« ジワリジワリ | トップページ | 他のありよう »

2007年1月21日 (日)

奇跡って・・・

毎週金曜日は,中3生と一緒に聖書研究会をやっています。
一昨日は,マルコ福音書5章35節~43節を読みました。
42節の途中まで引用します。日本聖書協会の新共同訳からです。

イエスがまだ話しておられるときに,会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう,先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで聞いて,「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。そして,ペトロ,ヤコブ,またヤコブの兄弟ヨハネのほかは,だれもついて来ることをお許しにならなかった。一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て,家の中に入り,人々に言われた。「なぜ,泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。しかし,イエスは皆を外に出し,子供の両親と三人の弟子だけを連れて,子供のいる所へ入って行かれた。そして,子供の手を取って,「タリタ,クム」と言われた。これは、「少女よ,わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって,歩きだした。

毎回,私が音読したあと,各自が黙読し,さらに黙想の時間のあと,分かち合いのときを持つというスタイルで,この聖書研究会はやっているのですが,今回は,なかなか言葉による分かち合いが出てきませんでした。奇跡物語ですから・・・。

そこで,私は,「では,この場面を,みんなで劇で再現してみよう」と提案しました。
台詞を思える必要はありません。みんな聖書を持ったままで構わないと言って始めました。

イエス様,会堂長,会堂長の家の人々,イエスの弟子たち,会堂長の子供,その母などの配役を決め,聖書を片手にこの場面を再現してみました。

再現劇後,その場にたったまま,分かち合い(シェアリング)を行いました。
会堂長の家の人々役をやった生徒から,
「イエス様は非常に遠い人のように感じた」という感想が出て,みんなに共有されました。

その後,もう一度,同じ配役で再現劇をやってみました。
今度は聖書を持たずに,覚えている範囲で台詞を言うことにしました。
ただし,私はディレクター役として,台詞が出てこないときには教えることにしました。
心理劇の手法をちょっと取り入れてみたわけです。

このように,少女が生き返るという奇跡の場面を2度,再現してみて,やっと気づいたこいとがありました。
それは,イエスが,少女を見る前に「子供は死んだのではない。眠っているのだ。」と言ったことです。周りの人々は,見てもいないのにと,イエスを「あざ笑った」わけです。

その後から,イエスは子供のいる所へ入って行かれます。そして,イエスが手を取って声を掛けると子供は生き返る。だから,この場面が奇跡物語といわれています。

しかし,イエスは,その子供を見る前から,「死んだのではない。眠っているのだ。」と宣言しています。

奇跡が起こったのではなく,イエスが言ったことが実現しただけなのです。
奇跡物語と読んでしまうと,「信じられない」とか「あり得なくない」とかいう話になってしまいます。
そしてそれは不毛です。
それより,聖書を「いのちの書」として生きていくのであれば,
この箇所が言わんとしていることを感じることが大切だろうと思います。
ここで福音記者が伝えていることは,
「神の意志(恵み)は実現する」ということなのでしょう。

|

« ジワリジワリ | トップページ | 他のありよう »

コメント


突然の書き込み、誠に申し訳ございません。

2ちゃんの記事ですが、ぜひお読みください。


http://academy6.2ch.net/test/read.cgi/philo/1153828916/

投稿: 信仰とは? | 2007年10月10日 (水) 18時07分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/136539/13594018

この記事へのトラックバック一覧です: 奇跡って・・・:

« ジワリジワリ | トップページ | 他のありよう »