういう時代ではなくなっているのです。
20年前に絶対的だった「作法」は今では通用しません。

では,どうすれば,携帯やインターネットをスラスラと使えるようになるのでしょうか?
それは,子どもや若い人の真似をするしかありません。
しかし,残念ながら,高齢になってしまった(私もですが)者たちには,これがまたできないのです。
ずっとやってきた「作法」というか無意識のライフスタイルはなかなか変えられませんし,
もう,若いときのように頭の回転が速くないのです。

現行の学校や会社のスタイルを築いてきたのは,実は,このような人々だったではないですか!
こうしうた社会のスタイル,「作法」に,子どもや若い人たちが馴染まないのもまた全然おかしいことではないのではないでしょうか。

学校や会社の,既成の組織論に適応したり,させたりすることにはもう無理があります。(念のため書いておきますが,これは先月可決した教育基本法改正を支持しているのではありません。今回の改悪は,むしろ,昔の価値観に戻そうというものであることは明白ですから!)

タイトルの「できない能力」は,先月26日の私のブログ「どうして自分にはできないのだろう?」にやぎちゃんが下さったコメントの中にあった言葉です。やぎちゃんは「できないお陰でできもする」という板倉聖宣さんの言葉から,この「できない能力」にポジティブな意味を与えておられます。やぎちゃんは,「どっちに転んでもしめた」を地でいっている方で,実はよく知っている方です。

今日まで参加していた研修会の中で講師の先生が,「月曜日になると風邪をひいて学校に行かれないのは一つの能力です」と仰いました。「正確に月曜日毎に風邪をひくのですから,そうそうできるものではありません」と付け足されました。「これはものすごい適応能力だと思いませんか」と締め括りました。

昔は月曜病と言われたものです。いまはもっと深刻です。
彼(女)等は確かに学校や会社へは行かれません。
したがって,社会に対しては不適応なのです。
しかし,その代わりに,自分に対して適応したのです。
もっと言えば,風邪を引くことによって,あるいは腹痛を起こすことによって,
お休みをし,社会から自分を守っているのです。

これができずに,働きすぎてしまう人の中には,
自分に適応できずに,だんだん苦しくなってしまう場合があります。

早めに休むことを,今日もまたお勧めします。
仕事が溜まっている人に「休んだら」と言うのは酷とわかっています。
にもかかわらず書いているのは,
社会に順応することよりも自分に順応することの方が未来志向だからです。

自分には嘘をつき通せないのは,昔も今も変わりません。

追記:
その上であえて付け足します。私の文章を読んで,「私も休みたい」,「いまのライフスタイルを変えたい」と思いつつも,やはり頑張って,会社に行っている方々,学校に行っている生徒の皆さん。あなたの頑張りは実に意味のあることです。本当によくやっておられると思います。大変なご苦労だと思います。私もいまは働いていますよ。

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コメント

書かれている主旨とはずれるかもしれませんが、若い人がマニュアルを読まないで、うまく使えるのは「あきらめる」のがうまいからだと思います。分厚いマニュアルを見てあきらめているからこそ、別の世界が広がるのだと思います。
ということで、トラックバックさせていただきました。

投稿: さかば | 2007年1月 8日 (月) 23時48分

>>さかばさん

>若い人がマニュアルを読まないで、うまく使えるのは「あきらめる」のがうまいからだと思います。

ああ,なるほど。そういう見方があったのですね。
そうすると,「あきらめる」こともまたポジティブで,必要な能力ですね。
「あきらめる」ことが,人を次のステップへの導くわけですから。

投稿: ct(MAGIS) | 2007年1月 8日 (月) 23時56分

初めまして。booといいます。
以前から拝読させていただいてます。
勝手ながら今回初めてのトラックバック、お許しください。

社会のシステムや価値観の動きに振り回されることなく、順応するためにまず己の現実と折り合いをつけて行く、とても自然なことだと思います。
「社会に順応することよりも自分に順応することの方が未来志向」
良い言葉だな、と思いました。

投稿: boo | 2007年1月 9日 (火) 01時42分

間違えました・・・。こちらのurlを書くべきなのでしょうか・・・。
重複すみませんm(_ _)m

投稿: boo | 2007年1月 9日 (火) 01時56分

うーん・・・。申し訳ありません。
再重複。このurlで記事にリンクしますのでm(_ _)m

投稿: boo | 2007年1月 9日 (火) 02時02分

>>boo様

はじめまして。
コメントをありがとうございます。
社会への順応性・自己への順応性について,
私の考えと同じような考えをお持ちの方がおられて嬉しいです。

ところで,トラックバックですが,
それは,(どのブログでも同じですが)このコメント欄からはできません。
トラックバックとは,
自分でもブログを書いている人(Booさんとしましょう)が,
自分の記事へのリンクを,他人(私ctとしましょう)のブログにリンクを貼る仕組みです。
方法ですが,もしBooさんが私ctのブログにトラックバックしたいのならば,
Booさんのブログの管理ページ(記事をアップするときのページ)から送ることになります。
Booさんのブログの管理ページ(Booさんだけが開けるページ)を調べて,トラックバックを送る欄を探して下さい。
そこに,私ctの,この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/13389624
をコピペして,送信(アップ)してみて下さい。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: ct(Magis) | 2007年1月 9日 (火) 15時44分

上手くトラックバックできたようです^^;
ありがとうございました。
やり方、わかりました。

今後ともよろしくお願い致します。

投稿: boo | 2007年1月10日 (水) 01時03分

>>boo様

うまくトラックバックできて良かったです。
このページの右列『ブログの輪』に
booさんのブログ"I guess so... "を追加させていただきました。

皆さんも,是非,読んで下さい!

投稿: ct(Magis) | 2007年1月10日 (水) 22時27分

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自分は、1型糖尿病(IDDM)と言う病気を持っています。 15歳の頃、発病し診断され早々に目の前に突きつけられた現実とは、この病気は治らない、ということ。 それなりの制限、それなりの不安、それなりのリスクと一生向き合っていかなければならないと、この時ごくごくあっさりと理解し始めました。今からおよそ12年前のこと。 以来ずっと心の中で思い抱いていることがあります。 人ってきっと、「病気は治るもの。治療して治すもの。」と、当然のように考えているのではないかな、と。 それから、医師は病気を治してくれ... [続きを読む]

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