2010年10月22日 (金)

「人間失格」・「ヴィヨンの妻」

Dazai_2 Project BUNGAKUという企画の芝居が,9月30日から10月10日の日程で上演されていた。
ワーサルシアターという,八幡山(京王線の上北沢と芦花公園の間の駅)にある,80名定員の芝居小屋,というか稽古場のようなところで上演された。
この企画は,若手新鋭の演出家4名が,各々持ち時間20分間で,太宰作品を一つ芝居に仕立て上演するというのもの。
4名の新進演出家各々が一つずつが選んだ作品は,「Human Lost」,「燈籠」,「ヴィヨンの妻」,「人間失格」であった。個人的には「桜桃」が入っていなかったのは惜しいが,すべて見応えがあった。
「燈籠」や「ヴィヨンの妻」などは,おそらく朗読するだけで20分で終わってほどの長さの作品である。「Human Lost」は太宰が脳病院(精神科病棟)に入れられている1ヶ月ほどの日記。「人間失格」は太宰の中では長編。それぞれ、演出家はどうやって仕立てるんだろうと思い,とにかく初日から観に行ってみた。

これが,大当たりだった。

80名定員の客席は,ちょうど満員になるくらいにチケットはさばけた様子。
4作品,それぞれ若手演出家の持ち味がよく出ていたが,何と言っても「人間失格」が傑出していたように私は思った。
演出家の谷賢一氏の構成と主人公・葉蔵役のコロさん(柿喰う客)の演技,特に葉蔵の表情づくりが素晴らしかった。
小説「人間失格」は,文庫で読むと200ページくらい(だったかな)の作品だから,僕だったら読むのに(今はやりの速読は大嫌いなので)数時間はかかる。
しかし,この芝居の上演時間はたった20分。
なのに,劇を見終わった後,原作を全部読んだのと同じ重厚感(変な言葉ですが)を感じた。
この芝居,おそらくもう上演される機会はないと思うので,本当に見て良かったと思います。
あまりにも,良かったので,楽日(この日はチケットが売り切れだったので)の前日にもう一回観に行きました。

ところで,芝居としては「人間失格」に引き込まれたけれど,印象に残った台詞は「ヴィヨンの妻」での大谷・主人公(多分太宰自身がモチーフ)と妻の遣り取り。

大谷「・・・,おそろしいのはね,この世の中の,どこかに神がいる,という事なんです。いるんでしょうね?」
妻「え?」
大谷「いるんでしょうね?」
妻「私にはわかりませんわ」
大谷「そう」

月並みですが,太宰の,神を畏れ,神を求める気持ちがストレートに表現されている箇所だと思います。

それと,小説の結末。新聞で「人非人」と酷評されている夫・大谷が,妻に対して,自分は人非人なんかではないと弁明したとき,妻が返す言葉。

「人非人でもいいじゃないの。私たちは生きていさえすればいいのよ」

なんだか,私が言われているような気になりました。
まるで,高校生のときのように。

いや,あの頃と違って,ちょっとしんみりきました。

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2010年7月 4日 (日)

何もできなかった最高の日曜日

Kayama_daiji_2 今日の日曜日は有意義でしたか?

この書き始めを読んで,「全然有意義じゃなかった。何も生産的なことはできなかった」と思われた方も多いのではないでしょうか。

週末を使ってやろうと思っていた部屋の掃除,書類の整理,手紙の返信書き,・・・・・,中には溜まりに溜まった仕事をなんとかやり終えようなんて,金曜の夜辺りには考えていた人もいるのではないでしょうか?
でも,結局,ダラダラと過ごし,ほとんど捗らなかった。あるいは,何もできなかった。
「ああ,なんだか自己嫌悪」
そんな風に考えてしまいがちですよね。
こう書いている私も,ちょっと前までは,休日にはアレをやってコレを済ませて・・・・,なんて考えていました。まあ,今でも,さすがにいろいろなこと(部屋の掃除,書類の整理,先週の仕事のやり残し,・・・・・)が溜まりすぎると,まあ,何か一つくらいは片付けたいなんて思います。でも,だいたいできません。

あるいは,せっかくの日曜日なのに,どこにも遊びに行かれなかった。
だから,有意義な休日ではなかったなどと,はやり,若干落ち込んで考えている方もおられるでしょうね。

休日の過ごし方。
最近,気になっているCMがあります。
それは,佐藤隆太さんが出ている発泡酒のCMです。
ビートルズの♪Ob-La-Di,Ob-La-Da♪がバックに流れ,
発泡酒を持った佐藤隆太さんが,さわやかに叫びます。
「湖」篇と,「草原」篇があり,
http://link.brightcove.co.jp/services/player/bcpid10249703001?bctid=off_mizuumi_15
で,見ることができます。
「湖」篇では,発泡酒を片手に元気よく登場した彼が,

「みなさん,最近堂々と,休んでますかー!」

と叫びます。
「草原」篇では,すこし,ゆったりとした調子であぐらをかいた彼が,やはり発泡酒を片手に,

「せっかくですから,頭を空っぽにしませんか?」

とテレビから語りかけてきます。

私は,このCMを見たときに,香山リカさんの『大事なことは先のばしにしなさい』(2009年,ビジネス社)という本に書かれていた,「精神科医が考える理想的な休日の過ごし方」(70ページ)を思い出しました。

この本の中で香山さんは,「貴重な休みを有意義に」という考えが頭に浮かんだ時点で,もうその休みは休みではなくなっているのだと書いています。(69ページ)

具体的には,目覚ましをかけずに寝たいだけ寝て,布団のなかでダラダラして,お腹が空いてきたらパジャマのままで,冷蔵庫のものを適当に食べて,顔を洗ったりシャワーを浴びるようなことはせず,また布団に戻るもよし,テレビをつけるもよし,ただし真剣に見入ったりはしない。メールのチェックもせず,携帯の着信にもよほどのことじゃないと出ない。
こんな,エネルギーもお金も使わない,要は1日ダラダラするのが精神科医が考える理想的な休日だと書いています。

Morotomi_kodokulesson カウンセラーの諸富祥彦さんも,10年ほど前に『孤独であるためのレッスン』(2000年,NHKブックス)という本の中で,当時流れていた「何もしない,をしよう。自分に戻る列車の旅」というJR東日本のCMのコピーを引用し,これについて,「何もしないこと」を意識的に「する」ことが,「自分に戻るため」に必要であるという論理がうまく組み込まれているとうなっています。

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2007年2月15日 (木)

答なんか・・・

勤務校では,高1対象に「ゼミ」という授業が時間割の中にあります。
今は,文部科学省学習指導要領の『総合的学習の時間』の単位にカウントされていますが,
勤務校では,文部科学省が『総合的学習の時間』なんて言い出す前から,実施しています。
私は数学教師ですが,『自分とつきあう』という,なんだか怪しげ(?)なゼミを担当しています。
それはさておき,
それらのゼミの中に『社会のしくみを考える』という,またまた怪しげ(=面白そう!?)な講座があります。
このゼミの一大特徴は,1年間,毎回講師が変わるということです。
講師は卒業生が務めるのですが,原則として,41歳年上のOBが講師としてやってきます。
でもって,今日はたまたま数学の先生がやってきました。
実は私も数学教師なのですが,今日の数学の先生はすごかったです。
何がすごいって数学へののめり込み具合がすごいのです。
なんでそんなことを知っている(同じ時間帯の裏番組授業なのに)のかというと,
この『社会のしくみを考える』という講座だけは,
放課後に,ほぼ同一内容で,中一から高三まで自由参加のオプションコースがあるのです。
通称『OBゼミ』といいます。
私は今日,それに出てきたのです。

さて,そこで講師の先生がこんなことを言っていました。

「正しいとわかっていることを学ぶのはつまらない。
寧ろ,正しいかどうかわからないことを考えるのが面白い。

つまり,正しいことが証明できるのか,
それとも,正しくないことを立証する例(反例といいます)があるのかを探ることが面白い」

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2007年1月22日 (月)

他のありよう

不便なところに住んでいるので,家族を最寄り駅まで迎えに行くことが多い。
大抵,電車の到着時刻に合わせて私がちょっと先に着き,
少しすると,妻とか娘とかがが車に乗ってくる。
その数分から10分待ち時間の暇つぶしのために,
車には,一冊の本が置いてある。
スーザン・ヘイワード『聖なる知恵の言葉』(PHP研究所 1995)だ。

実はこの本,昨年,「ブックオフ」に古本を売った際にもらったサービス券で買った。
多分,100円か200円だったと思う。

今日,こんな言葉を見つけた。

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2007年1月 4日 (木)

割り切れないけれど・・・

任意の2つの自然数(1,2,3,・・・のことです。日本の中学校の教科書によれば)を選んだとき,一方が他方で割り切れることは,圧倒的に少ないのは当たり前ですよね。たとえば,16と3を選べば,「16÷3=5余り1」となるわけです。18と9とか,100と25のように,たまたま,商が整数になり,余りがでないことの方が,ある意味で(大袈裟に言えば)「奇跡的」なわけです。なぜなら,自然数は無限に存在するのですから・・・。無限に存在する自然数から,任意の(かってな)自然数を2つエイっと選び出したとき,それらの一方が他方を割り切ることなんて,ほとんど期待できないわけです。なんか珍しく数学の先生みたいな(といっても私の職業は数学教師ですが)話をしていますが,ここから書くことはあまり数学と関係ありません。

元旦のブログは,元旦に相応しくなく「コンプレックス」なんてタイトルで書きました。
でも,実はいろいろ考えて,そのタイトルにしました。
その中で,哲学者の中島義道氏の著書『英語コンプレックス脱出』(NTT出版 2004年)から,少し引用しましたが,この本は,比較的平易ながら中身がとても濃い本です。その濃い中身を一言で総括しますと,英語コンプレックスは,人間の持つコンプレックスの一つの露呈のしかたであるということが書かれています。他の何か(英語そのものの場合も含む)に対するコンプレックスの一つの表れであるというのです。中島義道氏は,この本の本文230ページのうち,なんと220ページも費やして,このことを,非常に多くの「日本人論」(多くは新書のような一般向けの本)を年代別に,あるいは系統わけすることによって,読者に説得しています。というか,つじつまを合わせていると言った方が良いかもしれません。しかし,これはけっしてこの本に対する悪口を書いているのではありません。そもそも一般向けの評論とはそういうことをすることだと思います。

そして,残り10ページで,中島氏は,そのコンプレックス一般を解消する「生き方」を非常に簡潔に五つに整理しています。(221ページ)

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2007年1月 1日 (月)

コンプレックス

070102_0_1 今年の"NEW YEAR"は,初めて国外で迎えました。移民(大部分が英国からですが)が52パーセントもいる,その国の港町に6日間滞在したのですが,港ではニュー・イヤーに合わせて大花火大会が催されました。治安は良い方の街だったので,新年のカウントダウンの2時間くらい前から,家族で連れ立って港の方へ繰り出しました。立錐の余地もないほど,港の公園は人・人・人・・・でした。酔っぱらった若い男性が,何人か私の家族(女性4人)に絡んできたりしましたが,そんなに大きな問題にもならずに,やり過ごすことができていました。私たち家族の周囲には,大学生か20代の男女のグループがいて,すぐに打ち解けた雰囲気になりました。この街では,アルコールを「家の前以外」の道路で飲むことが禁止されていると聞いていたので,私は(大好きな)アルコールを持たずに,その花火大会を見に行きました。しかし,この日だけは特別だったようです。私たち家族は,先ほどのグループの中の,ある姉弟と知り合いになり,妻と私は,新年が明ける30分くらい前に,その姉弟から缶チューハイ(みたいなリキュール)をいただいてしまいました。日本人らしく(?)遠慮したのですが,その姉弟が"HAPPY NEW YEAR"と繰り返し言いながら,勧めてくれたので,「サンキュウ・ベリ・マッチ」と日本英語(?)で言いながらいただきました。 070102_1

そうして,周囲の若者たちと,私の家族で新年のカウントダウンを待っていたのですが,新年の20分くらい前にアクシデントが起きました。 私は突然,背後から何者かに背中を押され吹っ飛ばされたのです! 実は,元々ギックリ腰の状態だったので,その痛みは,気を失う程でした。 2メートルくらい飛ばされましたが,本能的に地面すれすれで体勢を立て直し,かろうじて転倒はしませんでした。しかし,持っていた缶チューハイが次女にかかってしまいました!私は,これも本能的に,背中を突いた者の方を向きました。風貌や鼻の下の髭から,イスラム系の人に似ていました。しかし,定かではありません。体勢を整えつつある私を見ながら,その男は,何ごとか私に罵りの言葉を浴びせながら,歩き去って行きました。

(私はもちろんですが),私の家族と,先ほどの缶チューハイの姉弟はとてもびっくりしました。家族は日本語で一斉に「大丈夫!?」と寄ってきました。即座に,「大丈夫!」と答えました。そして,缶チューハイをくれた姉弟の姉の方も,多分英語で,「大丈夫か?」というような意味のことを言ってくれたのだと思います。なぜ,「思います」と書いたのかというと,私にとっても,周囲にとってもあまりに急であったことと,私の語学力のなさから,彼女が私にどんな言葉をかけたのか,正確にはわからなかったからです。 しかし,間違えなく,「大丈夫か?」という意味のことを言ったと思います。なぜなら,私が,"I'm OK."と言ったのか,"All Right."と言ったのか(これも覚えていませんが),そんなようなことを言ったら,「ああ,良かった」という意味のリアクションをしてくれたからです。

さて,この事件から一日経って,このブログを書いていますが,私を乱暴に突き飛ばした男が,言語で何と言ったのか,わかりません。そもそも何語で怒鳴られたのかもわかりません。また,私を心配してくれた姉弟が何と言ってくれたのかもわかりません。それも何語だったのか?それまで彼等は英語を話していましたから,英語なのでしょうが・・・。 しかし,わかっているのは,私を突き飛ばした男は私が邪魔で敵意を持っていたこと,そして,直前に知り合った姉弟は私を思いやってくれたこと。 どちらも,コミュニケーションがとれていたわけです。もちろん,私を突き飛ばした男性のコミュニケーションの仕方は下手ですし,私は,悲しいし,痛いし,怒っています。ゆるせない気持ちもあります。 しかし,彼と私は明らかにコミュニケートしました。なぜなら,私は,突き飛ばした男にも反応しましたし,心配そうに声を掛けてくれた姉弟にも反応したからです。

ある心理学の本に, "The meaning of your communication is the response that you get." と書いてあります。私が男に突き飛ばされてそのまま倒れ込んでいたら,(あるいは,押されても,まったく微動だにしなかったら,)つまり,無反応だったら,コミュニケーションは成立しなかったでしょう。また,心配してくれた外国人の姉弟に,私が何らかのメッセージを発さなかったら,コミュニケーションは成立しなかったでしょう。しかし,かろうじてどちらにも反応することができました。そして,そのどちらも,言語的な反応ではありませんでした。正確に言えば,何某かの言語は発していたのですが,それ(言語)でコミュニケーションしたとは到底思えません。

そもそも,この一連のコミュニケーションの始まりは,見知らぬ男が,私を突き飛ばすという,極端なボディ・ランゲージから始まったわけです。例の姉弟も私に何と声を掛けたのかわかりません。ただし,明らかに,顔の表情や,座り込んだ私の目線まで下がってきて語りかけてくれた姿勢から,心配してくれている様子が伝わってきました。

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2006年12月11日 (月)

そんな重荷に耐え続けることはできない

私の好きな聖書箇所の一つに

「(神さまは)あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず,試練と共に,それに耐えられるよう,逃れる道をも備えていてくださいます。」
(Ⅰコリント1:13 日本聖書協会 新共同訳聖書)

というのがあります。
この聖句は結構私の支えになっています。
特に,最後の,神さまが逃げ道を準備して下さっているという行が大好きです。

ところが人間はときとして,自分にとんでもない試練を課してしまう。
それは,人に対する怒りの停滞です。
先月も,「怒りは自分に盛る毒」という
アメリカ・インディアンの格言を引用しました
が,
今日も同じ本(エリコ・ロウ『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』扶桑社)
から,ほぼ同意の格言を紹介します。

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2006年12月 1日 (金)

『日本の父へ』

061201私は1986年に教員になりました。
その2年前の1984年に,グスタフ・フォス著『日本の父へ』(新潮文庫 昭和55年)という本を読みました。
どういうきっかけでこの本を読むことにしたのかは,良く覚えていないのですが,
当時,あまり教育に興味のなかった私が,
自らすすんでこの本を読もうとしたとは思えません。
多分,当時読んでいたカトリック関係の評論文で紹介されていたのか,
大学の何かの授業の参考図書に挙がっていたのでしょう。

先ほどの書斎(といっても4畳です)の本棚をあさっていたら,その文庫本が出てきました。
左の写真のように,もう,表紙にはカビがはえています。
この本を買ってから,4回引っ越しをしました。
そのたびに,本はだいぶ捨ててきました。
特に,文庫本は,惜しげもなく捨ててきました。
(今だったら,BookOffに売りますね。)
なのに,この本は捨てずに,今でも持っているのが不思議です。

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2006年11月25日 (土)

灰谷健次郎氏

061125 児童文学者の灰谷健次郎氏が23日に亡くなった
72歳だったという。

灰谷健次郎さんの作品を初めて読んだのは大学1年生のときだった。
『兎の眼』。
出版されてから8年経ってから読んだ。

実は私の教師としての基本姿勢は,効率主義の排除です。
効果があればやるが,効果がないならやらないという合理主義的な考えは
教育の基本姿勢として間違っていると考えているのです。
教育において効率主義が正しいのなら,
あらゆる意味で効率の良い教師だけを雇えばいいし,
---最近,実際にそういう学校があるようです。しかし・・・---
それならいっそのこと,昔アメリカの教育工学者が考えたティーチング・マシンをどんどん導入すれば良いわけです。
さすがに,効率主義の国アメリカでもティーチング・マシンは普及しませんでしたが,
一時は真面目にそれが良いと考える学者がいたのです。

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2006年11月18日 (土)

青い梅

061118_1 アメリカインディアンのホビ族という一族の格言に

怒りは自分に盛る毒

というのがあるそうです。
(エリコ・ロウ『アメリカ・インディアンの書物よりも賢い言葉』扶桑社文庫p.138)

また,聖書には,

人の怒りは神の義を実現しない
(ヤコブの手紙1章20節 日本聖書協会・新共同訳聖書)

と書いてあります。

しかし,「怒り」という感情そのものは悪でも善でもありません。
そもそも感情に善悪はないのですから・・・。

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