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2008年9月21日 (日)

嘆きの淵にある時も

♪春に枯れ葉は舞い踊らず
秋に緑の芽は吹かない
夏に裸の梢を知らず
冬に花びら咲くこともない♪
(岡林信康『嘆きの縁にある時にも』)

カトリック教会では,今日は年間第25主日(A年)。読まれた福音箇所『私の気前のよさをねたむのか』については先日も書きましたし,3年前にも触れています。

ところで,旧約聖書の朗読箇所である『イザヤの預言』55.6~9についてですが,こちらの方についても,すでに何度か触れています

それにしても,

わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり
わたしの道はあなたたちの道と異なると 主は言われる。
天が地を高く超えているように わたしの道は、あなたたちの道を
わたしの思いは あなたたちの思いを、高く超えている。
(イザヤ55:8)

という聖句はなんと救いに満ちた響きを持った言葉でしょう。
この聖句の主語「わたし」は神様で,「あなた」は私たち人間一人ひとりを指します。

20080921_5 日々,私たちは個人や人々の力や思いだけではどうにもならない,せつなさ,孤独感,不条理,悲しみ,つらさ,苦しみ,空しさ,怒り,痛み,敗北感,欠落感,恨み,・・・に晒されながら,なんとかして生きていかなければなりません。
そんな私たちの思いを神はご存知の上で,異なる思いをもたれておられるという。しかもそれは人の思いを高く超えているという。

冒頭の岡林さんの詩を読むと,
すべてには定められた時があるように思えます。

♪全てを委ね この身をまかす
たとえ行く手が 見えないときも・・・♪

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コメント

本当に愛に満ちた言葉ですね。
絶望の淵にいる時にさえ神様の温かな御手の中にあるようなそんな言葉のように感じました。
私はこの1年ちょっとで様々なことがありました。病との闘いです。
そんな時にも神様の存在を感じ取れたこと、私が病に侵された理由の一つなのかも。
この一年で私の中の信仰心はむくむくと大きなものになりました。

そして明日は新しい家族の到来です^^

投稿: あや | 2008年9月22日 (月) 10時55分

>>あやさん

この1年,病と闘ってきたのですね。
本当に大変でしたね。
でもね・・・。
すぐに回復するよりはさ,
徐々に徐々に,そうだねえ,うん,
薄皮を剥ぐように良くなっていく方が本物のような気がします。

明日から仲間入りする家族は,
きっと,味方になってくれますよ!

投稿: magis(管理者) | 2008年9月22日 (月) 21時46分

泉谷の春夏秋冬を思い出しました。どっちが先なのでしょうか?根が同じという事ですかね。

投稿: You2 | 2008年11月25日 (火) 13時32分

>>You2さん
コメントをありがとうございます。
なるほど,泉谷の春夏秋冬ね。
おっしゃる通り根は同じでしょうね。
歌としては,春夏秋冬が先ですが,
歌手としては,岡林さんの方が古いですね。
泉谷しげるはオールナイト35年くらい前,
オールナイトニッポンをやっていましたが,
そのころ,山に引っ込んでいた岡林を
引っぱり出したのでしたね。

投稿: magis(管理者) | 2008年11月25日 (火) 15時05分

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