2007年2月15日 (木)

答なんか・・・

勤務校では,高1対象に「ゼミ」という授業が時間割の中にあります。
今は,文部科学省学習指導要領の『総合的学習の時間』の単位にカウントされていますが,
勤務校では,文部科学省が『総合的学習の時間』なんて言い出す前から,実施しています。
私は数学教師ですが,『自分とつきあう』という,なんだか怪しげ(?)なゼミを担当しています。
それはさておき,
それらのゼミの中に『社会のしくみを考える』という,またまた怪しげ(=面白そう!?)な講座があります。
このゼミの一大特徴は,1年間,毎回講師が変わるということです。
講師は卒業生が務めるのですが,原則として,41歳年上のOBが講師としてやってきます。
でもって,今日はたまたま数学の先生がやってきました。
実は私も数学教師なのですが,今日の数学の先生はすごかったです。
何がすごいって数学へののめり込み具合がすごいのです。
なんでそんなことを知っている(同じ時間帯の裏番組授業なのに)のかというと,
この『社会のしくみを考える』という講座だけは,
放課後に,ほぼ同一内容で,中一から高三まで自由参加のオプションコースがあるのです。
通称『OBゼミ』といいます。
私は今日,それに出てきたのです。

さて,そこで講師の先生がこんなことを言っていました。

「正しいとわかっていることを学ぶのはつまらない。
寧ろ,正しいかどうかわからないことを考えるのが面白い。

つまり,正しいことが証明できるのか,
それとも,正しくないことを立証する例(反例といいます)があるのかを探ることが面白い」

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2007年2月13日 (火)

もし壊れているなら・・・

実はとても疲れています。

この三連休,1日はネイチャーゲームの研修会で,
横浜市金沢区の海の公園に行きました。
冬だというのに寒すぎず,砂浜でリラックスしてきました。

あとの2日はだいたい家に居ました。
ゴロゴロしたり,壊れているPCと格闘したり・・・。

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2007年1月22日 (月)

他のありよう

不便なところに住んでいるので,家族を最寄り駅まで迎えに行くことが多い。
大抵,電車の到着時刻に合わせて私がちょっと先に着き,
少しすると,妻とか娘とかがが車に乗ってくる。
その数分から10分待ち時間の暇つぶしのために,
車には,一冊の本が置いてある。
スーザン・ヘイワード『聖なる知恵の言葉』(PHP研究所 1995)だ。

実はこの本,昨年,「ブックオフ」に古本を売った際にもらったサービス券で買った。
多分,100円か200円だったと思う。

今日,こんな言葉を見つけた。

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2007年1月19日 (金)

ジワリジワリ

ゼミ『自分とつきあう』も余すところあと6~7回となってきた。
年間約25回。受講生3人のゼミ(指導要領では「総合的な学習の時間」)も
メンバー相互の親密度が高くなってきたかなと思った。

そこで,自分自身が,昨年,愛知教育大学のS先生のワークで体験した『肯定的陰口』というワークを実施してみた。

このワークは3人一組で行う。
1人(Aさんとしよう)対2人(Bさん,Cさんとしよう)に別れて,
Aさんの背後に,Aさんからは見えないようにBさんとCさんが座る。
Aさんからは,BさんとCさんは背中の後にいるので見えない。
この状態で,Bさん,Cさんの2人組には,思いっきりAさんの陰口を言ってもらう。
陰口を言われているAさんは,耳をダンボゥにして2人の会話を聴く。

しかし,一つだけ条件がある。
言って良い陰口は,「ほめ言葉」だけである。

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2007年1月15日 (月)

答を教えては解決にならない

私は長年数学の教師をしています。
若い生徒たちは大変に優秀です。
中高生ですから,脳細胞の量も質も私よりずっといいわけです。
しかし,潜在能力は持っているのでしょうが,結局開花できずに,卒業を迎える生徒も見かけます。

私の勤務校は,入学時の(いわゆる)成績でいえば非常に高い生徒が揃っています。
しかし,入学後の数学(他科目もそうなのでしょうが)の力には開きが出てきます。
それは,勤勉さや努力の度合いにも非常に関係しますが,
もう一つ,取り組み姿勢にも関連性があると思います。

現在の勤務校にはほとんどいないのですが,
「で,先生,結局,答はどうなるの?」という姿勢で取り組んで来る生徒の数学の力は,まずつきません。

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2007年1月14日 (日)

悲しみに蓋をするために・・・

ここ2~3日,あるSNS内のコミュニティのトピック(SNS内の掲示板です)で,トラブルに巻き込まれています。
というよりも渦中の一人であると言った方が良いかもしれません。

とにかく,書き込む人々の一部の方は,怒りをそのまま書き込んでいます。
私自身も,怒りを感じたので,一旦コメントを休止しました。

「怒りの表出は悲しみに蓋をするために,その人は行っている」
と聞いたことがあります。

コメントを休止してしまった私は,悲しみに蓋もできずに藻掻いていたりします。

まあ,たまにはこんなことも,ありか!

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2007年1月13日 (土)

理解するよりも大事にすること

タイトルは,私がコミュニケーションの基本においているものです。
なぜならば,人はそれぞれ価値観が異なり,互いに理解しあうことには限界があるからです。
たとえば,私には,私が大切にしている宗教観に関して,私とは180度見解を異にする友人が結構います。
しかし,彼等とは,人によってはもう何十年の付き合いが続いています。

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2007年1月12日 (金)

「役割解除」

大学生の頃,教わっていた先生から,
「こんな芝居を観ました。
一人の無言劇(パントマイム)です。
最初だけ,その人は素顔なのですが,
次から次へと仮面を付け替えていきます。
一度きりしか付けない仮面もありますが,
頻繁に付ける仮面もあります。
彼は,とにかく始終,仮面を付け替えます。
しかし,あるとき,疲れてしまった彼は,仮面を外そうとします。
一生懸命両手で外そうとします。
ところが,どうしても,どうしても,仮面が取れなくなります。
仮面を外そう外そうとして藻掻いているところで,幕が降りました」
こんな内容の話を聞きました。

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2007年1月11日 (木)

プレイバックシアター初体験

私のブログのカテゴリーに「サイコドラマ」というのを今年から追加しました。
サイコドラマ(PSYCHODRAMA)は,モレノ(1889-7974)という精神科医が創始した,集団の力を利用したアクション系のセラピー(非言語集団療法)の一つです。
この歳になっても新しく知りたいこと,やりたいことが多すぎて,ちょっと困ってしまいます。
実際,昨日も今日もアフター・ファイブに,それぞれ結構大事な予定が入っていたのですが,どちらも前日にスケジュールを変え,昨日は,サイコドラマのオープングループに参加し,今日は,プレイバックシアターの夜間ミニ講座の参加してきました。前者は私の方から「ディレクター」にアポを取り,後者は,当日の「コンダクター」から直接お誘いを受けたので行ってきました。

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2007年1月 8日 (月)

「できない能力」

順応力(あるいは適応能力)が下がってきているとしばしば耳にします。
こんなことをいう子供はいません。
言うのは大人です。
職場の上司だったり,学校の先生であったり。

しかし,なんだか変な気がすします。
明らかに私たちを取り巻く状況は変わってきています。
たとえば,小学生が,まるで「箸でもでも使うかのように」コンピュータを使っています。
この「箸でも使うかのように」コンピュータを使うという言い方は,
先日,ラジオで永六輔さんがしゃべっていた喩えです。
ちなみに,彼はまったくインターネットの仕組みや操作がわからないそうです。
「どうして走っている電車の中でメールが見られるの?電車の中までずっと追いかけてくるの?」
なんて,永さんらしいことを言っていました。

話が逸れましたが,果たして子供たち,あるいは若者たちの適応能力が下がっているのでしょうか?
私はむしろ逆なんじゃないかなあと思ったりします。

だって,私が子どもであったり,若かったりした頃は,
結構,自分と異質の人に出会うと構えました。
たとえば外国人に対して。
今の子どもたちの方が,明らかに私の子ども時代より構えません。
ずっと自然に打ち解けます。
これは,日本に外国人が増えたことも影響していますね。

たとえば,携帯電話。先ほどあげたコンピュータ。
確かに操作は簡単になったとはいえ,
その機能の多様さは数百倍,数千倍になったと言っても良いと思います。
それらを大部分の子どもや若者がいとも簡単に使いこなしています。
マニュアルなんかまず見ません。
第一最近は紙のマニュアルが付いていないものの方が一般です。
仮に付いている分厚いマニュアルがあっても,ほとんど見ません。
なぜなら,彼等は自分がやりたいことがそこに載っていないことを知っているからです。
たとえば,彼のやりたいことは,友だちから聞いたゲームを探してきて自分のケータイにダウンロードすることだったり,誰かのメアドを知ることだったり・・・・。そんなことは分厚いマニュアルの隅から隅まで読んでも書いてありませんから。
でも,彼等は難なくやってしまいます。
何の役にも立たない分厚いマニュアルは部屋の隅で埃を被っているだけです。

逆に中高年層の多くの人は,マニュアルを読もうとします。
真面目なんです。でも,
「マニュアルが分厚すぎて何がどこに書いてあるのかわからない。だから,この機械は使えない」ってことになりがちです。
中にはすごい真面目なオジサンなんかは分厚いマニュアルを1ページ目から順に読んでいったりします。
私はそういう人たちを,全然おかしいと思いません。
なぜなら,かつてはそれが,新しい家電製品・時計・その他の道具を手に入れたときの,絶対的に正しい「作法」だったからです。

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2007年1月 7日 (日)

天国にいる自分

昨日から三日間,グループ・ワークの宿泊研修に来ています。カウンセリング系の学会の研修会です。北は北海道から南は九州まで(残念ながら今回沖縄県はいませんでした),全国津々浦々から教育関係者,教育相談員,医療関係者,医療機関相談員,専門相談機関のカウンセラーが集まってきています。
今回は7つの分科会に分かれていて,私は「演習」の講座のうち,非言語集団的療法(と呼ばれていますが,実際には言語を使わないことはあり得ないので,アクション集団療法と呼ぶ方が良いらしい)のグループに参加しています。いま,「療法」と書きましたが,これは「セラピー」とも呼ばれます。あるいは,教育現場では,「指導」と呼ばれているものの一部だったりします。同じ手法を,医療関係者,相談関係者,教育関係者ではこのように異なった呼び方をします。要するに,(今回の講師の先生の言葉をお借りすれば)業種による方言のようなものです。なお,あまりヒーリングという用語は使いません。癒しという言葉は使われます。

ワークショップ形式の講座の内容は非常におもしろいのですが,いろいろな制約があるため,中心部分をここで紹介することはできませんが,ウォーミング・アップとして行った演習の中で,私にとって,特別意味があるものがあったので,今日はそれだけ書きたいと思います。

『人生ライン』という簡単なエクササイズです。070106_2
図のように椅子を螺旋状に並べます。真ん中が0歳(誕生の瞬間)で,最後が100歳です。100歳は,便宜的に死ぬ瞬間の意味も兼ねています。そして,その次に天国と呼ばれている場所があって,ここを表す椅子だけは倒れています。なお,椅子そのものに意味はないのですが,このように椅子を使うことによって,「人生」のラインがイメージしやすいので,椅子が用いられます。これは大変役に立ちます。(「エンプティ・チェア」という手法の一種です)
天国だけ椅子が倒れているというのも意味深です。

以上のような準備の後,先生は,
「さて,皆さん,並んでいる椅子の外側に出てください。
そして,最高の自分をイメージしてみてください。
それは何歳のどの瞬間でしたか?
あるいは,今後最高の瞬間が訪れるとしたら,
それは何歳のときに起こってほしいですか?
たった一つだけイメージしてみて下さい」
と話されました。

ちょっと考える時間が与えられ,
「さて,それではその年齢を表す椅子の横に立ってみて下さい」
と指示されたので,参加者は移動しました。
今回,このセッションの参加者は17人(アクション系のグループとしてはほどよい人数です)でしたが,参加者の皆さんが移動した位置を図中,顔のマークで表しました。
今回の参加者の年齢は20代半ばから,50代以上までと幅広かったのですが,
6~7割方の人が,今の自分よりも若い年齢の位置に立ちました。

さて,私なのですが,何の迷いもなく「天国」に行きました。
意外にも,それは私一人でした。図中で,口を大きく開いて笑っている顔のマークを付けておきました。

この後,先生は,参加者をそこに立たせたまま,立っている年齢が低い順に,
「○○さんは,今あなたは何歳(実年齢ではなく,立っている場所の年齢)で,どんな最高なことが起きてますか」と尋ねていきます。
聞かれた人は,たとえば,
「29歳になって,やっと就職できたときです」(脚色してあります)などと答えます。
私は天国に一人立っているわけですから,聞かれるのは当然最後です。
先生は私には,
「マジスさん,どうしてそこに立っているのですか?」
と,ちょっとそれまでの人とは違う聞き方をされました。私は,
天国はいいところだと聞いているので」とニヤニヤしながら答えました。
ここで,参加者一同(私も)ドッと笑いました。

それで,おもしろかったのはここからで,続けて先生は,

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2007年1月 6日 (土)

風の中

強風の中,空を飛ぶ鳩を見て,風がなかったらあの鳩はもっと自由に飛べるだろうにと考えた人がいました。
風とは空気の流れです。
風を受けるということは,風がないときよりも,
より多くの空気を受けるということです。
そして,その空気は,酸素,二酸化炭素,窒素などの分子から成っています。
ですから,風を受けるということは,そのような分子がたくさん衝突してくるということです。
分子がたくさん衝突してくると鳩はうまく飛べないわけです。
ならばいっそのこと,風ではなくて空気そのものをなくしてしまえば,
鳩には何の分子も衝突しないのだから,鳩は自由に飛び回れるかといえば,大間違い。
鳩が飛ぶためには,空気を押さなければならない(その反作用で鳩は飛べる)のですが,空気(つまりいろいろな分子)がなければ,いくら翼を羽ばたかせても,反作用の力が帰ってこないので,まったく飛べません。
これでは,強風のときより都合が悪いわけです。
強風時は確かに飛びずらそうだった鳩も,うまくその風を利用すれば,実は結構,移動する自由度は高いのだそうです。ヨットがただ風の向きだけにしか進めないわけではないことと同じです。

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2007年1月 4日 (木)

割り切れないけれど・・・

任意の2つの自然数(1,2,3,・・・のことです。日本の中学校の教科書によれば)を選んだとき,一方が他方で割り切れることは,圧倒的に少ないのは当たり前ですよね。たとえば,16と3を選べば,「16÷3=5余り1」となるわけです。18と9とか,100と25のように,たまたま,商が整数になり,余りがでないことの方が,ある意味で(大袈裟に言えば)「奇跡的」なわけです。なぜなら,自然数は無限に存在するのですから・・・。無限に存在する自然数から,任意の(かってな)自然数を2つエイっと選び出したとき,それらの一方が他方を割り切ることなんて,ほとんど期待できないわけです。なんか珍しく数学の先生みたいな(といっても私の職業は数学教師ですが)話をしていますが,ここから書くことはあまり数学と関係ありません。

元旦のブログは,元旦に相応しくなく「コンプレックス」なんてタイトルで書きました。
でも,実はいろいろ考えて,そのタイトルにしました。
その中で,哲学者の中島義道氏の著書『英語コンプレックス脱出』(NTT出版 2004年)から,少し引用しましたが,この本は,比較的平易ながら中身がとても濃い本です。その濃い中身を一言で総括しますと,英語コンプレックスは,人間の持つコンプレックスの一つの露呈のしかたであるということが書かれています。他の何か(英語そのものの場合も含む)に対するコンプレックスの一つの表れであるというのです。中島義道氏は,この本の本文230ページのうち,なんと220ページも費やして,このことを,非常に多くの「日本人論」(多くは新書のような一般向けの本)を年代別に,あるいは系統わけすることによって,読者に説得しています。というか,つじつまを合わせていると言った方が良いかもしれません。しかし,これはけっしてこの本に対する悪口を書いているのではありません。そもそも一般向けの評論とはそういうことをすることだと思います。

そして,残り10ページで,中島氏は,そのコンプレックス一般を解消する「生き方」を非常に簡潔に五つに整理しています。(221ページ)

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2007年1月 1日 (月)

コンプレックス

070102_0_1 今年の"NEW YEAR"は,初めて国外で迎えました。移民(大部分が英国からですが)が52パーセントもいる,その国の港町に6日間滞在したのですが,港ではニュー・イヤーに合わせて大花火大会が催されました。治安は良い方の街だったので,新年のカウントダウンの2時間くらい前から,家族で連れ立って港の方へ繰り出しました。立錐の余地もないほど,港の公園は人・人・人・・・でした。酔っぱらった若い男性が,何人か私の家族(女性4人)に絡んできたりしましたが,そんなに大きな問題にもならずに,やり過ごすことができていました。私たち家族の周囲には,大学生か20代の男女のグループがいて,すぐに打ち解けた雰囲気になりました。この街では,アルコールを「家の前以外」の道路で飲むことが禁止されていると聞いていたので,私は(大好きな)アルコールを持たずに,その花火大会を見に行きました。しかし,この日だけは特別だったようです。私たち家族は,先ほどのグループの中の,ある姉弟と知り合いになり,妻と私は,新年が明ける30分くらい前に,その姉弟から缶チューハイ(みたいなリキュール)をいただいてしまいました。日本人らしく(?)遠慮したのですが,その姉弟が"HAPPY NEW YEAR"と繰り返し言いながら,勧めてくれたので,「サンキュウ・ベリ・マッチ」と日本英語(?)で言いながらいただきました。 070102_1

そうして,周囲の若者たちと,私の家族で新年のカウントダウンを待っていたのですが,新年の20分くらい前にアクシデントが起きました。 私は突然,背後から何者かに背中を押され吹っ飛ばされたのです! 実は,元々ギックリ腰の状態だったので,その痛みは,気を失う程でした。 2メートルくらい飛ばされましたが,本能的に地面すれすれで体勢を立て直し,かろうじて転倒はしませんでした。しかし,持っていた缶チューハイが次女にかかってしまいました!私は,これも本能的に,背中を突いた者の方を向きました。風貌や鼻の下の髭から,イスラム系の人に似ていました。しかし,定かではありません。体勢を整えつつある私を見ながら,その男は,何ごとか私に罵りの言葉を浴びせながら,歩き去って行きました。

(私はもちろんですが),私の家族と,先ほどの缶チューハイの姉弟はとてもびっくりしました。家族は日本語で一斉に「大丈夫!?」と寄ってきました。即座に,「大丈夫!」と答えました。そして,缶チューハイをくれた姉弟の姉の方も,多分英語で,「大丈夫か?」というような意味のことを言ってくれたのだと思います。なぜ,「思います」と書いたのかというと,私にとっても,周囲にとってもあまりに急であったことと,私の語学力のなさから,彼女が私にどんな言葉をかけたのか,正確にはわからなかったからです。 しかし,間違えなく,「大丈夫か?」という意味のことを言ったと思います。なぜなら,私が,"I'm OK."と言ったのか,"All Right."と言ったのか(これも覚えていませんが),そんなようなことを言ったら,「ああ,良かった」という意味のリアクションをしてくれたからです。

さて,この事件から一日経って,このブログを書いていますが,私を乱暴に突き飛ばした男が,言語で何と言ったのか,わかりません。そもそも何語で怒鳴られたのかもわかりません。また,私を心配してくれた姉弟が何と言ってくれたのかもわかりません。それも何語だったのか?それまで彼等は英語を話していましたから,英語なのでしょうが・・・。 しかし,わかっているのは,私を突き飛ばした男は私が邪魔で敵意を持っていたこと,そして,直前に知り合った姉弟は私を思いやってくれたこと。 どちらも,コミュニケーションがとれていたわけです。もちろん,私を突き飛ばした男性のコミュニケーションの仕方は下手ですし,私は,悲しいし,痛いし,怒っています。ゆるせない気持ちもあります。 しかし,彼と私は明らかにコミュニケートしました。なぜなら,私は,突き飛ばした男にも反応しましたし,心配そうに声を掛けてくれた姉弟にも反応したからです。

ある心理学の本に, "The meaning of your communication is the response that you get." と書いてあります。私が男に突き飛ばされてそのまま倒れ込んでいたら,(あるいは,押されても,まったく微動だにしなかったら,)つまり,無反応だったら,コミュニケーションは成立しなかったでしょう。また,心配してくれた外国人の姉弟に,私が何らかのメッセージを発さなかったら,コミュニケーションは成立しなかったでしょう。しかし,かろうじてどちらにも反応することができました。そして,そのどちらも,言語的な反応ではありませんでした。正確に言えば,何某かの言語は発していたのですが,それ(言語)でコミュニケーションしたとは到底思えません。

そもそも,この一連のコミュニケーションの始まりは,見知らぬ男が,私を突き飛ばすという,極端なボディ・ランゲージから始まったわけです。例の姉弟も私に何と声を掛けたのかわかりません。ただし,明らかに,顔の表情や,座り込んだ私の目線まで下がってきて語りかけてくれた姿勢から,心配してくれている様子が伝わってきました。

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2006年12月26日 (火)

どうして自分にはできないのだろう?

どうして私には○○ができないのだろうか?
こんな嘆きをよく耳にします。

○○に入る言葉は,人それぞれ違います。
また,同じ人でも,時によって変わります。

それができないことは,時として,その人にとって,
とても大きな問題となります。
悩んだり,嘆いたり,劣等感を感じたり,焦ったり。
それくらいならいいのですが(そうはいうものの辛いです),
○○ができないことで,将来が閉ざされた気持ちになり,
どうやって生きていこう,もう生きることはできない,
そんな気持ちにさえなったりします。

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2006年12月19日 (火)

I Want to ・・・

昔親友が,
「自転車に乗っているときに,
側溝に落ちないようにと,側溝ばかり見ていると,
側溝に落ちてしまう」と言っていた。

その友は,前を向いて走ることの大切さを僕に教えてくれた人だ。
今は親しくないので,親友ではないかもしれないが,
心の中ではいつでも会っている「真友」だ。

「側溝に落ちないように」という目標は,
「○○しないように」という否定形の目標だ。
このような目標はどうやら功を奏さないらしい。
「試験で悪い点を取らないように」
「飲み過ぎないように」
「事故に遭わないように」
「明日,寝坊しないように」
・・・。

同じように,
「○○すべきである」という目標も達成できない。
「次の試験では前回よりも良い点を取るべきである」
「飲み過ぎないようにすべきである」
「安全運転すべきでだ」
「遅刻しないように起きるべきだ」

目的を達成するとは,自分が変貌するということである。
変貌は,"I Want to・・・"と思っているときだけ起こる。
そんな話を最近聞いた。

だから目標の立て方は大事。
「次の試験では良い点をとりたい」
「お酒は適度に楽しく飲みたい」
「相手も自分も安心できる運転をしたい」
「明日は早起きしたい」

なんかそうかもしれない。

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2006年12月17日 (日)

People Always Have the Resources They Need

僕はしょっちゅう人を羨む。
妬むと言ってもいいかもしれない。

僕の関心は専ら人間関係にある。

日常の中で,
市場原理を学んでいない人(僕もそうですが)が「あいつは営利目的だから」と言うのを耳にする。
確かにその発言をした人は営利目的で行動していない人だ。
でも,代々受け継いだ広大な土地の持ち主だったりする。

羨ましいなあ~。

「人間関係」と縁のない人から「あいつの家庭には問題がある」と言うのを耳にする。
そう言った人の家庭は確かに円満だ。

それはそれでいいか~。

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2006年12月16日 (土)

「私もです」

11月14日から,朝日新聞に連載されていた「いじめ(られ)ている君へ」という連載記事が,今日の朝刊でようやく終わった。
初回の児童文学者から始まって,各界の著名人(たとえばノーベル物理学賞受賞者)が
連日それぞれの立場から,現在,学校で起こっているいじめ問題に的を絞って,
主に「励ましのメッセージ」や「自分の体験談」をご披露されていた。

私(学校勤務)の周囲でも朝日新聞購読者は,他紙よりかなり多い。

そんな中,この「いじめ(られ)ている君へ」はすこぶる評判が悪かった。
朝日本社もそれは理解していたようだ。
緊急連載を始めたのが11月14日だったが,
関係者によると,(著名人に依頼したものの)とても掲載するのに耐えない記事も数編あって,
肝いりで連載を始めたにも関わらず,休載にせざるを得なかった日もあったという。

私は以前にも書いたが,今回の連載は失敗に終わったと思う。
それは主に,自分が生きぬいた体験談を,後から続く人に押しつけたものがあまりに多かったからだ。
いくら辛い体験を疲労し,自分がそれをどう乗り越えたかを語っても他人の力にはならない。
しかし,これは朝日新聞社に問題があるのではない。
むしろ,この国の中で発言力のある人たちの多数が強者の論理で,
そして特に年長者は加えて時代倒錯でしか現状を考えられないということが
今回の記事を通じて読み取れたように思う。

しかし,本当は
The Map is Not the Territory! なのである。

「私もです」。
なんか肯定的メッセージに聞こえるかもしれませんが,
こんなことで相手と意気投合できるのは,
せいぜいスポーツ観戦のときくらいです。

スタジアムに観戦に行った浦和レッズのファンが,隣の席の人もレッズのファンだと知ったら意気投合して一緒に応援するでしょう?
それは楽しいことですよね。
だから,スポーツ観戦では時々「ウェーブ」なんていう日常生活では起こりえない現象が起こります。

しかし,これが好きな芸能人となると若干違ってきます。
SMAPのコンサートに行ったとき,隣席の人が,いくら同じSMAPファンでも,
スポーツ観戦のときのような意気投合感は起こりません。
これはおそらく,スポーツ観戦と芸能人に惹かれることの微妙な心理的側面の違いに起因していると思われます。
浦和レッズのファンは浦和が優勝すればただただ嬉しいと思えますが,
芸能人が有名になったり幸せになると,どこか気持ちがさめたりすることもあります。

さらに,これが身近な人間関係ともなれば,「私もです」はしばしばコミュニケーションを遮る言動となりかねません。

話を単純化します。
たとえば,ある人が腹痛を訴えてきたとします。
どうしますか?
「大丈夫ですか?」とか「薬ありますけど飲みますか?」と聞くでしょう?
ここで,「私もそうなんです」と応えられてしまっては,
会話が別の方向へ流れてしまいます。
この瞬間,話の中心が入れ替わってしまいます。
つまり話の主人公がそれまでの話し手から聞き手に移ります。
これでは,はじめに腹痛を訴えた人は脇役になってしまうのです。

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2006年12月 9日 (土)

「弱音を吐けば道は開ける」

タイトルの言葉は,今日,午前中に
NHK教育テレビの『親と子のTVスクール』に出演された
諸富祥彦(カウンセラー)先生が,番組の最後に視聴者に訴えかけたメッセージです。
お話しの内容は,このブログの11月30日に書いた諸富先生の話と重なる部分が多かったです。
最近,諸富先生は,特に弱音を吐くことの大切さを強調されています。
今日のお話しのテーマも『親子が弱音を言いあう関係づくり』というものでした。

以前にも書きましたが,私も早めの弱音が有効だと思います。
先日も,ある同僚同士が愚痴を言い合っているのを見ました。
私の職場環境は恵まれた方だとは思うのですが,
だからといって完全なものではありません。
当然,いやなことや納得のできないこと,凹むことはあります。
そんなとき,互いにグチグチ言い合うことはとても良いことだと思います。
愚痴を言い合い,聴き合いながら,その同僚二人は階段を降りていきました。

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2006年12月 3日 (日)

どんな信念?

信頼される
相手に喜ばれる
運が良いと評価が上がる
自分で満足できる

窮屈
時間がかかる
やりきれない(こなしきれない)ことがある
どこまでやっても満足感が得られない
孤立する
一人で抱え込む
体調を崩す
人を育てない

以上の事柄は,ある信念をもって生きた場合に得られる利点(赤で書いたもの)と損するような不利な点(青で書いたもの)です。

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2006年12月 2日 (土)

退屈の専門家

061202 今日は,臨床パストラルケア教育研修センター主催の一日研修会に出てきました。臨床パストラルケアとは,「患者や家族,その友人,医療従事者のスピリチュアルな痛みやニーズに寄り添うこと」と,同センターは定義しています。

今日の一日研修会のテーマは「患者さん訪問」。講師は同センター所長で,レデンプトール会司祭のウェルデマール・キッペス神父(ドイツ人)。

訪問前の心構えから,訪問の実際,訪問後にすべきことまで,実際に即した基本事項を学びました。
基本は,義務感やボランティア精神から訪問するのではなく,訪問させていただく相手から学ばせていただく姿勢を持つということでした。

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2006年11月30日 (木)

「それぐらい気にしなきゃいいのよ」?

明治大学の諸富祥彦先生の著作は,
私のものの考え方に大きな影響を与えています。
この夏には諸富先生のワークショップにも参加し,
益々,先生が第一人者として研究・啓蒙活動をなさっている
人間性心理学(第三の心理学)や,トランスパーソナル心理学にも興味を持つようになりました。

その諸富先生が,昨日は千葉県内で講演をなさったそうです。
講演内容は,現在を生きる子どもから大人までの多岐の話題にわたったようですが,
諸富先生は持ち前のユーモアを交えながら,
各発達段階で若者(あるいは大人)が突き当たる心理的な壁のやり過ごし方を述べられた様子です。

しかし,昨日の講演では,冒頭にいじめに関する問題も取り上げたそうです。
そこだけは,ユーモアを交えずに話されたそうです。

参加された方からの報告によりますと,
もし,子供がいじめられていることを親に(教師にでも同じでしょうが)話した場合,
絶対言ってはいけない言葉3つを教えて下さったそうです。

第一「それぐらい気にしなきゃいいのよ」
第二「もっと強くなりなさい。あなたがもっと強くなればいいのよ」
第三「あなたにも悪いところがあるんでしょう」

(都知事さんの発言を思い出しました)

子どもにも,プライドがありますし,また,
親に心配をかけたくないという「よい子」反応から,
学校などで周囲からいじめられてもなかなか親には言いません。
したがって,子どもが親にいじめられてることを話すということは,
悩んで悩んで悩み貫いて一大決心をして話す訳です。
そんなときに,上のような三つの言葉を親から言われたら,
ああ,親に話してもわかってくれない(=話しても無駄だった)と思い
もう2度と話してくれなくなる可能性が大です。

また,第三の「あなたにも悪いところがあるんでしょう」 というのは特にひどい言葉です。
一昨日もテレビで,六占星術師とかいうタレントが,
「いじめられている側にも原因があるの」なんて平然と話していましたが,
なんという強者的(または自分の弱さを徹底的に隠蔽した)発言でしょう!

とにかく,親は子供の相談に対しては,一緒に大変なことだと大騒ぎする。
大変だという気持ちで,一言も聞き漏らさずよく耳を傾ける。
しかし,大騒ぎをするときに,子どもと一緒に揺れ動くのではない。
自分も揺れてしまうと,揺れが増幅されてしまいます。

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2006年11月29日 (水)

『マイ・クレヨン』

昨日のホームルームでこんなことをやりました。06112801_2

  1. 4人一組でグループを作り,机をつけて輪になって座る。
  2. 1人に一枚ずつ画用紙を渡す。
  3. グループに4色のクレヨンを渡し,一本ずつをそれぞれに持ってもらう。どの色を誰が使うかは話し合って決めてもらうが,一度各自のクレヨンを決めたら¸この活動のあいだ中クレヨンの交換は絶対にしない。だから,自分のクレヨンを「マイ・クレヨン」と呼ぶ。(それでこの活動の名前を『マイ・クレヨン』としましたが,オリジナルは,2006年度日本キャリア教育学会全国研究大会の会期中,会員企画シンポジウムにおいて,「學匠」というキャリア教育を支援する会社の代表の方が報告された"It's a small warld"というエクササイズです。)
  4. 各自が,「ホッとする場所」や「ニコニコできる場面」を思い浮かべる。
  5. 数分したら,グループ内の各自が自分のクレヨンを使って,その絵を描いてみる。ただし,一色しか持っていないので,思っていることを完全には表現できない。
  6. 5分ほどしたら,輪になって座っている4人グループの右隣の人に,自分が描いた絵の場所・場面と,自分がどんな気持ちでその絵を描いたかを伝え,自分の画用紙を手渡す。
  7. 受け取った人は,前に描いた人が伝えてくれた気持ちを大切にして,今度は自分のクレヨンで,そこに新たな絵をかきたす。(クレヨンはずっと各自が「マイ・クレヨン」を使うので,これで画用紙の絵は2色になった。)
  8. また5分ほどしたら,また右隣の人に,前の人の場所・場面設定と,前の人と自分のその絵に対する気持ちを伝え,画用紙を手渡す。
  9. 受け取った人は,前の人が伝えてくれた気持ちを大切にして,自分のクレヨンで¸そこに新たな絵をかきたす。(クレヨンはずっと各自が「マイ·クレヨン」を使うので,これで画用紙の絵は3色になった。)
  10. また5分ほどしたら,同じように右隣の人に画用紙を渡し,渡された人はそこにマイ・クレヨンで絵をかきたす。これで4色になった。5分ほどしたら終了。描くのはここまで。
  11. 最後に右隣の人に画用紙を渡す。これで自分が最初に描いた画用紙が各自に戻ることになる。自分が描き始めた絵だが,もうクレヨンでかきたすことはせず,眺める。
  12. 4人で絵を見ながらシェアリングする。

こんな具合です。

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2006年11月26日 (日)

自分が負った過去の傷を手放す

061126 ジェラルド・G・ジャンポルスキー著,大内博訳『ゆるすということ』(サンマーク文庫 2006年)という本を読みました。

次の症状はほとんど私が慢性的に経験しているものばかりです。皆さんはどうでしょうか?

頭痛,腰痛,首の痛み,胃炎や潰瘍,憂鬱,元気が出ない,焦燥感,イライラする,緊張・不安感,不眠症・落ち着かない,漠然とした恐怖,不幸せな気持ち

これらは,ジェラルド・G・ジャンポルスキーによれば,人が人を「ゆるさないことで起こりうる症状の,ごく一部」(p.64)だといいます。
もちろんこれらの症状の原因のすべてが人をゆるさないことなどとは思えませんが,
私の拙い経験から考えると,他に身体的な要因がないのなら,原因をそこに求めることは的外れでない場合が多いと思います。

ところで,ゆるすという行為はすぐれて主体的な行為です。

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2006年11月21日 (火)

心の中に魚が棲んでいる人

鎌倉に湖があることは,実はあまり知られていないが,鎌倉湖という湖が存在する。
私の家から徒歩10分くらいのところにある。
私が利用しているバスも,江ノ電バスの「鎌倉湖畔循環」という系統だ。
私の家の前の通りは,湖畔通りという名前が付けられている。
ただし,そんな風に呼ぶ人にあったことはない。
みんなバス通りと呼んでいる。
ああ,風情がないなあ。
まあ,江ノ電バスには風情があるからいいか。

この湖。名前は鎌倉湖だが,元は灌漑用の人工池だったらしい。
江戸末期から明治初期かけて地元の農民たちが労働奉仕で作ったらしい。
今の時期はとても紅葉がきれいだ。

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2006年11月19日 (日)

「病」を排除する効率主義への警告

061119_1 今日の朝日新聞の「読書」のページで,精神科医の香山リカさんが,『生命と現実』(河出書房新社)という本の書評を書いていました。私は気になってはいるものの,まだこの本を読んでいません。精神病理学者・木村敏氏と哲学者・檜垣立哉氏との対談本です。香山リカさんによるその書評のタイトルを,そのまま今日のブログのタイトルとしました。
香山リカさんは,書評の最後を次のように締め括っています。

「症状はすべて生体にとって,意味のある反応である」。
これは,「病であること」をマイナス要因として
とかく排除しようとする効率主義的な現代社会への
大いなる警告でもあろう。

これを読んで私は,「肯定的意図」という言葉を思い出しました。
先月,あるワークで学んだ考えで,
表面的には,どんなにマイナスな行動や症状にも,その裏側,
というか深層部には肯定的な意図があるというものです。
20世紀の偉大な心理療法家の一人に数えられるミルトン・エリクソンが
来談者と関わる際に,前提としていた重要な考えです。

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2006年11月17日 (金)

メッセージ

私の住む街に,とあるラーメン屋さんがある。
このラーメン屋さんはもう何十年もこの街で営業していて,
地元の人にとっては,知る人ぞ知る店であったらしい。

ラーメン好きの私も,この街に引っ越してきてから,
いろいろな人から聞いて,その店に行ってみた。

正直言って,美味しくなかった。

その話を,ラーメン好きの元同僚である先輩教師に言ったら,
「その通り。今は全然美味しくない」と仰っていた。

つまらない話だが,良くある話でしょう?
テレビとかで紹介されると,
料理店なら,ほぼ100%その店の味は落ちる。
美容院なら,ほぼ間違えなく腕が落ちる。

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2006年11月 7日 (火)

「何があっても大丈夫!」

タイトルは,連休中に参加した,あるワークの基調となっていた大前提の言葉です。
このワークは宗教的にはニュートラルなものだったのですが,
私自身はカトリックの信者なので,この言葉を聞いて,
「神の愛」を思い出さないわけにはいきませんでした。

カトリックのイエズス会の『せせらぎ』というサイトの中に
愛しているなら」というページがあります。
是非,見ていただきたいのですが,
ブラウザーによっては見られない場合もあるようですから,
要約を書いておきます。
(でもお読みになる前に,是非「愛しているなら」をクリックして下さいね)

あるおじいさんが怪我をして医者に行きます。
順番を待っていたおじいさんは医者に早く診てくれるように頼みます。
理由は,おじいさんは,早く帰って,
年老いた奥さんと一緒にコーヒーを飲みたいというものでした。
おじいさんと奥様であるおばあさんは
毎日決まった時間に一緒にコーヒーを飲む習慣があったのです。
そんなおじいさんに,若い医者は言います。
「奥様はもう呆けているので,遅くなっても大丈夫でしょう」
するとおじいさんは言いました。
「確かに妻はアルツハイマーが進み5年前から私が誰かもわからなくなりました。
しかし,私は妻をよく知っているのです。
だから早く帰って一緒のコーヒーを飲みたいのです

愛するってこういうことなんだなあと思います。

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2006年10月26日 (木)

追い風?

061026 いま読んでいる『グループの力を生かす』(C.S.L学習評価研究所 2005年)という本に,

どの港にはいるのかわからなければ,どの風も追い風にはならない

という格言が載っていた。人が進んで行くためには目標が必要であるということ述べている。
実に格好の良い格言だ。
まず,目標を定めなければ,人は進んでいくことができない。
ローマ時代のセネカという哲学者の言葉だそうだ。

読んだ瞬間,やっぱり先哲の知恵は素晴らしいと感銘を受けた。
というか,セネカってやっぱり詩人だなあと思った。

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2006年10月24日 (火)

こころの物語

人間の尊厳のうち,最も崇高なものは魂の自由だと思う。
人は置かれた状況によってあり方が決まるのではない。
むしろ,あり方のよって,置かれた状況の捉え方が違ってくる。
どんな時代であっても,流される人と変えようと思う人がいる。
どんな状況に陥っても,諦める人と改善しようとする人がいる。
どんな病気になっても,受け容れて病を友にする人と病を恨む人がいる。
・・・

そう。人の運命を決めるのは,環境的な体験ではなく,心的な体験だ。
今,弱っている人たち。
弱っている理由は,環境によってよりも心の問題ではないだろうか?

しかし,私はそれを悪いことだと思わない。
「心の問題」を抱えた人は,真面目な人多い。
そして,「心の問題」は,どこまでいっても「心の問題」だ。
環境が変われば改善されるかというと必ずしもそうともいえない。

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2006年10月17日 (火)

「欠けている」という恵み

061017_1 左の画像の上の段の漢字。普段あまり使いませんよね。特に最近はPC入力の時代なので,これらの漢字を手書きすることは滅多にありません。左から,かいこの作る「まゆ」,なぎなたの「なぎ」,植物の「にれ」,ひんしゅくの「ひん」,そして最後は魚の「かつお」です。多くの人にとって,読めるけれど書けない漢字ばかりです。

さて,漢字を覚えるときは,私が小学生の頃は,必死に書いて覚えました。正確には覚えさせられました。国語の教科書に出てくる新出漢字を,マス目入りの国語ノート(有名なのはジャポニカ漢字帳)に10回とか,20回とか書いて覚えるわけです。多分,今でもこの覚え方が主流なのだと思います。

しかし,実は他にも覚え方があります。

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2006年10月16日 (月)

『僕たちの戦争』