2006年12月11日 (月)

そんな重荷に耐え続けることはできない

私の好きな聖書箇所の一つに

「(神さまは)あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず,試練と共に,それに耐えられるよう,逃れる道をも備えていてくださいます。」
(Ⅰコリント1:13 日本聖書協会 新共同訳聖書)

というのがあります。
この聖句は結構私の支えになっています。
特に,最後の,神さまが逃げ道を準備して下さっているという行が大好きです。

ところが人間はときとして,自分にとんでもない試練を課してしまう。
それは,人に対する怒りの停滞です。
先月も,「怒りは自分に盛る毒」という
アメリカ・インディアンの格言を引用しました
が,
今日も同じ本(エリコ・ロウ『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』扶桑社)
から,ほぼ同意の格言を紹介します。

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2006年8月 6日 (日)

10日間連続!無事に楽しく終了!

久しぶりにブログを書く時間ができました。
この前は7月25日に書いたきりでした。
実はその翌日から,
他クラスの2泊3日(7/26~7/28)の臨海教室,
中0日で,担任をしているクラスの2泊3日(7/29~7/31)の臨海教室,
再び中0日で,3泊4日(8/1~8/4)の長崎巡礼旅行という具合に,
連続10日間,休みなしで生徒引率に出かけてていました。
幸い,どの引率でも,大きな怪我や病人もなく,
安全に,楽しく,旅行をすることができました。

そして,昨日は,友人がメインで出演した「(おとなのための)こうなん童謡コンサート」に行ってきました。
このコンサートには癒されました。

そんなわけで,なかなかブログを更新できませんが,
担任をしているクラスの臨海教室(7/29~7/31引率分)の様子を,
一緒に引率した先輩教員が,自分のサイトにアップしているので,ここをクリックしてください
(掲載されている写真に大きく写っている黒い袖なしTシャツを着た教員は私ではありません。念のため)

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2006年6月23日 (金)

『福音的視点から』

Kenpou_1 今日のブログのタイトルは,これから紹介する冊子のサブタイトルです。
その冊子とは,『憲法・教育基本法改定を考える』という一見政治色の強いタイトルのついた小冊子です。
ただし,サブタイトルとして,---福音的視点から---と付いています。
福音とは,イエス・キリストのよきメッセージですから,この小冊子では,
憲法および教育基本法の改定問題を政治的視点からではなく,
イエスが教える神の国の福音のメッセージに照らし併せて考察しようという試みがなされています。

執筆はイエズス会社会使徒職委員会内の「憲法・教育基本法改定に関するタスクチーム」の4人の神父様方です。印刷・発行はイエズス会社会司牧センターです。

この小冊子には,憲法や教育基本法改定の動きの中に現れている問題点が中心に記載されています。しかし,イエズス会内の「タスクチーム」が作成した物でありますから,日本のカトリック教会の公式見解ではありません。それどころか,小冊子「はじめに」には,イエズス会日本管区の公式見解でもないとことわられています。(p.3)

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2006年6月 9日 (金)

神さまの居場所

 勤務校には「愛の運動委員会」という生徒の組織があります。いわゆる,ボランティア委員会です。たとえば,昨日と今日,ジャワ島地震緊急支援募金を校門に立って行っています。
さて,この委員会の活動の中で,中心となっているものは月に一度の児童養護施設訪問です。今週末,11日の日曜日に今月は実施されますが,4月も5月も日曜日に一回ずつ実施されました。参加者は中2から高2までで,4月は21人,5月は10人でした。4月の21人は近年では最も多い参加人数でした。今月からは中1も参加できます。その中1に対して,先日,愛の運動委員の先輩が各教室に出向き,施設訪問の説明をしてくれました。説明してくれた生徒は普段から施設訪問に参加している生徒たちです。児童養護施設(子どもの家)がどういうところか,また,何をするために自分たちが子どもの家を訪問するのかをわかりやすく説明してくれました。そして,「是非,一緒に行きましょう」と誘っていました。
 私も,しばしば施設訪問に生徒と一緒に行く教員として,翌日に施設訪問について,中1生徒たちに次のように話しました。
 

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2006年5月31日 (水)

マリア様の月の終わりに

カトリック教会では毎年五月を「マリア様の月」と定めている。
現在勤務しているカトリック男子校では,これといって「マリア月」をアピールしていない。(かつては朝の祈りの集いがあったらしい。)
しかし,多くのカトリック女子校では,たとえば昼休みなどに,ロザリオの祈りを(全員ではないが)実施しているところが多い。
「マリア様,厭なことは私が」を校訓に掲げていた前任校でも,五月は,昼休みに聖堂でロザリオの祈りが毎日あり,連日,中学一年生であふれかえっていた。

カトリック学校としては大変嬉しいことなのであろう。

しかしなぜ中1の彼女たちがロザリオの祈りに集まってきたのかと考えてしまったことがあった。

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2006年3月 8日 (水)

ミスプリント

060308 数日前に,今年の夏に行う「長崎巡礼旅行」のご案内プリントを配布しました。左の写真が実物です。挨拶文のあと文面は以下のように続きます。

日頃より本校の宗教活動にご理解をいただき,あらためて感謝申し上げます。
さて,長崎巡礼旅行はここ数年の間,隔年実施が恒例化しており,その年度の中3生と高1生が参加対象となります。隔年行事ですので,参加の機会は一度です。来年度が実施年度に当たり,概ね以下の要領で計画を進めております。
ご存じの通り長崎地方は,16世紀のキリスト教伝来以降,様々な歴史を刻んでまいりました。キリシタンへの弾圧,殉教,そして潜伏信徒の発見。さらには,被爆。そうした独特の歴史を踏まえ,今日,長崎は世界に向けて平和への祈りとメッセージを発信する地となりました。このような地方を訪れ,見聞を広めることは,○○学園の土台でもあるキリスト教理解と,平和の尊さを学ぶのに大変に意義深いことであると思います。何卒,趣旨ご理解の上,ご子息を参加させていただきますよう,ご案内申し上げます。聖研に参加している生徒はもちろん,普段は聖研に参加していない生徒の参加も大いに歓迎します。(以下は,左写真をクリックして見て下さい)

ところで,このプリント中に,大ミスがありました。学校長名で出している文書ですが,校務分掌の関係で私が作成しました。印刷前に,私を含め複数教員で目を通したのですが・・・。嗚呼,恥ずかしい。

今のところ,このミスに気づいた生徒は約360名中,2名です。責任上,上司の先生3人にこのミスを報告したのですが,全員が「プッ」と吹き出した後,「まあ,いいでしょう」と許して下さっていますが・・・。なんとも笑ってしまうくらいアホなミスです。

写真をクリックしてミスを探してみて下さい。ちょっとヒントみたいなことを言いますと,間違えに気づいた生徒は,「これじゃぁ畏れおおくて申し込めないよ~」と大爆笑していました。また,ある先生は「さすが長崎巡礼,申し込み時に踏み絵を踏ませるとは」と凄いことを言っていました。

本当に生徒とご家庭の皆様(あとイエス様),ごめんなさい。でも,多くの生徒諸君の参加を望んでいます。

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2006年3月 6日 (月)

事実と真実

教室で授業中に何かの拍子に「イエス様は十字架上で死んだけれども,そのあと復活して・・・」と言ったら,とても数学の出来るある生徒(因みに私も数学の教師です)が,「先生はそんなことを信じているのですか!?」と目をまん丸くしていった。彼があまりにも素直に「そんなことを・・・」と言ったので,不意をつかれた格好だったが,一瞬間をおいて,「はい。信じています」と答えた。そう答えても彼はまだ目をまん丸くしたまま呆れたような表情をしていたので,僕は長いチョークを一本つまみ,「君,ここにチョークがあるの見えるでしょう?」と言いました。すると彼は「はい」と答えました。で,次に「では,君はここにチョークがあることを信じますか?」と聞いたら,やはり彼は「はい」と答えました。それを受けて僕は「でもこの二つ目の質問と答って意味ないよね。だって,見えているんだから信じるもへったくれもない。事実なんだからさ」と言いました。すると彼は確かにという風に首を縦に振りました。そこで,僕は続けて,「ということは,事実であると確かめられることは信じる対象ではないってことだよね。僕が復活を信じているのはそういう意味で信じているんだ。事実かどうか確かめられないから信じているわけ」と話しました。もちろん,彼はそんな説明では納得しませんでしたが・・・。しかし,他のほんの少しの生徒が,「なるほど確かめられることは信じなくて済むわけか」と言っていました。

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2006年3月 1日 (水)

灰の水曜日

060301 カトリック教会の最も重要な祝日である復活祭は,「春分の日を過ぎた最初の満月のあとにくる最初の日曜日に祝われることが,325年の二ケア公会議で定められました」(カトリック中央協議会『カトリック教会の教え』p.206)。したがって,毎年復活祭の月日は変わります。『カトリック教会情報ハンドブック2006』(カトリック中央協議会)の裏表紙によると,これからの7年間で,最も早いのは2008年で何とこの年は3月23日です。逆に最も遅いのは2011年で4月24日です。1ヶ月以上ずれるわけです。

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貞潔

blog「心のさかば」で,さかばさんが,私の別サイトにある「カトリック学校の性教育」を話題にしてくれたので,今日はその話を書きます。

といっても,この話を書き始めると,また,何回ものシリーズになってしまうので,詳しくは「カトリック学校教師のページ」をみていただくことにして,やや結論めいたことと,回復教育についてだけ書いておきます。

「貞潔」という言葉はもう死語かもしれませんが,カトリック学校の性教育は貞潔教育をおいて他にはありえません。

貞潔について,『カトリック教会のカテキズム』では[2337]~[2359]で確固とした見解を示しています。これも正確には『カトリック教会のカテキズム』を読んでいただくほかないのですが,日本語版カテキズムの理解を助けるために,同書の英語版も参考にしながら,「カトリック学校の性教育」について書きます。

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2006年1月 2日 (月)

初詣

060102_2 昨日はブログに書いたようにミサに与ったが,実は10時30分のミサは普段半分ほどしか人がいなかった。理由は,私の所属教会が鶴岡八幡宮という有名な神社の近くにあるからである。鶴岡八幡宮は3が日で210万人の初詣客を予想している。実際には1日の曇天と今日の雨天で予想を下回るであろうが。それで,3が日は,市内中心部への車の乗り入れが出来ない。私の教会は八幡さまに近いお陰で,近所のコイン・パーキングには事欠かず,私もそうだが,普段はマイカーでミサに与るに来る人が割と多い。1日の場合はそれは100%不可能である。また,電車は横須賀線だが,通勤ラッシュ並みの混雑となる。そんな訳で1日のミサは普段の半分の人数で執り行われた。

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2005年12月29日 (木)

カトリック学校4<教会から派遣された学校>

カトリック学校のことを書き始めて4日目。あと2~3回は書きたいのだが,このブログを読んで下さっている人たちは,カトリックには興味はあるが,カトリック学校に格別興味があるわけではない方々の方が多いように思えるので,ひとまず,今日がまとめである。昨日までと同様,かつての勤務校の研究紀要に書いたものから引用する。

<教会から派遣された学校>

カトリック学校は教会から派遣された学校である。教会には使命がある。したがって,カトリック学校はその使命に参加しなければ,社会的評価の高い学校であっても,カトリック学校としての存在意義はない。教会の使命は,すべての人に救いの福音―――イエス・キリストのメッセージを伝え,キリストに生きる新しい人を作り出し,社会を刷新していくことにある。だが,カトリック学校の使命はこれと同じではない。なぜなら,カトリック学校は,教会そのものではなく,また,公の教育機関であるからである。しかし,カトリック学校の使命は,教会の使命と無関係でもない。創立者は教会の使命の中で学校を創立した。

カトリック学校の使命とは何か。

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2005年12月28日 (水)

カトリック学校3<日本のカトリック学校の充実を求めて>

カトリック学校についての第3回目の今日は,いよいよ日本のカトリック学校について。一昨日・昨日に引き続き,かつての勤務校の研究紀要に執筆した拙論から引用する。

<日本―――『カトリック学校の充実を求めて』>

 「カトリック学校は日本社会に福音の光を伝えるためのもっとも重要な場の一つです」と,1987年に開催された福音宣教推進全国会議(8)は表明した。しかし,それは当時のカトリック学校の現状を言い表すものではなかったことは,この会議が同時に「カトリック学校教育の現状と課題を再検討する」ことを提案し,直後に司教総会はこの提案に応えていく方針を決定したことを見てもわかる(9)。そして,中央協議会の学校教育委員会というところが中心になって,再検討の作業が開始され,1990年には,『カトリック学校の充実を求めて』というまとめが,カトリック中央協議会学校教育委員会から出された。この冊子は,非常に多くの日本のカトリック学校現場で読まれ,研修会のテキストとしても用いられており,1996年までに6刷(約6000部)を重ねた。ただし,一部のカトリック学校現場では,その存在すら知られておらず,残念であると同時に,そのこと自体,カトリック学校の抱える問題の一つに数えられよう。

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2005年12月27日 (火)

カトリック学校2<カトリック教育聖省>

カトリック学校についての第2回目。昨日は,「カトリック系学校の固有の使命は,学校内に自由と愛の福音的精神に満たされた学校共同体のふんい気をつくること,青少年が自分の人格を発展させると同時に,洗礼によって新しい被造物となった青少年は新しい被造物として成長するように助けること,また生徒が世界,生活,人間について徐々に習得する知識が信仰に照らされるように,人類の全文化を究極的に救いの知らせに秩序づけることである。こうしてカトリック系の学校は,進歩する時代の状況に対して開放的態度をとりながら,地上の社会の福祉を効果的に促進させるよう生徒を教育し,かれらが神の国の拡張のために奉仕するよう準備させる。それは,生徒が模範的および使徒的生活の実践により,人間社会にとって,いわば救いのパン種となるためである。したがって,カトリック系の学校は,神の民の使命を果たすうえに大いに貢献し,教会と人間社会相互間の利益のため両者の対話に役立つことができ,そのために現代の状況のもとでもきわめて重大な義務を有している。」という,第2バチカン公会議中で宣言されたカトリック学校の使命と義務を紹介した。

今日はこれを受けて,日本でいう文部科学省にあたるローマのカトリック教育聖省の動きを紹介したい。昨日に引き続き,かつての勤務校の研究紀要に執筆した拙論から引用する。

<カトリック教育聖省>

ローマのカトリック教育聖省は1977年3月に『カトリック学校』を,1982年10月に『学校に働く使徒の使命』を発布した。前者はカトリック学校のあり方に関する要請であり,後者はカトリック学校に関わる教職員,設置者,地域の教会,修道会,親にあてての教書である。これらもまた,先の『キリスト教的教育に関する宣言』と同様に生徒・教職の大部分が信者ではない日本のカトリック学校には必ずしも合わない部分が多々あるという発布当時からの指摘(4)を知った上でも,発布から20年経った今日なお日本のカトリック学校に貴重なメッセージを送っている。

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2005年12月26日 (月)

カトリック学校1<第2バチカン公会議>

私のアイデンティティ。
それは家族の一員であることである。妻の夫であり,三人の子どもの父親であること。
もう一つ,社会的なアイデンティティ。それは『カトリック学校教師』である。

1986年の大学卒業以来,途中2回学校を変わったが,一貫してカトリック学校の教壇に立ち続けている。尤も途中1年間は非常勤講師であったため,同時にプロテスタントのキリスト教主義学校や無宗教の学校の教壇にも立った。

さて,カトリック学校とは何か?

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2005年12月17日 (土)

ザビエル,ファーブル,イグナチオ(訂正版)

051217 大寒波がやってきているそう。雪が降っていないのは,列島の太平洋側だけなのではないかと思います。雪の多い地方の皆さんは,さぞかし雪下ろし等大変でしょう。どうぞお気をつけて作業をなさって下さい。写真は,今朝,勤務校から見えた富士山です。麓の方まで雪化粧していました。今朝はくっきりと見えるというほどではなかったのですが,クリックしてみて下さい。少し大きな写真が表示されます。

さて,話は変わりますが,

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2005年12月16日 (金)

犬になった人の譬え話

昨日のブログでリバス神父の話を書きました。「マリアは悔しかった」という印象的なクリスマス・メッセージと共に,もう一つ紹介したかったのが,師の著書『ミサ 神の愛の確認』(新世社 1996年)に収められている次の譬え話です。

昔々とてもやさしいおじいちゃんがいました。三十歳ぐらいの自分の子供と一緒に非常に幸せに住んでいました。そのおじいちゃんには特技がありました。それは犬を作るという技術でした。とてもやさしい方で,犬を一匹一匹心を込めて作っていました。自分の幸せを犬たちとも分かち合いたいと思って造ったのです。いつのまにか自分の家は,大きい犬や小さい犬でいっぱいになりました。その子供と相談した結果,犬たちを近くの野原に出して,餌をいっぱい与えて,大さい犬も小さい犬も皆自由に,伸び伸びと育って幸せに過ごすように求めて,それを犬たち自身に任せました。
数日後気になっていたので子供と一緒に犬を見に行きました。近づくにつれて,犬たちの吠え声や鳴き声が聞こえてきました。足を早め,そこに見た有様は非常に苦しいものでした。犬たちは皆争って,噛みつき合い,殺し合っていました。
非常に心を痛めたお父さんと子供は,どういうふうに犬たちを救うことができるかということについて話し合いました。一匹一匹を別の木に縛りつけたらどうかなどと考えていましたが,殺し合っている犬たちの中に入るだけでも危険ですし,また,不自由になった犬たちも幸せにならないでしょう,と。
考えているうちに三十歳の子供の顔が輝きました。「お父さん,僕が犬になります。犬になって彼らを救います」。父親は「犬になったら殺されるに決まっているし,強い犬でなく,弱くて惨めなものにならないと苦しんでいる犬たちは信じてくれないし,お前の言葉を聞きもしないだろう」と。それに対して子供は言いました。「私はこの犬たちに,御父に愛されていることを知らせたい。そして愛し合って生きるように教えたいのです。おっしゃる通り聞きもしないで私をも殺してしまうでしょう。弱くて,皆に捨てられるような惨めな犬になるから死ぬ覚悟でいます。しかし何匹かの犬たちが御父の愛を信じて,その教えを受け入れて全世界の犬たちに教えてくれるでしょう。そしてやがては全世界の犬たちが愛し合って生きれる社会に変えてくれるでしょう」

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2005年12月 3日 (土)

フランシスコ・ザビエルとヤジロウ

僕が最初にザビエルの名前を知ったのは,多分,中2の頃だったと思う。日本に初めてキリスト教を伝えた人物として,イエズス会(教科書には括弧書きで『耶蘇会』とも書いてあったことを今でもハッキリ覚えている)という名前と一緒に知った。

昨日,中2の三女に,「フランシスコ・ザビエルって知っているか?」と聞いたら,「うん。最初に日本にキリスト教を伝えた人でしょ」と答えられた。幼児洗礼を授けたものの,この半年以上教会に行っていない子どもたちであるが,まあ,知っていて,感心した。その会話の続きは,「明日(12月3日,つまり今日のこと)は,そのザビエルが亡くなった日で,記念日なんだよ・・・」というものでした。

ザビエルが日本に上陸したのは1549年8月15日です。この日は,カトリック教会では「聖母被昇天の祝日」であり,また,ザビエルが所属していたイエズス会が設立されてちょうど15年という節目の日でもありました。

実はザビエルはその後の約2年間しか日本に滞在していません。1551年11月15日,中国伝道のために,日本をあとにしました。しかし,その間,山口では5ヶ月間で500人の信者を得るという奇跡的な救いを人々にもたらします。

中国に向けて旅立ったザビエルでしたが,1552年12月3日。中国上陸を目前にして,広東近くの上川島(サンチョアン)という小さな島で病死します。46歳でした。

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2005年12月 1日 (木)

心のいと深きところに平和

いつもこのブログにコメントを寄せて下さるmaria michaelaさんが,「主の平和」は「いい響きです」とご自分のブログに書いていらっしゃいます。 そちらの方に投稿したコメントと重複する内容ですが,「主の平和」。ホントにいい響きだと私も思います。

ところで,「主の平和」ってどんな平和なのでしょうか。
単に,「戦争・略奪・残虐行為などの非人道的な出来事がない」というイメージではないと思われます。
もちろん,これらも大切な平和であることは言うまでもありません。
しかし,それらは,人間の手によって行われていることですから,人間の手によって解決されるべき問題です。
よって,これらが解決して訪れるのは「人間の平和」でしょう。人間は愚かで有限ですから,この平和が長続きしないことは歴史が語っています。人類の歴史は,争いと奪い合いの歴史ですから。

ところが,「主の平和」は違います。主は天のいと高きところにおられる永遠の方です。
したがって,「主の平和」は,天のいと高きところの平和,終わることのない平和なのです。
「天のいと高きところ」。そこは,いつもミサで唱える栄光の場所。

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2005年11月25日 (金)

セルフエスティーム&ストレスマネジメントスキル

カトリック学校の数学教師が私の職業であることは,このブログで何度か書いた(かな?)。

この道(カトリック学校教師)に入って,はや20年になろうとしているが,僕は生徒と関わることによって彼(彼女)達のどんなスキル(skill)を引き出したいのか。051126

WHO(世界保健機構)が1994年に10種類のライフスキルのガイドラインを示したが,小学校教諭の白石孝久氏は著書『「自分」が「自分」を育てるライフスキル学習の授業』(小学館 2001)の中で,それらを5つに整理している。これが実に優れているので,僕もそれを受け売りしている。その5つとは,

  1. 自尊感情,自己肯定感(セルフエスティーム
  2. 人間関係を損なうことなく上手に自分の考えを伝えたり,聴いたりする技能・能力(コミュニケーションスキル
  3. 有害なストレスを引き起こさないようなライフスタイルを実践するための知識・技能(ストレスマネジメントスキル
  4. 選択する能力(意思決定スキル
  5. 目的を定め,その実現のために現実的な(実行可能な)計画を立てるための知識・能力(目的設定スキル

ある。

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2005年11月24日 (木)

『ブッタとシッタカブッタ』

buta 小泉宏吉著『ブッタとシッタカブッタ』(メディアファクトリー 1993)。12年前に出版された本(マンガ)です。このブログを読んで下さっている方々の中にはご存じの方も多いと思いますが,最近は10代の学生さんも何人か読んで下さっているので,今日はこのちょっと古い本の話をします。

僕はこの本が出た頃に何気なく本屋で手に取り,これは面白いと思い,すぐに買いました。まだ,そんなに有名な本(マンガ)ではなかったと思います。ほどなく有名になり,続編が次々と出ました。いわゆる癒し系の本です。その後「癒し系本ブーム」は今日まで続いていますが,『ブッタとシッタカブッタ』シリーズは,心に染み入る本です。また,マンガ嫌いの僕でも読めるマンガです。

その中にこんな話があました。

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2005年11月21日 (月)

『きよしこ』

昨日紹介したオリエンス宗教研究所発行の月刊誌『福音宣教』2005年11月号に『「いつでもどこでも分かち合い」が切り開く福音宣教』(土屋至氏)という記事が載っている。その記事中に「20世紀最大の聖書学者」バークレーの,次のような考えが紹介されている。

「自分の重荷を軽くする方法は,他人の重荷に手を貸してやることである」
そして,
「自分の悲しみに耐える方法は,人の悲しみをともに負ってあげることである」

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2005年11月20日 (日)

福音宣教

051120 今日は都合でミサに行くことができませんでした。そこで,いつもの聖書朗読に関するブログはお休みにします。代わりに福音宣教について書きます。

左の画像はオリエンス宗教研究所が出している月刊誌「福音宣教」の今月号です。

福音宣教とは何かと言うと,イエス・キリストのメッセージを皆さんに述べ伝えることです。福音という日本語は何ともわかりづらい言葉ですが,英語ではとてもシンプルで,"good news"と言います。つまり「良い知らせ(良いたより)」なのです。これを知らせることが福音宣教ということになります。

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2005年10月24日 (月)

FOOTPRINTS

051024このブログをはじめたのは先月のことであるが,これとは別に6年ほど前から『カトリック学校教師のホームページ』というサイトを開設している。更新ペースは遅いのであるが,カトリックの性に関する考え方や,カトリック学校としての構成的グループエンカウンターなどについての拙論をアップしているせいか,開設以来20万件超のアクセスをいただいている。そちらのページの方にはメールアドレスも公開しているため,結構質問も多い。その質問の中で,次のようなものがあった。
(前略)私は、○○○大学という関西にある大学の学生なのですが、先日、ある教授の講演会で聖書の一節と思われる話をなさっていたのですが、私はとても感動して、その一節が何であったのかどうしても知りたくなったのですが英語でのスピーチであったこともありわかりません。このような内容でした。私はどんなにつらくてもどこまでもいっしょに歩いていく。もし、足跡がひとつになったら、それは私がおまえを背負って歩いているからだ。もっと長かったのですが、よく思い出せません。もしよろしければ教えていただきたいです。唐突なメールをすみません。(後略)

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2005年10月15日 (土)

Men for Others

このページからもリンクを貼らせていただいていますが,jyakuzuregawaさんのブログ『たのしいことば?』では,毎日「きょうのことば」として聖書のみことばが紹介されています。jyakuzuregawaさんは,ブログ開設初日のみことばとして,コリントの信徒への第一の手紙12章24節より神は,見劣りのする部分をいっそう引き立たせて,体を組み立てられました。といういう聖句を紹介しておられます。この前後の12節から31節はしばしばキリスト教的社会観と呼ばれています。新共同訳から引用ますと,

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2005年10月12日 (水)

Good News Collection

051012僕がブログを始めたきっかけは,友人に触発されてのことである。その友人は,私の勤務校の近隣のカトリック学校に勤めており,同じCLC(クリスチャン・ライフ・コミュニティ)のメンバーである。さて,その彼(一応名前は伏せる。画像を見ればわかるが)が,今日から,彼の一家の「ファミリー展」を横浜で始めた。左の写真は彼のブログ"Good News Collection" http://blogs.dion.ne.jp/mrgoodnews/ から拝借した。近隣の方は足を運んでみてほしい。

画像は,http://blogs.dion.ne.jp/mrgoodnews/archives/1865517.html にある。

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2005年9月10日 (土)

長崎巡礼

nagasaki今年の夏休み、8月5日~8日に長崎に行った。と言っても仕事だけれど。夏休みに仕事って書くとわかってしまうと思うけれど、僕は学校に勤めている。カトリックの中高一貫校。今回は、来年度中3・高1生を対象に実施される長崎巡礼の下見として行ってきた。

コース選定のための下見であったため、3泊4日のスケジュールは盛りだくさんであった。長崎といえば、普通連想されるのは、まず原爆投下だろう。続いて、異国情緒を漂わせる教会か。はじめから26聖人や遠藤周作の『沈黙』に描かれているような禁教下の切支丹弾圧に興味を持って長崎を訪れる観光客は少数派だろう。これを書きながら、「長崎で何を思い出す」と姪のノンノン(22歳)に聞いたら、「長崎チャンポンとハウステンボス」と答えてくれた。とても普通だなあと思った。

ところで、来年、生徒と行く目的は『巡礼』である。長崎平和公園やすでに国宝に指定されている大浦天主堂を見学するだけでは意味がない。そこに、キリシタン迫害時代から原爆投下を経て今日までを通して貫く一本の縦糸を見出さなくては。今回、僕はこの研修に、こうした目的を持って参加した。

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