2007年1月21日 (日)

奇跡って・・・

毎週金曜日は,中3生と一緒に聖書研究会をやっています。
一昨日は,マルコ福音書5章35節~43節を読みました。
42節の途中まで引用します。日本聖書協会の新共同訳からです。

イエスがまだ話しておられるときに,会堂長の家から人々が来て言った。「お嬢さんは亡くなりました。もう,先生を煩わすには及ばないでしょう。」イエスはその話をそばで聞いて,「恐れることはない。ただ信じなさい」と会堂長に言われた。そして,ペトロ,ヤコブ,またヤコブの兄弟ヨハネのほかは,だれもついて来ることをお許しにならなかった。一行は会堂長の家に着いた。イエスは人々が大声で泣きわめいて騒いでいるのを見て,家の中に入り,人々に言われた。「なぜ,泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」人々はイエスをあざ笑った。しかし,イエスは皆を外に出し,子供の両親と三人の弟子だけを連れて,子供のいる所へ入って行かれた。そして,子供の手を取って,「タリタ,クム」と言われた。これは、「少女よ,わたしはあなたに言う。起きなさい」という意味である。少女はすぐに起き上がって,歩きだした。

毎回,私が音読したあと,各自が黙読し,さらに黙想の時間のあと,分かち合いのときを持つというスタイルで,この聖書研究会はやっているのですが,今回は,なかなか言葉による分かち合いが出てきませんでした。奇跡物語ですから・・・。

そこで,私は,「では,この場面を,みんなで劇で再現してみよう」と提案しました。
台詞を思える必要はありません。みんな聖書を持ったままで構わないと言って始めました。

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2007年1月 6日 (土)

風の中

強風の中,空を飛ぶ鳩を見て,風がなかったらあの鳩はもっと自由に飛べるだろうにと考えた人がいました。
風とは空気の流れです。
風を受けるということは,風がないときよりも,
より多くの空気を受けるということです。
そして,その空気は,酸素,二酸化炭素,窒素などの分子から成っています。
ですから,風を受けるということは,そのような分子がたくさん衝突してくるということです。
分子がたくさん衝突してくると鳩はうまく飛べないわけです。
ならばいっそのこと,風ではなくて空気そのものをなくしてしまえば,
鳩には何の分子も衝突しないのだから,鳩は自由に飛び回れるかといえば,大間違い。
鳩が飛ぶためには,空気を押さなければならない(その反作用で鳩は飛べる)のですが,空気(つまりいろいろな分子)がなければ,いくら翼を羽ばたかせても,反作用の力が帰ってこないので,まったく飛べません。
これでは,強風のときより都合が悪いわけです。
強風時は確かに飛びずらそうだった鳩も,うまくその風を利用すれば,実は結構,移動する自由度は高いのだそうです。ヨットがただ風の向きだけにしか進めないわけではないことと同じです。

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2006年12月25日 (月)

救い主が生まれた

061225_2_2 皆様,主のご降誕,おめでとうございます。

クリスマスの今日,たくさんのサンタさんに会いました。コンビニでも,デパートでも,街角でも・・・。
 
昔からサンタさんは子供たちにとって,一番ほしいもの,一番必要なもの,一番大切なものを持ってクリスマスの夜,そっとやって来ます。そう,クリスマスは一番ほしいもの,一番必要なもの,一番大切なものがもらえる日なのです。
なぜクリスマスはそういう日なのでしょうか。

それは,神様が一番大切なもの,つまり愛そのものを,人類に贈ってくださった日だからなのです。
今から約2000年前,羊飼いたちが野宿をしながら羊の世話をしていると,神様に遣わされた天使が現れました。そして,羊飼いに次のように告げました。

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2006年12月19日 (火)

I Want to ・・・

昔親友が,
「自転車に乗っているときに,
側溝に落ちないようにと,側溝ばかり見ていると,
側溝に落ちてしまう」と言っていた。

その友は,前を向いて走ることの大切さを僕に教えてくれた人だ。
今は親しくないので,親友ではないかもしれないが,
心の中ではいつでも会っている「真友」だ。

「側溝に落ちないように」という目標は,
「○○しないように」という否定形の目標だ。
このような目標はどうやら功を奏さないらしい。
「試験で悪い点を取らないように」
「飲み過ぎないように」
「事故に遭わないように」
「明日,寝坊しないように」
・・・。

同じように,
「○○すべきである」という目標も達成できない。
「次の試験では前回よりも良い点を取るべきである」
「飲み過ぎないようにすべきである」
「安全運転すべきでだ」
「遅刻しないように起きるべきだ」

目的を達成するとは,自分が変貌するということである。
変貌は,"I Want to・・・"と思っているときだけ起こる。
そんな話を最近聞いた。

だから目標の立て方は大事。
「次の試験では良い点をとりたい」
「お酒は適度に楽しく飲みたい」
「相手も自分も安心できる運転をしたい」
「明日は早起きしたい」

なんかそうかもしれない。

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2006年12月11日 (月)

そんな重荷に耐え続けることはできない

私の好きな聖書箇所の一つに

「(神さまは)あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず,試練と共に,それに耐えられるよう,逃れる道をも備えていてくださいます。」
(Ⅰコリント1:13 日本聖書協会 新共同訳聖書)

というのがあります。
この聖句は結構私の支えになっています。
特に,最後の,神さまが逃げ道を準備して下さっているという行が大好きです。

ところが人間はときとして,自分にとんでもない試練を課してしまう。
それは,人に対する怒りの停滞です。
先月も,「怒りは自分に盛る毒」という
アメリカ・インディアンの格言を引用しました
が,
今日も同じ本(エリコ・ロウ『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』扶桑社)
から,ほぼ同意の格言を紹介します。

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2006年12月10日 (日)

It's Old.

今年の夏に9泊10日(正味八日間)の黙想会に参加した。
八日間,完全黙想を守り,祈るという会だ。
実に良い機会であったと思うのだが,たった一つ悔いていることがある。

携帯電話だ。

私は携帯電話を持っていった。
非常に大事な用件の連絡が入る可能性があったからである。
実際には,その用件の連絡はなかった。
しかし,まったく想定していなかった別の重要な用件の連絡が入った。
そういった意味では役にたったのかもしれない。
それに,携帯電話を持っていなかったら,気になることがあったかもしれない。

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2006年11月26日 (日)

自分が負った過去の傷を手放す

061126 ジェラルド・G・ジャンポルスキー著,大内博訳『ゆるすということ』(サンマーク文庫 2006年)という本を読みました。

次の症状はほとんど私が慢性的に経験しているものばかりです。皆さんはどうでしょうか?

頭痛,腰痛,首の痛み,胃炎や潰瘍,憂鬱,元気が出ない,焦燥感,イライラする,緊張・不安感,不眠症・落ち着かない,漠然とした恐怖,不幸せな気持ち

これらは,ジェラルド・G・ジャンポルスキーによれば,人が人を「ゆるさないことで起こりうる症状の,ごく一部」(p.64)だといいます。
もちろんこれらの症状の原因のすべてが人をゆるさないことなどとは思えませんが,
私の拙い経験から考えると,他に身体的な要因がないのなら,原因をそこに求めることは的外れでない場合が多いと思います。

ところで,ゆるすという行為はすぐれて主体的な行為です。

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2006年11月 7日 (火)

「何があっても大丈夫!」

タイトルは,連休中に参加した,あるワークの基調となっていた大前提の言葉です。
このワークは宗教的にはニュートラルなものだったのですが,
私自身はカトリックの信者なので,この言葉を聞いて,
「神の愛」を思い出さないわけにはいきませんでした。

カトリックのイエズス会の『せせらぎ』というサイトの中に
愛しているなら」というページがあります。
是非,見ていただきたいのですが,
ブラウザーによっては見られない場合もあるようですから,
要約を書いておきます。
(でもお読みになる前に,是非「愛しているなら」をクリックして下さいね)

あるおじいさんが怪我をして医者に行きます。
順番を待っていたおじいさんは医者に早く診てくれるように頼みます。
理由は,おじいさんは,早く帰って,
年老いた奥さんと一緒にコーヒーを飲みたいというものでした。
おじいさんと奥様であるおばあさんは
毎日決まった時間に一緒にコーヒーを飲む習慣があったのです。
そんなおじいさんに,若い医者は言います。
「奥様はもう呆けているので,遅くなっても大丈夫でしょう」
するとおじいさんは言いました。
「確かに妻はアルツハイマーが進み5年前から私が誰かもわからなくなりました。
しかし,私は妻をよく知っているのです。
だから早く帰って一緒のコーヒーを飲みたいのです

愛するってこういうことなんだなあと思います。

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2006年10月22日 (日)

あいたくて

061022_1 昨日も引用した詩人・工藤直子さんの「あいたくて」。
この詩は,詩集『あ・い・た・く・て』(大日本図書 1991年)や左の写真・『工藤直子詩集』(角川春樹事務所 2002年)などに収められている。

昨日記事を書いた後で,ネット検索したら,非常に多くの人がこの作品について書いている。
ある人はブログで,ある人は教材研究として。
特に教材研究としてのページが多いのは,この作品が小学校6年生の国語の教科書に載っているからだ。アチコチのページに詩の全文が引用されている。これは,この作品が「現代の古典的」な作品となっているからかもしれない。教員によるものが多いので教材感覚で全文引用してしまったのかもしれない。どちらも当たっていると思う。しかし,それ以外に,どうしてもこの詩をみんなに知らせたいという気持ちが全文引用の多さに繋がったのだろう。

この詩の全体を通して読まれたい方は,たとえば,
『徳永一哉のホームページ』(サイト運営者との面識はありません。検索で見つけました)内の
http://www.synapse.ne.jp/kazuya/image1.gif
に全文の画像があるので,そちらをみていただきたい。

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2006年10月20日 (金)

低みに立つ

061020 昨日,ちょっと用事があって,(住まいのある市の)「中央公園」に行ってきました。
そこは,周辺の池や湿地帯も含めて,思っていた以上に素晴らしい場所でした。
写真の案山子もその公園の中なのか外なのかわからない田んぼに立っていました。

さて,この案山子とは全然関係のない話なのですが・・・。

同僚と二人でこの公園を散策(実は行事の下見)していたところ,小さな子供の泣き声が聞こえました。
同僚と二人で泣き声の方を見ると,なんと,2歳くらいの赤ちゃん(?)が,かなり急な崖を四つん這いで登っている,というか,登れないで泣いているところでした。

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2006年10月 4日 (水)

カイン

061004_1 きみは,油断しているとつい他人の期待にそおうとしてしまうだろう。それから自由にはなれないだろう?そのことで悩み続けているだろう?
僕の経験からすると,こういう人種とは異質な人種が地上にはおびただしく生息している。彼らは,他人の期待を無視できたり他人の期待を適当に振り払って生きていける,僕にとってはまことに不可解な人種だよ。

上の文章は中島義道著『カイン』(講談社 2002年)の第3章「なるべくひとの期待にそむく」からの引用です。(67ページ)

中島義道さんの本(リンク先は過去の記事)はたいてい発売されるとすぐに読むので,多分4年前に読んだのですが,この本には,人間には2種類の人種があると書かれているのです。その一方がカインの末裔で,他方が,アベルの末裔ということになるのでしょう。

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2006年9月25日 (月)

大切なことは・・・

大切なことを知るのは いつでも悲しみと引き替え

大切なことは いつだっていちばん後に気がつく

一行目は,昔,「フォークの神様」と呼ばれていた岡林信康さんの歌の歌詞の一部で,多分,今から20年以上前のものだと思う。熱心なプロテスタントの牧師の息子として育った岡林さんが30代の頃に書いたものだと思うが,この歌詞を聴いた二十歳を過ぎたばかりの私は,初めて悲しみというものの本性をみたような気がしていた。若かった私は,「それならば大切なことはできるだけ知りたくない」といつも思っていた。しかし,大切なことは少しずつ知らされる。その数だけ,やはり悲しみも数えてきた。この曲の題名は忘れたが,この一行の歌詞「大切なことを知るのは いつでも悲しみと引き替え」は始終脳裏に蘇る。ここでいう「大切なこと」は,たとえば,肉親の死であったり,愛する人が去っていくことであったり・・・,であった。

二行目は,中島みゆきさんの『後悔』という歌詞の一部。これはまだ6年くらい前の歌だと思う。日々迷いはあるけれども,「いつでもその時点で最後に気がついたことが大切なこと」。そのように私はこの歌詞を受け取っている。因みに前後の歌詞は全然覚えていないので,歌全体の中で解釈すれば,そうでないのかもしれない。しかし,私にはこの一行しか耳に残らなかったので,しかたない。

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2006年9月24日 (日)

「甲斐性なしで何が悪いんや」

昨日は、「頑張れ」という言葉について書いてみたが、もう一つ、気になる言葉がある。それは、「根性」とか、(それとセットで使われる場合の)「情熱」という言葉だ。正しい情熱は、正しい研鑽によって得られる。研鑽なき情熱を、私は暴力だと思う。また、根性という言葉は、なぜか中学生の頃から性に合わない。単に好き嫌いの問題程度かもしれないが・・・。もうちょっと考えてみたい。

IT関係のワーキングウーマン(関西在住)であるぴよさんは、ブログうつらうつらとまどろみながらの最近の記事「オレの話を聞け!」の中で、

「計画の遅れを把握するじかんがあったら、根性でやるんや。やれる!やるきになったらいける!」(マジスの補足:これは新しくチームを組んだメンバーの言葉 )ですって。。。 末恐ろしくなりました。星飛馬やないんやから。。。こんな進め方するから(略)病になる人がおおいねん。

と嘆いておられる。

HONDAの創始者・本田宗一郎氏の言葉。

理念なき行動は凶器であり、行動なき理念は無価値である。

私は、以前からこの言葉が好きだった。今でも好きである。特に、前半の「理念なき行動は凶器」という言葉はいつでもぼんやりと心の底に流れていたのだと思う。私は岐路に立った時、求める理念を確認し、とるべき行動を決めてきた気がする。

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2006年9月23日 (土)

慌てて口ごもる言葉

最近、去年の11月に書いた記事にコメントをいただいた。嵐風人さんという方からだ。嵐風人さんのブログ[ 天邪鬼のひとり言 ]を読ませていただいた。”「頑張って…」の一言☆人を傷つけるとは”という記事中の、

人によっては、立場上、(中略)なんとか無理して、笑顔を振りまいている人もいるでしょう。そんな時の「頑張って…」の一言は、暗い深い谷底あっても、懸命にもがき続けている人へ、なお一層、その生きるための動きさえ、封じ込めようとするかの如く聞こえるのです。

はまさにその通りだと思う。また、嵐風人さんは、「一緒に、頑張りましょう」という、一見、優しそうな言葉にも警告を発している。言われた側から見れば、「あなたは、調子が良いのでしょう。こちらはそうではないのです。」という場合があるからだ。

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2006年9月 3日 (日)

「人の心はしゃれたことをする」

朝日新聞の日曜朝刊,朝日求人のページに精神科医の香山リカさんが4回シリーズで小さな(しかし中身は濃い)エッセイを書いています。私はこの記事を大変楽しみに読んでいます。8月27日のタイトルは「あいまいも悪くない」でしたが,サブタイトルのような形で「人の心はしゃれたことをする」と付けられていました。これを今日のブログのタイトルにしました。

次のような書き始めでこのエッセイは始まります。

チャレンジするのは大切なことであると,誰もが信じ込まされていますね。それは私も否定しません。でも,何度やってもどうしてもうまくいかないことってありませんか。自分の努力が足りない,あるいは方法論が間違っていると悩むかもしれません。精神医学の面から見ると,実は深層心理が,それをやりたくない,やめようとメッセージを送っていると読み取ります。たとえば目標を立てるたびに達成の一歩手前で挫折する。あと一息だったのになぜ達成できなかったのか。それは,意識と潜在意識とが異なる方向を指している可能性もあるのです。

なるほど,人の心はしゃれたことをしますね。

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2006年9月 1日 (金)

手で蛇をつかみ・・・

先月,10日間の完全黙想をしておりました。黙想会に行く前に,知人に,「黙想して少しはまともになって帰ってきます」とメールしたところ,「いや,まともになったら○○(マジス)ではなくなってしまうので,どうぞそのまま帰ってきて下さい」と返信が来ました。その黙想中に読んでいた聖書の中に,こんな言葉がありました。マルコ福音書の最後の方です。

信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊(あくりょう)を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。(マルコ16:17~18 日本聖書協会 新共同訳)

この言葉を読んだとき,すぐに思い出した人がいます。それはF神父様です。「信じるものは新しい言葉で語る」とありますが,F神父様がしてくださるお話は,いつも意表をつくような話です。それはまさに,深く新しい言葉です。

また,「信じるものは,毒を飲んでも決して害を受けず」とあります。この言葉もなたF神父様にぴったりの言葉です。つまり,普通なら他人から攻撃や誤解をうけると傷つき倒れるのですが,F神父様はその深い信仰によって,致命的な傷を負いません。このようなF神父様のことを,「あんなに強い人にはこれまでにお会いしたことがない」とおっしゃった知人もいます。

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2006年8月31日 (木)

何もしないからこそ育つもの

♪セールスマンは出かけていくのに・・・
何もすることがないなんて・・・♪

昔,ファンだった吉田拓郎がステージで弾き語りで歌っていた歌の歌詞です。
多分,レコードになっていないと思います。
そのころ,僕も「プー」(いまでいうニートだと思います)だったので,
この歌を良く覚えているのです。

最近は,何もすることがない日なんてないなあと思います。
ああ,ただし,すべきことはあっても,「何もできなかったなあ」
と自己嫌悪に陥る日ははたくさんありますが。

ところで,聖書に,

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2006年8月30日 (水)

宗教は宣教すべきものではない

タイトルの言葉は,本田哲郎神父著『釜ヶ崎と福音』(岩波書店 2006年)の153ページからの引用です。一文全体を抜き出すと,

「福音は告げ知らせるべきものであるけれど,宗教は宣教すべきものではないというのが,わたしが最近たどりついた結論です」

とあります。
数ヶ月前にこれを読んだとき,胸がスカッとする思いと,ここまで言っちゃって良いのという両方の思いが交錯したのを覚えています。

ところが最近,プロテスタントからカトリックに改宗されたある方が,ネット上のあるところで私に「カトリックの宣教観とプロテスタントの宣教観は大きく違うのですね。(カトリックの宣教は:マジス補)非常に受身のように感じます」と伝えてくださいました。(念のため書いておきますが,「それがいいとか悪いとか言うのではありません」とも付け加えて下さっていました。)

これを読んで,私は,なるほど~,そう見られているのか~,と思いながら,次のような主旨の私的見解をお返ししました。

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2006年8月26日 (土)

神さまの絵の具箱

「悲しみは駆け足でやってくる」という昔の流行歌を知っていますか?
この歌は僕が小学生のときにアン真理子さんという歌手が歌って大ヒットした曲です。
作詞もアン真理子さんです。
この懐かしい曲が昨日,車の中で聴いていたAMラジオでかかっていました。
その歌詞の中に,

「若いという字は苦しい字に似てるわ」

という歌詞があります。
僕はもう若くないのですが,今まで生きてきた何十年かの中で,
幾度もこの歌詞を心の中で反芻したものです。

確かに悲しみは駆け足でやって来ます。
突然やって来るという場合もあります。
しかし,それは少しずつ去っていくものでもあると思います。
今日,友人と1時間くらい話したのですが,
その友人は僕に「すべては時間が解決します」とメッセージして下さいました。
この言葉も何度も聞いてきた言葉ですが,
その友人は特別な体験をしてきた方なので,
この言葉に,はじめて重みを感じました。

同じ歌の中に

「明日という日は明るい日と書くのね」

という歌詞も出てきます。

さて,この曲が流れる前,この曲をリクエストされた方のお葉書が紹介されていました。
その方が親しくしておられるお嬢さんへのメッセージだったのですが,
こんな内容でした。

今は楽しいことが何にもなくて,きっと色にたとえたら
灰色の毎日でしょう。
けれども,神さまがあなたのために用意している絵の具箱には,
燃える太陽のような真っ赤な色も,
咲き誇る花のような鮮やかなイエローも,
透明に澄み切ったブルーも,
まだまだたくさん残っていますよ。

(車の中で聞いたので,うろ覚えのため,
主旨を変えないように自分なりに書き変えています)

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2006年8月25日 (金)

「鷲のよみがえり」

旧約聖書の詩編第103編3節から5節に

主はお前の罪をことごとく赦し
病をすべて癒し
命を墓から贖い出してくださる。
慈しみと憐れみの冠を授け
長らえる限り良いものに満ち足らせ
鷲のような若さを新たにしてくださる。
(日本聖書協会新共同訳)

とあります。
この「鷲のような若さ」について,
カトリック・イエズス会霊性センター「せせらぎ」のサイト内に
「鷲のよみがえり」というすばらしいページがあります。
是非,是非ご覧下さい!
(10日くらい前に一度,同じような記事をアップしたのですが,
スパムTBを削除した際,誤ってその記事ごと削除してしまいました)

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2006年8月12日 (土)

修道院へ

海キャンのシェアリング・ネイチャーの続きや長崎巡礼の報告がまだなのですが,
明日から,9泊10日(正味8日),魂の体操
(イエズス会創始者聖イグナチオの『霊操』)をするため,
軽井沢の修道院に籠もってきます。
携帯は持っていきますが,PCは持っていきません。
できるとしても短い記事のアップだと思います。
8日間,アルコール抜きの聖書漬け(?)
そして,完全黙想(まったく口を開かないことです)の時間が多くなると思います。

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2006年7月13日 (木)

向こう岸に渡ろう

「向こう岸に渡ろう」
これはマルコ福音書4章35節に書かれているイエスが弟子たちに言ったの有名な言葉である。
私がこの言葉を烈しく意識したのは1998年のちょうど今頃のことだった。
当時はカトリック学校教育委員会が主催して,『カトリック学校教員教職員黙想会』というのが行われていた。
諸事情より残念ながら2000年頃からは行われていない。

その黙想会に私は参加したのだが,その中で何日目か(全日程は3泊4日だった)にイエズス会師の指導司祭が,この箇所をヒントに黙想するよう導いてくれた。

2週間以上経つが,6月25日のミサの福音朗読箇所がそこだった。日本聖書協会新共同訳より引用する。

その日の夕方になって,イエスは,「向こう岸に渡ろう」と弟子たちに言われた。そこで,弟子たちは群衆を後に残し,イエスを舟に乗せたまま漕ぎ出した。ほかの舟も一緒であった。激しい突風が起こり,舟は波をかぶって,水浸しになるほどであった。しかし,イエスは艫の方で枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして,「先生,わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と言った。イエスは起き上がって,風を叱り,湖に,「黙れ。静まれ」と言われた。すると,風はやみ,すっかり凪になった。イエスは言われた。「なぜ怖がるのか。まだ信じないのか。」弟子たちは非常に恐れて,「いったい,この方はどなたなのだろう。風や湖さえも従うではないか」と互いに言った。(マルコ福音4.35~41)

「向こう岸に渡ろう」
これこそカトリックの生き方だ。
つまり,

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2006年6月27日 (火)

CLC@mixi

Clc ミクシー内でも,ここにCLCを作ろうと思います。カトリック信者でない方の参加も歓迎します。ただし,信仰を単に否定する方の参加はご遠慮下さい。

CLCは日々の出来事とそのときの気持ちを分かち合うコミュニティです。

CLCは,クリスチャン・ライフ・コミュニティの略です。元々カトリック教会内の正式な組織(運動?)です。だいたい10人以内の信徒のグループが世界のあちこちにあります。小教区内で組織されているものもあれば,カトリック内の超教会で組織されているものもあります。

CLCはクリスチャンとしての生活の基本を聖イグナチオの「霊操」においています。
そしてCLCでは「分かち合い」を大切にします。普通は(ネット上ではなく)各グループごとに1,2週間に1回のペースで行っています。

ネット上でも良い「分かち合い」ができたらなあと思っています。最初は「霊操」についてはあまり踏み込まずにはじめたいと思います。

【分かち合いの方法】

(1)基本的に分かち合いは「日々の分かち合い」というトピックス内で行います。ここでは,特にテーマは決めず,日々の生活の中で起こった出来事やそのときにわいてきた気持ちを分かち合ってください。気持ちも一緒に分かち合っていただきたいので,あまり古い出来事についてではなく,せいぜい,「最近1ヶ月くらい」の出来事と気持ちを分かち合いましょう。

(2)分かち合う前(書き込む前)に,10分間くらい,静かにふりかえりの時間を持ってください。

(3)人が分かち合ったことへの意見や助言は原則としないで下さい。分かち合いは話し合い(ディスカッション)とは異なります。

(4)分かち合いに共感・共鳴した場合,短いコメントを書いて下さることは良いと思います。

(5)以後,少しずつ補足していきますが,何か良い知恵がありましたら教えて下さい。

(6)書き込みは1日につき,各自2回までとします。制限をつけるのは,他の人の分かち合いをきちんと聴くためと,自分のふりかえりのためです。

【分かち合い以外のトピックスについて】

以下のトピックスは管理者が準備します。
(1)日々の分かち合い
(2)自己紹介はこちら(任意です)
(3)(皆さんや管理者への)質問コーナー

また,テーマを決めて分かち合いたい場合は,
ご自由に立てて下さって結構です。
ただし,新しいトピックスは一週間につき,
お一人お一つまでとします。
これも各自のふりかえりの時間と,他の人の分かち合いをきちんと受けとめるためです。

以上は原則ですから,まあ,ある程度は逸脱してもいいです。

*********************

日本のインターネット人口は多分数千万人なのだろう。
そのうちの半数以上が,通常は携帯でネットを利用しているというニュースを最近聞いたようなきがする。
ところで,日本最大のソーシャル・ネットワーキングmixiの利用人口はどのくらいなのだろうか?
私が知っているmixi内の最大のコミュニティは[mixiで使える絵文字♡]というコミュで26万5千人もの人が参加している。
さて,私も2ヶ月ほど前からmixiを始めた。
はじめのうちは使い方が良くわからずにいたが,
最近ようやく慣れてきて,コミュニティも5つ立ち上げた。

そのうち最新のものは,CLCで,上記の緑字は
そのコミュニティの参加者向けの説明欄に記載したものです。

昨夜立ち上げたばかりなのですが,すでに参加者が3人(うち1人は私)となりました。

http://mixi.jp/view_community.pl?id=1044141

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2006年6月23日 (金)

『福音的視点から』

Kenpou_1 今日のブログのタイトルは,これから紹介する冊子のサブタイトルです。
その冊子とは,『憲法・教育基本法改定を考える』という一見政治色の強いタイトルのついた小冊子です。
ただし,サブタイトルとして,---福音的視点から---と付いています。
福音とは,イエス・キリストのよきメッセージですから,この小冊子では,
憲法および教育基本法の改定問題を政治的視点からではなく,
イエスが教える神の国の福音のメッセージに照らし併せて考察しようという試みがなされています。

執筆はイエズス会社会使徒職委員会内の「憲法・教育基本法改定に関するタスクチーム」の4人の神父様方です。印刷・発行はイエズス会社会司牧センターです。

この小冊子には,憲法や教育基本法改定の動きの中に現れている問題点が中心に記載されています。しかし,イエズス会内の「タスクチーム」が作成した物でありますから,日本のカトリック教会の公式見解ではありません。それどころか,小冊子「はじめに」には,イエズス会日本管区の公式見解でもないとことわられています。(p.3)

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2006年6月 9日 (金)

神さまの居場所

 勤務校には「愛の運動委員会」という生徒の組織があります。いわゆる,ボランティア委員会です。たとえば,昨日と今日,ジャワ島地震緊急支援募金を校門に立って行っています。
さて,この委員会の活動の中で,中心となっているものは月に一度の児童養護施設訪問です。今週末,11日の日曜日に今月は実施されますが,4月も5月も日曜日に一回ずつ実施されました。参加者は中2から高2までで,4月は21人,5月は10人でした。4月の21人は近年では最も多い参加人数でした。今月からは中1も参加できます。その中1に対して,先日,愛の運動委員の先輩が各教室に出向き,施設訪問の説明をしてくれました。説明してくれた生徒は普段から施設訪問に参加している生徒たちです。児童養護施設(子どもの家)がどういうところか,また,何をするために自分たちが子どもの家を訪問するのかをわかりやすく説明してくれました。そして,「是非,一緒に行きましょう」と誘っていました。
 私も,しばしば施設訪問に生徒と一緒に行く教員として,翌日に施設訪問について,中1生徒たちに次のように話しました。
 

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2006年6月 6日 (火)

「イエスさんはどんな方やと思う?」

今日(5日・月曜日)は2週に1回のCLC(分かち合い)だった。
ここのところ,(私が休まなければ)指導司祭を含め6人のコミュニティとして定着してきた(なんて一番年下で最後に加わった私が言う台詞ではないが)。

分かち合い(一人ずつ体験とそのときの感情を話す。話し手以外は,聴くことが基本)が一回りした後の第2ラウンドが今日は良かった。因みに良くない分かち合いの例としては,やたらと質問が出る分かち合いなのだ(そうだ)。そうだとカッコ付きで書いたのは,私が言い出したことではないから念のためそうした。しかし,私も,スピリチュアルな分かち合いに,質問は似合わないと思う。また,以前にも書いたが,分かち合いにもっと似合わないのは助言,忠告,そして励ましだ。

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2006年6月 4日 (日)

よろこびが集まったときよりも

060604 僕は中学生の頃からときどきまったく眠れない夜があって,
まあ,いろいろと困るときもある。
眠れない夜にとてもイヤなのは,

  • 外が白み始めること
  • カラスの鳴き声が始まること
  • 新聞配達のバイクの音が聞こえること

昨日から今日にかけてがそんな日だった。

こんな時は,もう諦めて眠ろうとはしない。
それで,今夜はオールナイトで普段聞かないCDを片っ端から聴いてみた。

あった。掘り出し物。
西由紀子さんという,プロテスタントのソプラノ歌手の
『二番目に言いたいこと』というCD。
このCDは有名な詩人・星野富弘さんの詩に,
なかにしあかねさんという作曲家が曲を付け,
西さんが歌ったCDだ。

その中の『よろこびが集まったときよりも』という歌に心打たれた。

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2006年6月 3日 (土)

無駄なことは何一つない

今日は,神奈川教育カウンセラー協会の定例会に行った。

会場は家から車で30分ほどのところだ。
近くにはコインパーキングがあり,いつもそこに駐車する。
ところが!
今日は,その会場付近のコインパーキングがどこも満車だった。
これは間違えなく一昨日から施行された改正道路交通法の影響だろう。
しかたなく,買い物をする目的もないデパートの駐車場に入れた。

そんなわけで,定例会の会場入りは10分ほど遅れてしまった。
しかし,受付をしていたN氏は,「おう!」と迎え入れてくれた。
N氏に会うのは3回目だが,「おう!」という親しげな挨拶がとても嬉しかった。

さて,定例会の様子は,まあ,やや専門的になるので,いつか別の機会に書くとして,
参加して良かった。

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2006年6月 1日 (木)

裏を見せ表を見せて散る紅葉

相互リンクしているブログから「裏を見せ,表を見せて」(みちるさん)というブログに辿り着いた。私と同じカトリックの方が書いているらしい。

裏を見せ表を見せて散る紅葉

は良寛が死に際して詠んだ句と言われているが,私はこの句を,大学生の頃(つまりカトリックになった頃)からとても気に入っている。この句はカトリックの信者にとても人気がある。私のカトリックの友人にも何人もこの句を好きだと言う人がいるし,冒頭のみつるさんもそうらしい。有名な人だと井上洋治神父が,しばしばこの句を引用しておられる。

こんなに緑の多い季節には似つかわしくない句だが,あえてこんな時期に書いておくことにしよう。

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2006年5月31日 (水)

マリア様の月の終わりに

カトリック教会では毎年五月を「マリア様の月」と定めている。
現在勤務しているカトリック男子校では,これといって「マリア月」をアピールしていない。(かつては朝の祈りの集いがあったらしい。)
しかし,多くのカトリック女子校では,たとえば昼休みなどに,ロザリオの祈りを(全員ではないが)実施しているところが多い。
「マリア様,厭なことは私が」を校訓に掲げていた前任校でも,五月は,昼休みに聖堂でロザリオの祈りが毎日あり,連日,中学一年生であふれかえっていた。

カトリック学校としては大変嬉しいことなのであろう。

しかしなぜ中1の彼女たちがロザリオの祈りに集まってきたのかと考えてしまったことがあった。

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2006年5月28日 (日)

待つ

060528 カトリック教会では,今日のミサで『主の昇天』を祝った。第1朗読で,『使徒言行録』1章1節~11節が読まれた。その中で,

イエスは言われた。「父が御自分の権威をもってお定めになった時や時期は,あなたがたの知るところではない。」(第7節 日本聖書協会 新共同訳)

が心にしみわたった。

私は,大学生のとき,宗教教育法の第一人者であられたSr.菊池多嘉子先生から『カテケジス』を学んだ。その講義の中で,最も印象に残っている言葉は「教育者にとって最も大切なことは,信じて待つこと」というものだ。

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2006年5月25日 (木)

「わたしの唇から出た言葉を変えることはない」

「神を信じる」という言い方は,いろいろな意味で使われる。
私は,カトリックであるので,「神を信じる」場合,一番気をつけなければならないことは,
「神を(自分で)作ってはならない」ということだと思っている。

22日に「神様にできないこと」があると書いた。それ(神様にできないこと)は,神が,ご自分と人間の関係を断ち切ることだと書いた。
一昨日は,その根拠を,神が私たちの「心に刻まれた契約」にみた。しかし,まだ言い足りないと思うので,今日はさらにこのことを深めてみたい。

旧約聖書『詩編』89編29節~35節を引用する。以下で「わたし」とは,神がご自分を指して言っておられる。

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2006年5月24日 (水)

LST

060524 私の勤務校には,かつて"Let's Sing Together"(通称LST)という名の歌集が配られていた。野外活動が好きな本校では,この歌集はどの活動にもみんなが携行する必需品であったという。今ではこの歌集も配られなくなってしまい,在校生で持っている生徒は(特別に購買部で買ったものを除くと)いない。私もこの歌集を持っていなかったのであるが,ひょんなことから今日(副校長先生から)いただいた。約100曲の歌が収録されている。カトリック学校の歌集らしく,最初に掲載されている歌は校歌で,最後に載っている歌は"Nearer my God to Thee"(主よみもとに近づかん)である。日本語の歌が6割,英語の歌が4割くらいの割合だ。

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2006年5月23日 (火)

心に刻まれた契約(改訂版)

昨日,「神様にできないこと」というタイトルで記事を書いたら,piyoさんとさかばさんから早速コメントをいただいた。piyoさんは,特にこれといった宗教を信者ではないとことわった上で,「神様は本当に必要なものは奪わないと思っているのです」とコメントして下さった。こんなコメントを読むと,「その通りだなあ」と思い,信仰と宗教心について改めて考える契機となった。信仰者と呼ばれている人でも宗教心がないと思われる人はいるし,逆に特に宗派に興味がなくても宗教心の豊かな人もいる。

また,さかばさんは,昨日の私の記事を読み,「全能なのにできないことがあると言うのはおかしいですよね。すると、能力が無いのではなく、その愛ゆえに「ご自分と人間の関係を断ち切ること」ができない、ということで、良いでしょうか?」とコメントして下さった。こちらの方は,おそらく,私が昨日の記事中で,唐突に「全能の神にもたった一つできないことがあることに気づく。それは神ご自身が,ご自分と人間の関係を断ち切ることだ。」と書いたための疑問なのだと思います。そこで,今日はこの点について,少し書いてみたい。

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