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2008年9月23日 (火)

健康

勤務校の研究室で,ため息とか,「怠い」,「ヨッコラショ」,「しんどいね~」といった独り言を聞く度に,もしも10円貯金をしていたら,多分,1週間で1000円は軽く貯まるだろう(笑)

もっとも私より若い人は黙々と仕事をしている。すごい人だなあと思う。若いって,いいなぁと思う,もちろん彼は若いだけではなくて,大変優秀な人で,私もいつも助けてもらっている。

さて,私を含め,若くない人はというと,私を除けば,やはり大変優秀な人たちである。
それは,仕事の面でも優秀だが,激務の中で,上手にため息をつき,小出しに「怠い」,「しんどい」を口にする。この点が絶妙だと思う。

私はこの雰囲気がとても好きだ。

だから,私も安心して,「あ~っ」とか言いながら仕事ができる。

こんな個人的な話から,ちょっと飛躍しますが,いま,うつになっている教員が全国的に急増している。その増加具合は,一般企業のそれを大きく上回っているという。「教師の元気を支える会」を主宰しているカウンセラーは,「この時代,うつにでもならなかったら,まじめに教員はやっていられないのではないか」,「まじめな教員ほどうつになりやすい」と,ある講演で話された。しかし,それでは,教育現場からまじめな教員がどんどん去って行く。その代わりに,受験産業系のバリバリ先生が派遣されてきたなんていう話を,他の私学教員から聞いたこともある。

「いまの学校を変えるために,どんどん外からの活力を入れて」なんていう美麗な言に私は賛同しない。

むしろ,パッとはしないけれど,まじめな先生,人の気持ちをわかる先生に,学校に残ってほしい。

誤解を恐れずにいうと,学校中に健康が溢れることを,僕はそんなにいいことだと思わない。むしろ,健康を損ねている生徒(先生もかな)でも居られる配慮,もっといえば,ありとあらゆる人が共存できる構造が必要だと思う。
なぜなら,学校は社会の縮図ともいわれるし,生徒にとっては社会そのものだもの。健康でなければ居られないのが学校なら,そうでない子どもたちはいったいどこへ行けばいいのだろう。

「健康」と聞くと,私は金子光晴の作品を思い出す。

僕は第一,健康とか
正義とかが大きらひなのだ。
健康で正しいほど
人間を無情にするものはない。
(金子光晴『反対』より)

少し話を戻す。
忙しくなったこと。子どもが変わったこと。親が変わったこと。チームワークがなくなったこと。この四つが先生を追い込んだ要因だと言われている。

私の勤務校の場合,忙しくなってきていることは否めないが,素直な生徒が多く,親御さんも協力的である。

そして,何よりも,ため息をついたり,早めに弱音を吐いたりすることができる余地がある。

こんな風に呑気に考えているのは私だけかもしれないが,そんな私の周りにいる方々(生徒も含めて)に感謝している。

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コメント

27歳までの家庭環境、職場でのいじめ、頑張り過ぎた仕事の燃え尽き症候群。
私が病になった理由。
一体どんな職場が、また環境が自分に合うのかな?
復職したら職場に感謝できる人間に私はなれるのかしら?

投稿: あや | 2008年9月23日 (火) 19時00分

>>あやさん

ご自分のことを,ここに書いてくださってありがとう。
不安な気持ちが出てくるのは,前を向いているからだと思います。
今日からはかわいいワンちゃんも傍に来たのですよね。

いろいろな意味で癒しがありますように。

投稿: magis(管理者) | 2008年9月23日 (火) 19時11分

ふふふ。私もマジスさんに、大感謝ですね。このサイトの復活に乾杯!

投稿: | 2008年9月24日 (水) 21時16分

>このサイトの復活に乾杯!

と書いてくださった方はどなたでしょうか?
どなたかわかりませんが,ありがとうございます。

では,乾杯ということで。

今後ともよろしくお願いします。

投稿: magis(管理者) | 2008年9月24日 (水) 23時05分

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