2007年1月 5日 (金)

青くなって尻込みましょう

教師という仕事柄,年賀状をいただく枚数は多い方だと思う。
教え子や卒業生からも送られてくるが,
多くの教員や元教員と年賀状の遣り取りがある。

「教え子を戦場へ送るな。教育基本法・憲法改正反対」

教員仲間や先輩教員からの葉書の隅っこの方に,こんなメッセージが印刷された年賀状が届いていたのは,2,3年前からであった。

残念ながら,今年の年賀状で「教育基本法改正反対」と書いてあるものは一通もなかった。後の祭となってしまったわけだから。

「すべての人の平和を願い
戦争をしない・軍隊を持たない
こんな憲法9条を世界の宝に」
(ピース9の会)

カトリックの,ある修道会の総長をされているシスターからの年賀状の下の方には,
このような印刷がされていた。
このシスターからは,もう10年以上も年賀状をいただいているが,
昨年までは,修道会が独自に作った,いわゆる修道会的な,
(つまり,マリア様やイエス様の肖像が画かれ,キリスト教用語が必ず入った)年賀状が届いていた。これはこれでとても趣があった。
しかし,今年は,このシスター(大変国際感覚に優れた方です)から,「憲法9条を世界の宝に」というメッセージ入りの年賀状が届いた。
やっぱり世の中エラいことになってきてしまったのだと思う。

もう一つ紹介したい。

「最近の世の中の動きには不安を感じることが多くなりました。
教育に携わる者の一人として,
自分のできることに力を尽くしていきたいと思っています」

こう年賀状の真ん中に印刷してきた彼(先輩)とは,昨年,生徒を引率して,被爆地長崎を訪れた。(なお,この訪問の折には,アジア太平洋戦争における日本の加害責任についても,同行した神父様が生徒に説いてくださいました。)

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2006年10月29日 (日)

「違い」

061029 イスラム圏の女性はブルカというかぶり物をまとっています。
イスラム諸国は暑い国が多いので,しばしば,
「あんなものをまとって暑かろうに。
早く自由主義やデモクラシーの時代が来れば良いのに。
そうすれば,あの女性たちも解放される」

と思ってしまいがちです。

しかし,この考えには大きな見落としがあります。
それは文化的背景の相違ということです。

ブルカはイスラムの女性にとって,単に外出着なのです。
これは単に,文化の「違い」に過ぎません。
ペシャワール会の医師中村哲氏によれば,
これを女性への抑圧だというのは,
突然やってきた外国人が,江戸時代の町を歩いている女性たちを見て,
こんなに太い布のベルトで何重にもぐるぐる巻きにするのは野蛮な習慣である
というのに等しいといいます。
(岩波ブックレットNo.673『アフガニスタンで考える』p.23参照)

私は,昨日,生活者大学校鎌倉分校が主催し,
北鎌倉の円覚寺塔頭・白雲庵で行われた
中村哲氏の現地報告会を聞きにいってきました。
その話を伺いながら次のようなことに改めて気付かされました。

私は,様々な「違い」を,善悪や優劣と考えがちではないか。

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2006年10月18日 (水)

はがれかけた鱗

061018 「1発も弾を撃たずイラクでの人道復興支援活動を完遂し、全員が無事帰国できてうれしい」
この言葉は,ある日本人が,約3ヶ月前に口にした言葉です。「戦死者ゼロ」とも報道されました。
私はとても驚いてしまったのですが,このことをリアルタイムでブログに書くことを躊躇しました。
なぜ,躊躇したのか。その答を,ある著書の中に発見しました。

日本のような国で流れに逆らってものを考え生きていくことは,とてもエネルギーを必要とする(高橋哲哉・斎藤貴男『平和と平等をあきらめない』晶文社 2004年 p.130)

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2006年10月16日 (月)

『僕たちの戦争』

いま,担当している高1ゼミナール『自分とつきあう』という講座で,V.フランクルの『夜と霧』を読んでいます。囚人となった精神科医(著者)が内部から見た強制収容所体験記としてあまりにも有名な本です。この本は,アメリカ国内で数年前に実施された「100年後にも読み継がれて欲しい本ベスト100」の中で,7位にランクされているそうです。1位はもちろん聖書ですが,心理学・精神医学医関係の本では,この本が最高位だそうです。この本を読まれた方は納得すると思います。このブログを書いているのは自宅で,テキスト(本)は学校にあるため,正確な引用はできないのですが,その本の中に,(アウシュビッツ強制収容所のような)異常な状況に置かれた場合,異常な反応を示すのが正常なことであると書かれていました。

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2006年8月 9日 (水)

「人間は、いったい何をしているのか」

「人間は,いったい何をしているのか」
これは,61年目の長崎被爆の日である今日,長崎市の伊藤市長が発表した平和宣言の最初の言葉です。
今なお,3万発もの核を所有する全世界へ向けた怒りのメッセージです。
さらに,この後,「被爆から61年目を迎えた今,ここ長崎では怒りといらだちの声が渦巻いています」と続きます。長崎市のホームぺージに全文が掲載されています

私は,今月の1日から4日まで,生徒を引率して長崎巡礼に行ってきました。テーマは「キリシタン弾圧と殉教」と「原爆惨禍のキリスト教信仰」。それらを信仰・平和教育で貫いて実施いたしました。

4日間の巡礼旅行中,最も生徒に響いたのは,原爆ホームで聴いた被爆者の体験談でした。人生を決定づけてしまった被爆という心身の深い傷について,その方は,詰まりながらポツリポツリと話して下さいました。話して下さった内容よりも,話して下さっている姿に,また,話して下さったこと自体に生徒たちは心の耳を傾けました。その方のメッセージはたった一つ。「もう戦争はしないでね。戦争はやめてね」

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2006年6月23日 (金)

『福音的視点から』

Kenpou_1 今日のブログのタイトルは,これから紹介する冊子のサブタイトルです。
その冊子とは,『憲法・教育基本法改定を考える』という一見政治色の強いタイトルのついた小冊子です。
ただし,サブタイトルとして,---福音的視点から---と付いています。
福音とは,イエス・キリストのよきメッセージですから,この小冊子では,
憲法および教育基本法の改定問題を政治的視点からではなく,
イエスが教える神の国の福音のメッセージに照らし併せて考察しようという試みがなされています。

執筆はイエズス会社会使徒職委員会内の「憲法・教育基本法改定に関するタスクチーム」の4人の神父様方です。印刷・発行はイエズス会社会司牧センターです。

この小冊子には,憲法や教育基本法改定の動きの中に現れている問題点が中心に記載されています。しかし,イエズス会内の「タスクチーム」が作成した物でありますから,日本のカトリック教会の公式見解ではありません。それどころか,小冊子「はじめに」には,イエズス会日本管区の公式見解でもないとことわられています。(p.3)

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2006年3月15日 (水)

敵から自分を守ろうとしないで・・・

060315 バーナード・ベンソン著『平和の本』の邦訳はすでに絶版で現在入手が困難な本である。1984年にYMCA出版から発売された。私の手元にあるのは第1刷だが,その後,いつ頃入手困難になったのかよく分からないが,最近までたまにキリスト教関連書店で見かけたような気もする。

この中に次のような場面が出てくるが,私はこれを読んだ1985年以来,ずっと覚えている。(119ページ)

一人の少年が大国の大統領に次のように言う。「平和がずっとつづく秘訣がいったいなんだか知りたくありませんか,大統領?・・・

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2006年3月 8日 (水)

ミスプリント

060308 数日前に,今年の夏に行う「長崎巡礼旅行」のご案内プリントを配布しました。左の写真が実物です。挨拶文のあと文面は以下のように続きます。

日頃より本校の宗教活動にご理解をいただき,あらためて感謝申し上げます。
さて,長崎巡礼旅行はここ数年の間,隔年実施が恒例化しており,その年度の中3生と高1生が参加対象となります。隔年行事ですので,参加の機会は一度です。来年度が実施年度に当たり,概ね以下の要領で計画を進めております。
ご存じの通り長崎地方は,16世紀のキリスト教伝来以降,様々な歴史を刻んでまいりました。キリシタンへの弾圧,殉教,そして潜伏信徒の発見。さらには,被爆。そうした独特の歴史を踏まえ,今日,長崎は世界に向けて平和への祈りとメッセージを発信する地となりました。このような地方を訪れ,見聞を広めることは,○○学園の土台でもあるキリスト教理解と,平和の尊さを学ぶのに大変に意義深いことであると思います。何卒,趣旨ご理解の上,ご子息を参加させていただきますよう,ご案内申し上げます。聖研に参加している生徒はもちろん,普段は聖研に参加していない生徒の参加も大いに歓迎します。(以下は,左写真をクリックして見て下さい)

ところで,このプリント中に,大ミスがありました。学校長名で出している文書ですが,校務分掌の関係で私が作成しました。印刷前に,私を含め複数教員で目を通したのですが・・・。嗚呼,恥ずかしい。

今のところ,このミスに気づいた生徒は約360名中,2名です。責任上,上司の先生3人にこのミスを報告したのですが,全員が「プッ」と吹き出した後,「まあ,いいでしょう」と許して下さっていますが・・・。なんとも笑ってしまうくらいアホなミスです。

写真をクリックしてミスを探してみて下さい。ちょっとヒントみたいなことを言いますと,間違えに気づいた生徒は,「これじゃぁ畏れおおくて申し込めないよ~」と大爆笑していました。また,ある先生は「さすが長崎巡礼,申し込み時に踏み絵を踏ませるとは」と凄いことを言っていました。

本当に生徒とご家庭の皆様(あとイエス様),ごめんなさい。でも,多くの生徒諸君の参加を望んでいます。

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2006年2月 7日 (火)

HIBAKUSHA(ヒバクシャ)

060207 今日,勤務校で,『HIBAKUSHA』という映画を観た。
監督:鎌仲ひとみ,制作:グループ現代
2003年制作の映画である。
2003年度の日本カトリック映画賞を受賞しているこの作品,実は一般劇場で公開されていないばかりか,ある筋からのお達しによって,公営の施設(公民館,市民ホールなど)でも上映されていない。

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2006年1月10日 (火)

安心・自信・自由

日本よりも早く,子どもへのさまざまな虐待が顕れた米国に,CAP(=Child Assault Prevention)と呼ばれるプログラムがある。日本では森田ゆり氏が積極的に紹介している。岩波からブックレット『子どもの虐待』を出版している。

さて,タイトルの「安心・自信・自由」は,CAP(子どもへの暴力防止)の中で,必要性・重要性が説かれている三大要素である。

私はCAPの思想をクラス運営に取り入れている。今日は,3学期始業式であったので,クラスで次のような話をした。(4年くらい前にカトリック学校関係のある冊子に書いた内容の一部であるが。)

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2005年12月22日 (木)

100万人のキャンドルナイト

051222 勤務校は昨日(21日)が2学期終業式でした。したがって今日から冬休みです。しかし,明日(23日)「子どもの家」の子どもたちを学園に招きクリスマス会を行います。この行事への生徒の参加は任意ですが,明日は中1~高2の合計73名の生徒がボランティアとして参加してくれます。また,大勢の保護者の方もお手伝いして下さいます。朝9時頃から始まって午後3時半に終了予定です。午前中はフリータイムで,体育館,グラウンドなど校内のどこでも遊べます。マジック同好会の生徒が手品をやっている部屋などもあります。お昼ご飯は,本校のお母様方が準備して下さっています。200名分くらい用意するのですから,本当に大変です。材料等もご家庭からの寄附で募りました。午後は小講堂にて,ブラスバンド部の演奏,お母様方のハンドベル演奏,隣のカトリック女子校(ブログ『Good News Collection』の先生の勤務校)の生徒さんの出し物,「子どもの家」の子どもたちの出し物,子どもたちへのプレゼントなどが行われます。

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2005年12月 1日 (木)

心のいと深きところに平和

いつもこのブログにコメントを寄せて下さるmaria michaelaさんが,「主の平和」は「いい響きです」とご自分のブログに書いていらっしゃいます。 そちらの方に投稿したコメントと重複する内容ですが,「主の平和」。ホントにいい響きだと私も思います。

ところで,「主の平和」ってどんな平和なのでしょうか。
単に,「戦争・略奪・残虐行為などの非人道的な出来事がない」というイメージではないと思われます。
もちろん,これらも大切な平和であることは言うまでもありません。
しかし,それらは,人間の手によって行われていることですから,人間の手によって解決されるべき問題です。
よって,これらが解決して訪れるのは「人間の平和」でしょう。人間は愚かで有限ですから,この平和が長続きしないことは歴史が語っています。人類の歴史は,争いと奪い合いの歴史ですから。

ところが,「主の平和」は違います。主は天のいと高きところにおられる永遠の方です。
したがって,「主の平和」は,天のいと高きところの平和,終わることのない平和なのです。
「天のいと高きところ」。そこは,いつもミサで唱える栄光の場所。

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2005年11月 1日 (火)

貧しさは神の敵だ

051101

「貧しい人は幸いである」と聖書に書いてあるが,貧しさは幸いではない。1959年,カメルーンで初めて司祭となった8人のうちの一人であるババシモンという神父様は,「貧しさは神の敵だ」と考え,「教育は生きるための鍵だ」と悟って,現地に学校を作ったという(雑誌『聖母の騎士』2005年11月号掲載のルイス・カンガス神父の文章参照)。

昨日の「歩く大会」の帰り道,私は同僚と生徒1名と一緒に,上智短大に寄った。生徒は,勤務校のボランティアを統括する委員会の委員長である。目的は,フィリピンやアフリカを支援するために私たちの学校で集めた援助物資を届けるためだ。「フィリピン・アフリカを助ける会」が援助物資を送り出す窓口となっているのだが,その本部が上智短大に置かれているのである。本部といっても短大寮の一室だが。

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2005年10月15日 (土)

Men for Others

このページからもリンクを貼らせていただいていますが,jyakuzuregawaさんのブログ『たのしいことば?』では,毎日「きょうのことば」として聖書のみことばが紹介されています。jyakuzuregawaさんは,ブログ開設初日のみことばとして,コリントの信徒への第一の手紙12章24節より神は,見劣りのする部分をいっそう引き立たせて,体を組み立てられました。といういう聖句を紹介しておられます。この前後の12節から31節はしばしばキリスト教的社会観と呼ばれています。新共同訳から引用ますと,

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2005年10月 1日 (土)

終わりに見た街

朝起きると,家の外に何もなかった。隣の家も,向かいの家もなかった。道路さえなかった。
「私」の家は田園都市線沿いの多摩川を見下ろす高台にあった。対岸に高島屋が見えていたはずだった。しかし,その日起きると,何もなかった。一面林だった。
ただごとではない出来事が起こったのである。「私」は恐る恐る森の藪をかき分け,二子玉川の方へ歩いていった。高島屋デパートはなかった。それどころか,二子玉川を路面電車が走っていた。「玉電」である。戦争中だった。第二次世界大戦中である。「私」は戦争中にタイムスリップしてしまったらしい。馬鹿馬鹿しいけれど事実である。「私」と,「私」の家族である妻,長女,長男の4人は第二次世界大戦中に突然置かれてしまったのである。

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