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2010年11月 3日 (水)

「教師として恥ずかしいこと」

大矢正則 記
今日は,都内で行われた『緊急「国資格・心理士」公開シンポジウム』に,学校心理士の立場で参加してきました。
心理士(あるいは心理師)の国家資格問題に関しては,ここ数年間の政局がらみ等々(他にも原因はありますが省略)によって,臨床心理士・医療心理師の「2資格1法案」化が頓挫しました。
その後,日本心理諸学会連合を中心にいろいろと連絡・調整をしており,少~しずつ,問題点や目指すべき姿が見えつつあります。
しかし,たとえば,最大多数派である臨床心理士(個人ではなく,養成課程等の専門性の問題他)が医師会から「よし」とされていないなどの問題があるため,心理士(心理師)の国家資格化の議論は,なかなか進まないのが現状です。

こういう話を,専門的に心理や臨床心理にたずさわっている方々以外にお知らせしても興味がないかもしれません。

しかし,そのシンポジウムの基調講演で,ハッとする発言を聴きました。

その基調講演は,学芸大の名誉教授でもあり,日本LD学会会長でもある上野一彦先生がなさったのですが,それはそれは中身の濃い凝縮されたものでした。

10個くらいのタイトルをつけて,10回のブログに分けて説明したいところです。しかし,いろいろな制約があるため,それは叶わないことなので,一つだけ,先生のご講演の中から,私にとって,とても衝撃的だった言葉を紹介します。

かつて,教師は,手のかかる生徒を受け持つことに意義を感じたものです。
しかし今では,教師が「私は教えやすい生徒を教えたい」と発言することが恥ずかしいことではなくなってきている。

これは,現職教員である私には,ずっしり重い言葉でした。
実際,多くの私立学校では,「入試(偏差値)のレベルが下がると,手のかかる生徒が入ってくる数が増える。だから偏差値のキープは本校の死活問題」という議論が,いわば前提事項として語られています。もちろん,そうではない学校もあります。

「人は楽をしたい。だから出来れば手のかかる人とは出会いたくない。」
こういう考え方そのものにああだこうだという積もりはありません。
しかし,それをそのまま,自分の職業観・教育観(プロ意識)にするならば,そして,もしもそんな考えを持つ教員が複数そろい,意気投合し,そんなことを人前や会議でも言うようになったら,・・・
その学校は存在意義を失っていると思う。
なぜなら学校教員は,自分が出会ったすべての児童・生徒のために働くこと,出会ったすべての子どもと関わり,共に育ち合うことを職業として選んだ人であるはずだからである。

私の師である石隈利紀先生は,

「子どもを育てるには一つの村が必要」

という言葉をよく引用される。アフリカの諺だそうである。

自立に向かう過程で,援助を必要としていない児童・生徒は一人もいない。すべての児童・生徒がそれぞれ個別の援助を必要としている。したがって,手のかかる児童・生徒には手をかけるものだと私は考えている。その児童・生徒は,「手をかけてもらうこと」を必要としているからである。
個々によって異なる援助ニーズに応えることが教育の平等化だと考えているのである。
一律に同じものを与えようと思うと,手のかからない生徒が可愛くなるのだろう。

そんなことにはならないと思うが,日本の私立学校(もちろん公立も)の一校でさえ,手のかからない生徒を集めることをよしとするなどということにならないことを願っている。

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コメント

お久しぶりです。
僕は教師でもないので、大それたことは
いえませんが
時々、子供たちに竹細工やら、飯ごう炊飯を
指導するさいに、気をつけることは
『悪がきにスポットライトを当てる』ってことです。
普段、学校などで、やらないことをするので
全員が初心者です。
できれば学校の成績はあまりよくない生徒に
目立って欲しいなあ
この2時間程度の体験をキッカケに
自信をつけてくれたらなあ
なんて夢を見ています

投稿: ナスクマ | 2010年11月 4日 (木) 14時45分

ご無沙汰しています。
教師として、この言葉は確かにずっしりと重くのしかかりました。
手のかかる子を受け持つことに意義を感じることはありますが、今は手のかかる保護者を受け持つことに・・・も当てはまりそうですね。
対応の難しい保護者、なかなか連携が取りづらい保護者との関わりは、その時はとても大変で苦しいのですが、少しでも相手と近づけるとその時の喜びは大きいものです。
ただ、最後まで歩み寄れなかったり、最後の最後でトラブルが起こってしまったケースなどは、痛い思い出として、今でも思い出す度に辛い気持ちになります。
楽をしたいというのは本音ですが・・・。

話は変わりますが、学校心理士をなさっているのですね!
私は今、大学院で臨床心理士と学校心理士を目指して勉強しています。
石隈先生の著書でも学びました。
学校現場に戻った後、学んだことをどのように生かせるのか、よくわからないのですが、マジスさんはどのような仕事をなさっているのでしょう?
特に、私の身の回りに学校心理士として活躍されている方がいらっしゃらないので、気になります。

投稿: ぴかん | 2010年11月 4日 (木) 23時00分

>>ナスクマさん

お久しぶりです。
クマさんらしいコメントをありがとうございます。

>指導するさいに、気をつけることは
>『悪がきにスポットライトを当てる』ってことです。

クスッ。クマさん自身が悪がきっぽいですよね。
神奈川でのネイチャーゲームの養成講座のときにも,
バッチリ,スポットが当たってましたよ。

ネイチャーゲームといえば,
先月,ひさしぶりに
(所属しているよこはま湘南ネイチャークラブ主催の)ネイチャーゲームの裏方をやってきましたよ。
久々に,ネイチャー魂がよみがえりました。

>この2時間程度の体験をキッカケに
>自信をつけてくれたらなあ
>なんて夢を見ています

素晴らしい!
きっとクマさんは,その夢をすでに現実にしているのではないでしょうか?


投稿: magis(管理者) | 2010年11月 6日 (土) 06時10分

>ぴかんさん

コメントをありがとうござます。
大学院に通って,がんばっておられることは,
よくmixiで拝見しています。

さて,
>話は変わりますが、学校心理士をなさっているのですね!
とありますが,学校心理士は「資格」であって,「職業」ではないので,
「学校心理士をやっている(なさっている)」というわけではなく,
私は「学校心理士である」というだけの話です。

ぴかんさんは,
>私は今、大学院で臨床心理士と学校心理士を目指して勉強しています。
なのですね。
両方の資格を是非,取得なさってください。
必ず,現場で有益なものとなります。

ところで,臨床心理士の方は
現在,指定大学院制となっていますから,
私の場合は縁がありませんでした。
私の修了した大学院の場合,中心として指導して来られた教授が,
國分先生,田上先生,石隈先生という流れであり,
私自身も石隈ゼミなので,学校心理士に「よさ」を見出しました。

>学校現場に戻った後、学んだことをどのように生かせるのか、よくわからないのですが、マジスさんはどのような仕事をなさっているのでしょう?
特に何も変わりません。一数学教師のままです。
特に相談担当に着いたわけでもありません。
学校心理士は「職業」ではなく,"being"だと私は考えています。

>特に、私の身の回りに学校心理士として活躍されている方がいらっしゃらないので、気になります。
とても残念ですが,臨床心理士に比べて,一般には認知度が低いですからね。
さらに,人数も桁が違いますでしょう?

だからこそ,『緊急「国資格・心理士」公開シンポジウム』だったのではないでしょうか。

投稿: magis(管理者) | 2010年11月 6日 (土) 06時35分

コメントありがとうございます!
なるほど、学校心理士はbeing。
現場に戻ったら、何か特別な役割があればということばかり求めてしまっていた自分に気づきました。
臨床心理学もそうですが、学校心理学も学んで、資格をとって、
そして一教員として臨床心理と学校心理の視点を持ちつつ働く、というのが現実的なのかなと思いました。

今、休職中の学校(在籍校)に、週に1回ボランティアに行っています。
教師でもなく、SCでもなく、相談室担当でもなく、なんともいえない立場なんですが、
だからこそ、柔軟に子どもと向き合える感じがします。
今まで「教師」という役割に拘束されていたんだな、いや、自分で勝手にその「役割」という拘束を作ってしまっていたんだなと思います。

投稿: ぴかん | 2010年11月 9日 (火) 13時55分

>>ぴかんさん

学識経験(研究)が,苦戦している生徒にとってプラスになるよう,
お互い,質の高い"being"を目指しましょう。
修士は2年間限定(延長はできますが,この気持ちが大切)ですから,
後から振り返ったときに,宝石のように輝いている時間となりますように。

投稿: magis(管理者) | 2010年11月10日 (水) 00時28分

はじめまして。20年企業にて新人研修を中心に社員教育を担当しているものです。私などのようなものがコメントをするのもおこがましいほど、とても重く深い内容を拝見し、感銘を受けております。今も新入社員の研修の真っ只中です。社員の自律ということで今までも社内外で色々な意見や著名な方々のお話、著書などを詠み聞きしてきたのですが、企業という組織はなかなか難しい生き物のようだと、最近改めて感じております。
新人たちは、入社したとき、それなりの器用さと要領のよさを持ちながらも、ある部分とても熱く純粋で、そんな若い人と一緒にいるだけで、自分が長年大事にしてきたものの古さや、逆に新しさにも気づかされ、私個人にとってはとても大事なひとときとなってます。
でも、企業でも、やはり扱いにくい人間や、成果の出せない者を遠ざけて、企業論理に合った人間を残すことが当たり前となってます。
50歳をはるかに超えてこんなことを言うのもお恥ずかしい限りですが、今更ながら、組織は色々な意味で、そこにいる人次第だと感じてます。難しいことは山ほどありますが、そのために自分がこの仕事を任されているんだと、半分開き直って、残り少ない企業人生活を、自分なりに、柔らかくも戦っていきたと思います。
初めてのコメントで長々と書いてすみませんでした。これからも詠ませていただきます。

投稿: しんさん | 2012年4月28日 (土) 01時17分

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